第六話『不死山麓のドラゴン』その二
リンタロウが走る。まっすぐピアに向かって。
こちらの姿を見て息を呑むピアの顔。
「そうはいかねェぜ!」
分身を殴り飛ばしたトリケラ太夫がリンタロウに立ちふさがる。その太夫を狙って突き出される薙刀。
太夫は寸前で身をかわした。
「お前の相手はわたしだ!」
薙刀を回転させて、ぴたりと構える。
メイリであった。
太夫の頬に笑みが刻まれる。リンタロウを追うのをやめ、ゆっくりとメイリに正対した。大師に斬り飛ばされた太夫の片足は、木の棒を継いだ義足になっている。
「再戦をご希望か? 受けて立ってやるよォ!」
メイリへ向けて拳を振りかぶりながら突っ込む。
「妖魔降すべし!」
薙刀をかざしてメイリも迎え撃つ。
太夫の煙管が繰り出され、メイリの薙刀が空間に弧を描く。ぶつかり合って火花が散り、離れて足元から土埃が舞う。
リンタロウはピアの檻に到着した。そのまま片手で檻ごと持ち上げる。
「無事か? 少し揺れる。我慢できるか?」
「……うん」
言葉が詰まったようにピアはうなずいた。
リンタロウはそのままこの場を離脱しようとした。
「殿!」
が、同時に来ていたハイエイは檻を担ぐのに苦労している様子だ。檻に入っているのは予想になかった。
しかもピアと違ってゴトク・クモナリにはかなりの出血が見られる。
リンタロウはもう片手で殿の檻を引っ掴んだ。
「このまま逃げます」
「かたじけない」
獣還りの筋力! リンタロウは両手に人の入った檻を持ったまま走った。
そのまま森の中へ逃げ込む。
逃げるリンタロウの姿を認めて、虎男が咆哮し、そちらへ向かおうとする。
「待て――!」
だが、大師の繰り出す槍の穂先がそれを許さない。
「もう少し拙の相手を頼みたいのでな」
虎男と対峙する大師の背後から、六尺の棍が襲う。完全な不意打ちだ。
だが大師はそれもかわす。棍を突き出したのは僧形の妖魔であった。
近距離で二人、睨み合う。
「ドウシンンン!」
「ゾウジョウか!」
大師はこの僧侶を知っていた。
知っているどころではない。ゾウジョウを得度し、僧侶にしたのは大師であった。武法僧としての稽古をつけたのも、目に一丁字もなかったゾウジョウに読み書きを授けたのも大師であった。
ゾウジョウは大師の弟子であった。
だがゾウジョウの目に師を仰ぐような色は微塵もない。憎悪のみがその瞳に燃えているようであった。
その勢いで、ゾウジョウは大師に教えられた棍を自らの力のままに振るう。虎男も別方向から攻撃を加える。
大師は槍の穂先と石突を巧みに操り、寄せつけない。メイリの薙刀が丸い風ならば、大師の槍は鋭い稲妻だ。
虎男とゾウジョウを同時に相手し、破綻を見せない大師の戦いぶりだ。ドウシン大師の恐るべき手練れであった。
トリケラ太夫はメイリと戦っている。虎男とゾウジョウは大師とやり合っている。姫は一歩離れてその戦いを見ながら何かを画策している。
この場にいたはずの妖魔が一人足りない。ディープフォグの姿がなかった。
・
森の中を行くリンタロウとハイエイ。
「待て」
緊迫した口調でハイエイが呼び止めた。
「殿が……」
半ば意識を失ったようになっている殿様。これ以上揺らすのは危険だ。止血する必要がある。が、まだ逃げ切ったわけではない。
「いや、逃げ切っても殿が亡くなっては意味がない。カギアギ殿、ここで殿を下ろしてもらおう。手当てをする。貴殿らは行くがよい」
「しかし……」
ここで置いていくような真似は、武士として正解であろうか。ためらうリンタロウにハイエイはにやりと笑った。
「何を言っている。わたしは貴殿らを囮にしようとしているのだ。考えてもみよ、木々の間にじっとしている我らと、その目立つ顔、目立つ体で動き回る貴殿ら、どちらが追っ手を引きつけるかをな。だから、行け」
その気遣いが身に染みる。
「……わかりました」
リンタロウはせめてもと、なるべく草に隠れるところへ、殿様の檻をそっと置いた。
「ご武運を」
「むしろ武運が試されぬことを願ってもらおう」
ハイエイは殿の腕を取り止血にかかっている。
それを背に、リンタロウは歩き出した。
なるべく檻を揺らさないよう、かといって遅くならないように急ぐ。
「リンタロウ……」
二人になったら、ピアが声をかけてきた。声が震えている。
「リンタロウ~……」
泣き声だ。リンタロウはぎょっとして檻の中のピアを見た。
「ど、どうした? 痛いのか?」
「ううう……リンタロウのアホ~」
リンタロウを睨みつけるような表情のまま、真珠のごとき涙の珠がぽろぽろと彼女の目からこぼれ落ちている。
「来るのが遅いねん」
「そうだな。遅くなった。すまない」
ずっと妖魔に囚われていたピアがどれだけ不安だったか。年格好のわりに肝が据わっていて闊達な彼女でも、よほど恐ろしかったのに違いない。
それを、リンタロウと二人きりになるまで出さなかったところもピアらしいが。
「でも来てくれたんやな、リンタロウ~」
しばらくピアのすすり泣く声を聞く。リンタロウはあえてピアの姿を見ないようにした。彼女は泣くところを見られたくはあるまい。
歩くに連れてそれも収まっていき……、
「……リンタロウ」
しばらく静かになったあと、探りを入れるように呼びかけてきた。鼻声だったが、もう泣いてはいないようだった。
「今のは、なしや」
「なしとは?」
「ウチは泣いてへんし、あんたは何も聞かんかった。ええな! 誰にも言ったらあかんで」
どうやら泣いたのを恥ずかしがっているらしい。リンタロウは彼女のほうをちらりと見た。目が合ってすぐに、ふん、とむこうを向いた。その頬が真っ赤だ。
そんな彼女の様子に、リンタロウは、
(可愛いな)
と思った。
ところで、リンタロウからすると、ピアには一つ妙な点がある。だからあまりまじまじと彼女を見ることはしていないのだが、
「……寒くはないか?」
リンタロウはためらったのちに、そう声をかけた。
妙な点、とはそのことであった。
なぜだかピアは下着姿だったのだ。
ピアはリンタロウの言いたいことを理解して、
「なんや、遠回しに。服のこと気になるんやったら言うたらええやん。やーらしいわ」
からかうような声音。
いつものピアが戻ってきたようであった。