第三話『雨とともに降る記憶』その九
大師がスプーンを置いた。
「改めてお二人には礼を言わねばなりませんな。お二人がおらねば拙が帰ってきたときには一面屍、ということもありえましたろう」
「ありがとうございます」
メイリの謝辞は短いながら実が籠もっていた。
「いや、ただ殴られていただけのようなもので……間に合ったのはよろこばしいことですが」
「そんな! あれだけ立っていられるだけで並ではありません。……お体の加減はどうですか?」
心配そうにメイリが聞く。
「頑丈だけがとりえです」
まだ多少痛みは残っているが、攻撃を受けた脇腹や腕もほぼ治っている。
大師が自分の頭をつるりと撫でた。
「実は最近、この地方で妖魔が増えておるようなのですな」
「我々信心宗武闘派がほとんどを降していますが」
「ほんま? 負けてたやん」
ピアが混ぜ返した。彼女は食事が終わったので、もうここには用がないみたいな態度で退屈そうにしている。
メイリが少しむっとした顔を見せたが、大師の前だからかすぐに平気な顔に戻った。
それを見ていたのかどうか、大師がピアに答える。
「昨晩のような強力な妖魔は稀なのじゃよ。そのくらいのことはわかっておるだろう、小さなエルフよ。ともかく、降した妖魔のケガレクリスタルは、拙がここのところ不在だったため寺内で保管しておったのです。メイリが言うにはおおよそ三〇個といったところで」
つまり、ケガレクリスタルを浄化できるのは、この寺では大師だけということである。
リンタロウはそれで思い出した。
「失礼、そもそもわたしがこの寺へお邪魔した理由があります。昨晩、いえその前の夜にケガレクリスタルを手に入れたので、ここで浄化してもらうために来たのです」
「それは今お持ちですか? では、あとでメイリが受け取りましょう」
「……カギアギさまが妖魔を降したのですか?」
感嘆の表情を隠さないメイリ。
「主にピアのおかげだ」
一瞬、怪訝そうにピアのほうを見たメイリだったが、昨晩の式神を思い出して、納得言ったようにうなずいた。
「なるほど陰陽師……」
「魔物退治は坊主の専売やないんやで」
「ああ、話の腰を折って申し訳ない」
続けてくださいというようにリンタロウが大師を促した。大師はうなずき、
「昨晩の妖魔はその貯まったケガレクリスタルを狙ってきたというわけなのですな。それがまあ、まんまと奪われてしまったわけで」
「失態やん」
ピアがまた口を挟む。
「こら」
「その通り、失態ですな。人死にが出なかっただけでも幸いといったところで……。昨晩この寺に侵入した妖魔は一体ではなかったわけです」
つまり、あのオイラン女妖魔は陽動であり、そちらへ耳目をひきつけている間にもう一体の妖魔がケガレクリスタルを奪った、ということだ。
(大師が戻ってこなかったら陽動の必要もなく女妖魔一人で奪えていたかもしれないな)
あの女妖魔は細工を弄するタイプではなさそうだった。陽動作戦を考えたのは他の者であろう。もう一体いたという、ケガレクリスタルを盗んでいったほうがそういう智謀タイプなのだろうか。
大師の目配せを受けてメイリが口を開いた。
「妖魔の動きに計画性のようなものが見えます」
「計画性?」
「まず、この地方に妖魔が増えたのが、大師様がここを発った直後ということ。ケガレクリスタルを奪いに来たのが、大師様の帰還直前です。まるで、手ごわい大師様がいない間に何かコトを進めようとしているように思えませんか? カギアギさま」
リンタロウはメイリの視線を受けながら、考え考え口に出した。
「ケガレクリスタルを多く手に入れるために、大師がいない時を狙ってわざと妖魔を多く放った……?」
妖魔が人を殺せばケガレクリスタルも成長する。最終的に退治されることまで織り込んで妖魔をばらまいた、ということだろうか。
「さすがです」
メイリが賞賛した。
もしかしてゴッタチ村の妖魔もそのうちの一体だったということだろうか。あれも本来ならば……ヘイスケが道を間違えなければ勧善寺の武法僧が退治していたはずだ。
「しかし、三〇体もの妖魔がいったいどこから現れたのだ?」
「そこですな」
大師がうなずいた。
「しかも使い捨てのような弱い妖魔ばかり三〇体というのは不自然極まりない。拙は、妖魔を人工的に生み出す外法が編み出されたのではないかと愚考しておるのですな」
リンタロウは魔物についての知識がほとんどない。妖魔と魔獣の区別も知らなかったくらいだ。判断を仰ぐべくピアに視線を向けた。
が、彼女も首を振った。
「聞いたことあらへん。妖魔が魔獣を増やしたことあるのは知っとるけど、妖魔は濁気が凝って自然と生まれるもんちゃうんか」
「だがそう考えなければ説明がつかんじゃろう。たしかに、すべて偶然で片付けることもできる。が、拙としては用心深い態度で事に向かう必要があるわけでな」
諭すような大師の言葉であった。ピアは不満そうながら口をつぐんだ。
リンタロウが訊ねる。
「つまり、ケガレクリスタルを盗んだもう一体の妖魔がその外法を使えるということでよろしいのですか?」
大師は首を横に振った。
「かもしれぬが、その二体だけではなく、かなり大がかりな妖魔の組織が存在すると拙らは推測しておるのですな」
話は一段先に進んだようであった。
「この度ゴートへ集まった大師は拙だけではなく、全国から来ておったので、同じように大師不在になっておった地方は少なくないわけです。不在を突かれたのがこの地方だけならばまだしも、他の地方でも同じようなことが起こっていたのならば、これは容易ならざる事態ですな」
全国各地にある信心宗武闘派の寺院と連絡を取ってみる必要がある、と大師は言う。
「先ほど各地へ鳩を飛ばしたところじゃ……が、いずれ事の全容を掴むためには寺総出で当たる必要がありましょう」
メイリも改めて姿勢を正し、リンタロウを見た。その瞳はある期待に満ちているようであった。
「カギアギ様、我々は信心宗武闘派の武法僧として、妖魔を降すために行動しています。妖魔の組織なるものが存在する疑いがあるとなれば、調査し、粉砕せねばなりません。ですが……昨晩の襲撃で多くのものが負傷してしまいました。それで……あつかましいことろではありますけど、協力をお願いできませんか!」