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第三話『雨とともに降る記憶』その四

 大きな傷ができてしまってはごまかすこともできず、ソウヤとリンタロウは帰ってきた師匠にこっぴどく叱られた。破門になっても文句は言えないところだった。だが叱責で済んだのは、二人の才能を捨てがたいと思ったからであろう。


 リンタロウは意斬りの毎日に戻った。


 変化といえば、ソウヤが稽古に熱心になった。以前のソウヤは才能任せの気まぐれなところがあって、流して稽古をするようなこともあったが、それがなくなった。真剣すぎて、ときに他の弟子が怖がるほどであった。


 だがそれはあくまで稽古のときのことで、稽古外では以前と変わらずリンタロウに接してきた。サヨの態度は、ソウヤの顔に付いた大きな傷のせいか、はじめはややぎこちなかったものの、ソウヤ自身が変わらないようすだったために、いつしか普通に戻っていた。


 友やサヨと気まずくなったらどうしようと思っていたリンタロウもほっとした。道場こそ、リンタロウのもっとも心地よい居場所なのだ。


 無断立ち会い事件が起こした波紋は微かにすぎず、元とほとんど変わらぬ日常が戻ってきた。リンタロウにはそのように思えた。

 水面の変化はわずかでも、水底で大きなうねりが起こっていることもある、ということを知らぬままに。


 リンタロウの体はさらに大きくなり、一年が経ちまた冬となった。


   ・


 その日も雨だった。


 道場を包み込む雨音を切り裂くような、門弟の気合いが間断なく聞こえてくる。

 リンタロウは道場の奥にある部屋に座していた。師匠の部屋である。正面には師匠がいて、リンタロウを鋭い視線で見やっている。


「怖かったか」

「はい」

 武士ならば恐怖などを口にするものではない、とも考えたが、師匠に嘘をつくほうが罪が重いと考えてリンタロウは素直に答えた。


 リンタロウは昨日、はじめて意斬り以外の稽古を師匠から命じられていた。「肉を斬れ」と言われて森に獣を斬りに行ったのだ。より明確に人を斬るイメージを得るために、獣であれ屍体であれ、肉を斬る経験が必要だというのが師匠の存念であった。


 それで森に行った際に、火熊と出くわす事件があったのだ。リンタロウが火熊の死体を担いで戻ってきたのは今朝になってからであった。


「最初は刃筋が乱れてまるで斬れず……」

 思い出しても情けないが、意斬りの日々は何だったのかと思うほどろくに剣が振れなかった。


 師匠が目で続きを促す。

「恐怖を消そうとしましたがうまくいかず、その……逃げ出しました」

 戦略を練るためや、心を落ち着かせるためにいったん距離を取ったとか他に言いようはあるだろうが、ここでもリンタロウはあけすけに自分の恥を言葉にした。


「ほう」

 師匠は叱責はせず、更に続きを待つ。


「追われながら思いました。それは、その……」

 うまくまとまらない。リンタロウはなんとか言葉を引っ張り出そうとした。

 道場からは門弟の気合い声が届く。


「木の根が足に引っかかるから根がなければ走りやすいのに、と思ったところで根はある。登り坂でなければ疲れないのに、と思っても坂はなくならない。怖くなければ戦えると思ったところで恐怖心はあるのです」

「続けよ」

「あるものはしかたない。ので恐怖心を持ったまま戦ってやろうと居直りました。そうしたら不思議と剣尖がぴたりと定まり、とはいえそれで一刀のもとに斬ることができたわけではないのですが、なんとか勝てました。という次第です」


 我ながら話が下手だと思うが、リンタロウはなんとか言いおおせた。

 師匠はこのあまり格好のつかない話をどう聞いただろうか。そう思って顔色をうかがうと、師匠は大きくうなずいた。


「それだ。雑念を消さずあるままに、雑駁一途の意を以て剣を振るう。できたな、カギアギ・リンタロウ」

「は、はっ」

 リンタロウは師匠に褒められた感動のまま頭を垂れた。身体がわずかに震えた。


「頭を上げよ。明日から板間で稽古するがいい」

「はい!」

 感動したままに師匠の元を辞し、稽古に戻るリンタロウ。ついに堂々と板間へ上がる日が来た。こんな顔でなければ、武士らしくもなく喜びのあまり笑みを抑えきれなかっただろう。


 師匠の部屋から道場へ戻る廊下でサヨが待っていた。

「リンタロウさん、おめでとうございます」

 聞いていたのか、知っていたのか、輝くような笑顔を向けてくれた。リンタロウの心臓が速くなる。表情も顔色も変わらないトカゲでなければ、きっと不審に思われただろう。


「か、かたじけない……」

「また」

 サヨはおかしそうに笑った。

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