第五話『海より山へ到る道』その四
犀角寺をメイリは一人で後にした。村人と一緒よりも『虎走』のほうが速いからだ。
村に着いたのは夕方であった。もう日暮れも近いが、すぐに村長つまり網元に事情を聞きにいくことにした。
途端にメイリは人々に囲まれた。化け物退治のお坊様が来たと、村を挙げての歓迎であった。
「お願えします、漁ができねえんじゃあおまんまの食い上げだ」
「お坊様ならやっつけて下さる。ですよね?」
「できるだけのことはしますが、結果は保証しません。案内をお願いします」
魔物の姿を見たのは網元その人であるという。一人で漁舟に乗っていたときのことだ。この村は小さな入り江にあるが、そこから外の海へ出るところに洞窟がある。そこを通る際に、見た。
「間違いねえ、ありゃあドラゴンだった」
犀角寺に来た男を更に一回り大きくしたような、屈強な網元が怖気をふるって言った。
「具体的にはどんな姿形でしたか」
「一丈半(約四・五メートル)はあった。そんでこっちをじっと見て、大きく吠えやがった。おー、おーってな」
(ドラゴンではあるまい)
とメイリは思った。ドラゴンは火の生き物であり、水は苦手とするはずだ。サイズ的にも一丈半とは、幼獣としても小さすぎる。
「ワニの可能性は?」
大きさとしてはちょうどいい。ワニは南部地方の生き物だが、まれに南方から海を渡って中央南部までやってきたという事例もある。
「ワニ?」
村人はワニを知らなかったので、メイリが姿形を説明した。
「そいつは違うな。一丈半ってのは長さじゃねえぞ。高さだ。身の丈だ。ワニは立ち上がるのかい?」
「いいえ」
では、ドラゴンではないにしても魔物であろうか。
これ以上情報は出てこないようだった。網元は一度見ただけで恐れをなして、自分だけでなく村人全員に海に出ないように言いつけたからだ。過剰反応ともとれるが、ドラゴンだと思っているのならば仕方がないことだ。ドラゴンは人を食う。最強の魔獣である。
結局、行ってみなければわかるまい。メイリは立ち上がった。
「では、洞窟へ行きましょう。誰か舟を出してくれる方はいますか」
「い、今から?」
「早いほうがよろしいのではありませんか」
「いや、しかし……」
網元や周りの人は心配そうな顔をしている。怖いのだろうか? メイリは切り込んだ。
「そのくらいの協力はしてもらわなくては、こちらとしても何もできません」
「そうじゃねえ。お坊様、アンタが大丈夫なのかって話よ」
「はい?」
「ずいぶんとお疲れのようじゃねえか」
言われてはじめて、メイリは自らの疲労を意識した。思えば、リバース藩へ来るまでの道中も合わせれば丸一日以上『虎走』を使っていたことになる。意識した途端に、鉄の鎧を着込んだように身体が重くなった。
自分が気づいていなかっただけで疲労は顔に出ていた。網元たちの心配そうな顔は、メイリの身体を気遣う表情だったのだ。
羞恥がこみ上げてくる。情けない。
「なるほど、ではお言葉に甘えさせていただきます」
動揺を顔に出すまいとしたが、どこまで成功したのかは心もとなかった。
寝所を用意してもらい、メイリは眠った。
翌朝、昇りはじめた太陽の光が波間に砕けてキラキラと輝く。小さな舟は不安定に揺れながら洞窟へ近づいていた。櫂を操るのは、網元の甥という男だ。まだ若い。口の中でぶつぶつ言っているのを聞いてみれば、魔物よけのお祈りの言葉を必死で繰り返している。怖いのは仕方がない。安心させるのがメイリの役目だ。
横付けにしてもらい、メイリは清浄棍を手に洞窟へと入る。
「ここで待ってなきゃいけませんかね……?」
不安そうに洞窟の奥を覗きつつ、甥が訊ねた。
「そうですね。少し離れていたほうが安心でしょう。声が届く範囲で」
「ありがとうごぜえます」
メイリが洞窟に上陸すると、舟は波間に離れていった。
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網元の証言は大げさだった。一丈半の怪物が入れるほど、この洞窟は大きくない。天井までせいぜい一丈といったところだ。
洞窟の中には潮だまりがそこここに残っている。満潮時には水が来るのだろう。ぬるぬるする海藻が岩にくっついていて、もし戦うとしたら足場に気をつけなければなるまい。
視力をセルフエンチャントしているので暗闇でも視界は問題ない。
穴は緩やかに上りながら右にカーブしている。この分だと奥は満潮でも乾いているはずだ。
一つ一つ確認しながらメイリは歩を進める。おそらくは魔物ではなくなんらかの動物だと思うが、万が一という事もある。また、動物だとしてもその証拠がなければ、村人はいつまでも魔物の影に怯えることになる。
仮にワニだったとしたら、そのワニを捕らえるか、ワニの痕跡を見つける必要がある。
ゆっくりと歩く。今のところ何もない。あるとすれば、カーブした先か。
メイリは聴力を上げた。
曲がった先からかすかな音が聞こえる。呼吸音らしい。何者かがいる!
小動物ではない。大きい。向こうはメイリに気づいていないようだ。
棍を構え直した。気取られないようにゆっくり……そして一気に、カーブの先へと踏み込む。
暗闇の中にいたものを見て、メイリは驚きのあまり硬直した。
網元にはこう聞くべきだった。
「そのドラゴンは刀を腰に差していましたか?」
と。
なぜ――なぜこんなところに?
「もうし」
と、洞窟の奥にいる者がメイリに気づいて声をかけた。メイリも闇の中にいるので、向こうからはメイリが見えていない。
「突然のことだが、怖がらずに聞いていただきたい。わたしは故あってここへ流れ着いたものの、泳ぎが不得手ゆえ出ることかなわず、滞留して五日になる。あなたは漁村の者だろうか。舟があるならば陸まで連れていっていただければ――」
金縛りがようやく解けたかのように、たまらずメイリは叫んだ。
「カギアギ様!」
「わたしをご存知なのか」
「わたしです、勧善寺のメイリです!」
「ああ」
納得と安堵の声をリンタロウがあげた。
「貴女か。だが、なぜここに?」
「なぜ、とはわたしのほうが言うべき言葉ではありませんか」
「確かに、そのようだ」
メイリの耳には、彼の声はやや衰えて聞こえた。五日もここにいるという話で、食事も満足に取れていないのかもしれない。
「体調のほうはいかがですか?」
「一人で歩けるくらいの力は残っている」
言葉通り、リンタロウは洞窟の奥からこちらへとやってきた。
改めて彼の姿を見て、メイリは頬を染め慎み深く目をそらした。リンタロウは上半身の服が千切れ半裸。胸までが鱗に覆われている。
腰に差した刀も一本だけで、脇差がない。
事情が気になるが、まずは安全な場所へ移ってもらおう。
メイリは洞窟の外へ出て舟を呼んだ。簡単に経緯を説明したが、網元の甥は出てきた巨大なトカゲ男を見て完全に逃げ腰だった。
「お坊様、間に入っててくだせえよ」
舟を漕ぎながらもリンタロウからなるべく距離を取りたがっている。彼を気にするあまり何度も舟が傾きかけた。だが怖がるのも無理もない。この田舎の村人は、そもそも獣還り自体を見たことがないのだ。
ただ、メイリとしては、あまり気分が良くなかった。リンタロウを過剰に怖がるのは失礼であり、リンタロウのことをよく知れば好感を持つはずだ、などと思っていた。口に出しては言わないけれども。




