第五話『海より山へ到る道』その五
村外れの、今は使われていない漁師小屋にリンタロウは座っている。メイリは村へ同行して網元に説明してほしがっていたが、パニックが起こる危険があるために断った。
「何も悪くないのですから堂々と一緒にいていただいていいのに」
とメイリは悔しそうに言ったが、リンタロウの意見を受け入れて一人で村へ行ったのだった。
そして、ノックの音がした。メイリが戻ってきたのだ。
「カギアギ様」
「どうぞ」
メイリは手に食べ物を持っていた。リンタロウの前に広げる。ありがたい。
水、保存用の堅パン、油漬けの雑魚。最低限の食事だが、この五日間、洞窟に染み出すわずかな雨水と、カニや海苔でなんとか食いつないでいたリンタロウにとっては祝祭のごちそうにも勝る。
それでも武士の節度を保ちながら、リンタロウはそれらを口に運ぶ。
「服のほうはもう少しかかるとのことです」
ボロボロになったリンタロウの服は村人に繕ってもらっている。修繕が無理なら大きさを合わせて作ってもらわねばならない。身体が大きいので簡単に調達できないのだ。
リンタロウは今、小屋にあった毛布にくるまっている。
(ゴッタチ村を思い出す)
あのときも服を直す間、毛布姿で飲み食いしたのだった。あのときは村人と一緒のお祝いで、同じ屋根の下でピアが眠っていた。
だが今、彼女はいない。
食事が一段落ついたのを見計らって、メイリが居住まいを正した。
「それでは、お聞かせいただけますか。なぜカギアギ様がこんなところにいたのか。しかもお一人で」
リンタロウは話した。ドレッドの町についてから、ドライドレッド城へ行き、矢を受けて川へ飛び込むまで。
話はうまくなかったが、メイリの的確で辛抱強い質問があったおかげで、必要なだけの情報は伝えられたと思う。
そして川に流されているうちに意識を失い、海へ出てあの洞窟へ漂着した。
(よくぞ溺れなかったものだ)
と我ながら思う。リンタロウは泳げないのだ。
「カギアギ様、矢は?」
心配そうな表情でメイリが聞いた。
「どうやら流されているときに抜けた。運よく返しのついていない鏃だったのだろう」
「いえ、そうではなく矢傷です」
「ああ、もうだいたいふさがっている。問題はないよ」
「ええっ!? だってまだ五日程度ですよ。しかも矢は一本ではありませんし、そんな短期間に治るなんて……」
「昔から怪我の治りは早いほうだった。洞窟に着いて一晩は熱を出したし」
「それにしたって早すぎます」
メイリは納得がいかない様子だ。
「傷口を見せようか?」
「えっ」
毛布を取ろうとするリンタロウを制止するように、メイリは慌てて首を横に振った。顔を赤くして視線を外しながら、
「いえいえいえそこまでは! わかりましたカギアギ様が治ったと言うなら信じます!」
ともかく、洞窟の中で熱が引いたリンタロウは焦った。意識がないうちに海まで流されたということは、飛び込んでからそれなりの時間が経っているということだ。早く城へ戻り、ピアを取り戻さねばならない。
洞窟から出ようとしたが、泳げず断念。ならばと上へ岩壁を登ろうとした。しかしオーバーハングになっているうえに岩がもろく、とうていリンタロウの四〇貫の巨体を支えられなかった。
一度通りがかった漁舟を呼んだが、トカゲの顔が災いしたのか逃げるように遠ざかっていった。
「それは網元でしょう。それでカギアギ様を魔物と間違えて犀角寺に依頼に来たんです」
「結果的にメイリ殿が来てくれたのだから、よかったと言うべきだな。ありがとう」
リンタロウは礼を言っていなかったことに気づいて、頭を下げた。
「い、いえ!」
メイリの声が裏返った。それに自分で気づいて顔を赤くする。
……咳払いを一つして、メイリは真面目な表情に戻った。
「ともあれ、怪我が治ったというのが本当でも、数日は養生しませんといけませんね」
「気遣いはありがたいが、そのような暇はない。服が戻ればすぐにドレッドへ戻らねば。メイリ殿、お使いを頼むようで申し訳ないが、馬を一頭あがなってきていただけるだろうか。金は幸い落とさずにある」
「そんな、無茶です」
「養生なら洞窟の中でした。今は時間が惜しい」
一刻も早くピアを救い出さねばならない。あの妖魔はピアを財宝に例えたことからして、殺しはしないはずだ。だが彼女が快適な状況にあるとも思えない。つくづく、洞窟での数日間が悔やまれる。
リンタロウの決意の強さは、表情がなくても十分に伝わるものであった。
しかし、メイリは譲らない。
「心配なのはわかります。けれど、ドレッドに行って、どうするのです? カギアギ様は二人を殺害した下手人と思われているのでしょう? 見つかったら捕らえられてしまいます」
それは洞窟の中でさんざん考えた。状況を打開するには、どうするか。
「なんとかしてあのエルフの妖魔に会う。そして斬る」
一つ思いついたのがそれであった。
メイリは首を横に振る。
「相手は妖魔です。刀は効きません。ご存知のはず」
「それが狙いだ」
「……?」
「衆人環視の元で斬る。斬って斬れねばそれが妖魔だ」
そうすれば、あのエルフが妖魔であると白日の下にさらされる。リンタロウが小姓殺害の下手人ではないという言葉も聞き入れてもらえるようになるだろう。
その場から妖魔が逃げたとしても、リバース藩を挙げて追い詰めることになるはずだ。リンタロウも参加し、妖魔を捕らえ、ピアの居場所をつきとめる。
妖魔に刀が効かないという特性を逆利用する発想に驚いた様子のメイリだったが、すぐに難しい表情に戻った。
「なんとかしてって、相手は城の中にいるのでしょう? 斬るどころか会えないのではないですか。それに、妖魔がリバース藩の外へ逃げたらどうするのです。藩を挙げた追跡といっても、藩境をまたがれたらどうしようもありません」
リンタロウの考えの甘いところを正確に突いてくる。まるでお説教されている気分だ。
「どうしてそのような策になるのかわかりますか? それはカギアギ様が御自分一人で行動しようと考えているからです。どうして……」
メイリは息を吸い込んで、
「ここにいるわたしに協力せよと言わないのです?」
「しかし……」
これは自分の事情であり、自分で解決するべきことではないかという逡巡がリンタロウにはあった。
メイリはその逡巡を吹き飛ばすように言った。
「わたしは信心宗武闘派の武法僧。妖魔が関係しているのならば、それはわたしたちの領分です。カギアギ様が言わぬならば、こちらから言います。先般はお断りになりましたが、もう一度お聞きします。妖魔を下すため我々に協力をお願いします!」
息が乱れるほどの勢いであった。
リンタロウは深く頭を垂れた。ありがたい。
そして、この間は口に出さなかった言葉を、リンタロウは爬虫類の歯の間から出した。
「……よろしく、お願いいたす」
「では、彼女を救い出すために互いに協力いたしましょう」
だが、ピアは今、どこにいて何をしているのだろうか?