第五話『海より山へ到る道』その七
トウザン・ハイエイは馬に乗り、お供の武士たちを引き連れてドレッドの城下町に出ていた。殿様のゴトク・クモナリの命によるものである。
珍しい人や物の情報の収集は、殿様の配下による報告の他、住民たちの目安箱への投稿によって行なわれる。今朝、その目安箱に面白い投書があったと殿様に呼ばれたのだ。
「見てみよ」
実物を手渡された。
なんとも要領を得ない内容だった。場所だけははっきりしていて、ドレッド南側にある廃屋。そこに珍しい人物がいるので会いに行ってほしい。どう珍しいかは言えないが、きっと驚くだろう。ただしトウザン・ハイエイにしか会わないのでそう心得てほしい……。
そのような文面の後に、恐惶謹言、と結ばれている。
「いたずらでは?」
匿名なのをいいことに、たまに嘘の内容が入っていることがあるのだ。
「書蹟を見よ。連綿を」
連綿とは、いくつかの文字をつなげて書くことである。つなげ方によって書いた者の教育の程度や社会的地位がわかる。
「春水流ですか」
「うむ。少なくとも市井の似而非ではない」
であれば、この投書を書いた者がそれなりの教養の持ち主であることは確かだ。
だが、そのような教養ある人士が、殿様の道楽である珍物の報告を目安箱に送ってくるというのは違和感があった。
殿様も同感のようだが、警戒するハイエイとは逆に、実に楽しそうに笑った。
「そこに何かの謎を感じるだろう。面白い。行って見てまいれ」
それでハイエイは今、騎馬でその場所へ向かっているのだった。
いつもながら殿様の道楽には困ったものだ。まだサクラとカシワの葬式も終わっていないというのに、あの時の怒りはどこへやら、ほんの数日で元通りであった。うろんな者を城に上げるのに懲りたと思いきや、全くそのようなことはなかった。
近くにいた者が三人も減ったので、増やす気でいるのかもしれない。三人のうち二人はもちろん、殺された小姓のサクラとカシワだ。そしてもう一人は、ヴォルガワ・ナイシであった。
あの日、矢の飛び交う中を生還したヴォルガワは、何か考えているようだった。カギアギ・リンタロウと屋根の上で刀を交えたという話だが、彼がそれについて語ることはなかった。何か思うところがあったのかもしれない。「剣の道を今一度歩み直す所存」と暇乞いをし、ドレッドから去ったのだ。それがほんの昨日のことである。
殿様は剣が好きなので引き留めるかと思ったのだが、特に未練もなく送り出した。ヴォルガワの顔をからかうのにも飽きたのかもしれない。
飽きる、というのが殿であるゴトク・クモナリの悪癖だ。剣もできる、書もできる、詩も楽器も馬もそれなりにできる。だがどれも決して一流にはなれない。いや、そういった趣味ならまだいい。政務に飽きるというのは、為政者としてはかなり致命的である。
ことに最近は、新奇なものを求める傾向が増しているようであった。ハイエイが思うに、数ヶ月前からあのエルフ、ディープフォグを側に置くようになってからだ。確かにディープフォグは知識も広く話も巧い。だがその知識も弁舌も、殿を善導する方向へは向かないのだ。
少なくとも昔の殿ならばヴォルガワを引き留めたであろうし、それ以前に過度にからかうような真似もしなかっただろう。
ハイエイが諫めることは再三だったが、改まる様子はない。
供の者が、指定の廃屋が近づいてきたことを告げた。
頭巾のように布で頭を覆った女が立っている。若い女だ。
「トウザン・ハイエイ様ですね。お待ちしておりました」
「目安箱に書を投じたのはお主か」
「そうです。こちらへ」
女は廃屋の入り口へとハイエイを誘う。
その凜とした口調、一本筋の通った立ち姿、恐れ気のない視線、町人とも農民とも思えない。武家の娘とも少し違うようだが、一体何者であろうか。
「トウザン様お一人でお願いします」
「なにゆえだ?」
「それは……中にお入りになればわかります」
投書の書面と同じく、どうも要領を得ない。だが殿様に見てこいと命じられたのだ。ここで帰るわけにもいくまい。やむを得ずハイエイは、共の者を門外に残して家へと入った。
「土足のままでけっこうです」
言われるまでもなく、薄汚れた廃屋の中へ履き物を脱いで入る気はなかった。
中へ進み、突き当たりの部屋の戸を開けた。
たっぷり一呼吸の後、ハイエイは一言、
「なるほど」
と言った。
板張りの部屋の中で平伏して彼を待っていたのは、川に身を投げて死んだと思われていたトカゲ頭のサムライであった。
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「ご足労、まことにかたじけなく」
平伏したままリンタロウが言った。
「よくも顔を見せられたものだな」
という言葉面ほど、ハイエイの言葉には毒も怒りもない。リンタロウを見下ろす顔は冷静であった。
「ぜひとも申し上げたい儀があり、お越しいただいた次第です」
リンタロウはまだ顔を上げない。
ハイエイはちらりと女に目をやった。女は視線を受けて、ハイエイの視界に入るように移動した。不意打ちの意図はないという意味だ。
「小姓二名を殺害したのはわたしではござらん」
「ほう。メイドが目撃しているが?」
「彼女が見たのは倒れた小姓とわたし。斬った瞬間ではないはず」
「弱いな。誰も納得すまい。それが言いたいことなのであれば、話は終わりということになる。……見逃そう。ドレッドから早く出ていくがいい」
「ご寛恕ありがたく……。しかし、そういうわけにはまいりません。わたしは下手人を知っております。目撃しました」
「それは?」
「小姓二人を殺し、わたしの同道者……トウザン殿には憶えがありましょう。わたしと共に城へ上がったエルフの少女ですが、彼女を連れ去った」
確かに記憶にあった。彼女がいつの間にか姿を消していたことは、ハイエイの頭に違和感として残っている。自ら消えたのではなく連れ去られた、と言うのか。
「それが誰だと言うつもりだ?」
「エルフの男。色のついた眼鏡をかけておりました」
「……ディープフォグか!」
あの男の薄ら笑いが脳裏をよぎった。
ハイエイは、薄汚い廃屋の床にどかりと腰を下ろした。険しい顔で、リンタロウを見やる。
「詳しい話を聞かせてもらおう」