第五話『海より山へ到る道』その二
ジェイド川は、ここでは北から南に流れている。この流れを遡ると川は東へ折れ、ドライドレッド城の北をかすめていき、もう一度北へ折れて源流の山脈へと続いている。下流のほうはというと、このまま南に進み、奇岩や海食洞が多い鬼の爪海岸から海へ出る。その辺りには小さな漁村が点在している。
渡し船を雇って向こう岸に着いたころには、もう日が傾きかけていた。
リバース藩のこちら側は東ヒスイの町だ。
メイリは、こっちにも別のクッキー屋台があるのを目ざとく発見した。こっちの屋台には、僧侶に助けられた知り合いはいないらしく、ごく普通にお金を払って買った。何か言われたら今度こそ人情に配慮した返事をしようと考えていたが、空振りに終わった。
あんクッキーは西ヒスイの物よりも薄く大きく、塗ってあるのもこしあんであった。
(西のほうが好みかな)
ぺろりとあんこのついた指を舐めて、再びメイリは『虎走』で駆け出した。無理をせず犀角寺に到着するペースで走る。
走っているうちに日が傾き、日が落ち、夜になって真っ暗になった。当然ながら灯り一つない。あいにくの曇りで月光も星の光もない。闇だ。メイリは慌てず、体内の清気を目にも満たす。これで夜目が利くようになった。
途中で休憩なども挟みつつ、日が出るころにメイリは犀角寺に到着した。
犀角寺はドレッドの郊外、南に丘を一つ越えたところに建っている。建立当時のリバース藩の殿様が仏教嫌いで、ドライドレッド城から見えないところに寺を建てろと命令したので、丘を隔てたところにできたといわれる。
勧善寺を小さくしたような黒塗りの寺院で、四方を壁で囲んでいる。
その正門前にメイリはいた。日の出の時刻だというのに門はまだ閉まっていた。
(規律が弛んでいるのか?)
メイリは眉根を寄せた。
犀角寺の僧たちについては、あまり良くない噂も聞く。実力があるのをいいことに、少しばかり傲慢な振る舞いがあると。
もともと武闘派は魔物と戦う使命があるために、敬虔さや学識よりも戦闘力が重視される傾向がある。悪僧が多いのだ。西ヒスイでメイリを恐れていた人がいたが、そういう理由だ。
大師の薫陶を受けた勧善寺には悪僧はいないが、それはむしろ例外なのだ。
「開門! 開門願います!」
大声で呼び、門扉を叩いた。寺の敷地内から鳥が何羽か飛び立ったがそれだけで、しばらく待っても返答がない。
メイリは壁の周囲をぐるりと回ってみたが、どの門も閉じたままであった。
正門に戻ってきてもう一度呼ぶ。でも駄目だった。
メイリの眉間に刻まれた皺が深くなる。勧善寺ならとうにみんな起きている時間だというのに。
寝坊か。
……やむを得ない。
メイリは一跳びで壁の上に乗り、そのまま犀角寺の敷地内に降り立った。内側から正門のかんぬきを抜いて開門する。
寺の中は静かで、やはり人が起きている気配はない。
僧坊へ行って、たるんだ精神ともども叩き起こしてやろうと、メイリは肩を怒らせて進む。
と、物音が聞こえる。本堂の裏からだ。鳥の羽音。鳴き声。カラスが何羽も集まっているらしい。
ひょっとしてゴミまで溜めているのかと憤慨して、メイリは本堂を回り込んだ。
角を曲がり、本堂の裏へ……。
カラスが何かに群がっている。メイリが近づくと捨て台詞のような鳴き声をあげてカラスたちは飛び立ち、隙をうかがうように上空で旋回している。
腐臭が鼻を突く。
はじめは、そこに何があるのか、よくわからなかった。
地面に棒が二本突き立っていて、その棒に何かが刺さっている。臭い、腐った何か……。メイリは息を止めて臭いに耐え、見極めようと近づいていく。
一歩、刺さっているのは肉の塊のようであった。二歩、肉の塊は一つではなくいくつかが連なっているらしい。
三歩、そこでメイリの足が止まった。
「……これは!?」
彼女の目が大きく見開かれた。血の気が失せる。何歩か退いて、ようやく息を吐いた。春の爽やかな早朝、メイリの額に嫌な汗がにじむ。
あれが何なのか理解したからだ。
「こんなことが……」
地面に立つ二本の棒は、武闘派の僧が持つ六尺の清浄棍である。それに刺さっていたのは――
半ば腐れた、人の頭だ。
それも、一〇人近くの。