第二話『妖魔降すべし』その五
最後までページをめくって、メイリは本を閉じる。
「――やはり怪しい!」
と、結論づけた。
さっきからメイリが書物をいくつも開いていたのは、調べ物をしていたからだ。この寺にあるだけの本の中から、獣還りに関する記述を漁っていたのだ。
獣はあくまで「毛物」であって、犬や猫、狼や鹿、あるいは羽毛を持つ鳥の顔をした獣還りの者の例はあるが、鱗を持つ蛇や魚、あるいは蛙など、そしてトカゲの獣還りは文献上どこにもいない。
勧善寺にはない書物に書かれている可能性はあるけれども。
ゴートにあるという大図書館にはトカゲの例が記載された書物も収蔵されているのだろうか?
その可能性は低いと思うが、メイリには判断がつかない。あのトカゲ頭は妖魔なのか、本人の言うとおり獣還りなのか。あの男は怪しい。が、怪しいとだけで処断してしまっていいものか。逆に、処断をせずに閉じ込めるだけで大丈夫だろうか。
「うーん」
メイリは一人、情けない唸り声をあげた。眉毛はへにょりと下がり、背筋も曲がってしまっている。
それに気づいて、メイリは再び姿勢と表情を正した。誰にも見られていなくても、住職代理の自分が情けない姿をさらすわけにはいかない、と生真面目に考えている。
でも、溜め息は漏れてしまう。
(わたしはまだ未熟だ……)
住職代理を務める日々は、それを痛感する日々でもあった。
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「もうついてこなくてええ言うとるのに」
ピアは寺の門前にいた。厄介なことに、ミョウドウもついてきている。正門は閉まったままである。
「そういうわけにはいきません。見張れと言われているので」
「ウチに見つかっとんのに見張り続けるんか。……なら聞くけどな、リンタロウはどこや? どっから入ったら早い?」
「ええ? そんなこと言ったら……言ったら、まずいのでは?」
「ミョウドウ、あんた嘘つきか? 嘘つきちゃうよな。せやったら、ほら、ほんまのことを言えばええやん。さっきも言ったやろ、それが正しい教えやで」
「そ、そうだったかな……?」
「フモウゴカイいうやつやろ? それともウチを寺に入れるなとでも命令されとるか?」
「いえ、見張ることだけで……」
「なら構わんやろ。な、ミョウドウ。ウチを助ける思て」
可愛らしく上目遣いでお願いのポーズ。
ミョウドウはそのポーズのせいか、それとも単に口車に乗せられたか、ピアの要望どおりリンタロウのいる座禅堂に近い門へと彼女を案内した。
「……あっちです」
「えらいっ。さすが勧善寺やで」
ピアが大げさに褒めると、ミョウドウは照れたように青く剃られた頭を掻いた。
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――二人の姿が正門付近から消えてから間もなく、正門の前に現れた者がいた。その歩いた跡には黒紫の光が残り、少しして消えていく。
その者は閉まったままの頑丈な門に手を添えるや、にやりと笑って拳を振り上げた。
一撃!
頑丈な閂を渡してある門扉が、ひとたまりもなく折れ砕けた。恐るべき剛力である。
その者は開いた門から、破片を踏み砕き、蹴り折りながら、境内へと侵入した。
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メイリは不審げな視線を宙にさまよわせた。にわかに外の空気がざわつく気配があったのだ。
アドウが、今度は許しを得ることなく部屋の戸を開けて、転がるような勢いで入ってきた。よほど気が動転している様子だ。メイリは腰を浮かした。
「どうした! あのトカゲ頭が何か……?」
「ち、違います!」
正門の方角で大きな破壊音がした。
「妖魔が侵入してきました!」
「なんだと」
メイリの脳裏に浮かんだのは、トカゲ頭と呼応しての襲撃ではないか、という懸念だった。ミョウドウも帰ってきていないし、門前町の少女という話とも何か関係があるかもしれない。
(なんでわたしが代理のときに厄介ごとが固まってやってくるのか……!)
「若院様」
考え込んでしまうところだったメイリは、アドウの声に我に返った。
「考えるところがおぬしの長所、考えすぎるところが短所だのう」
大師様に言われた言葉が思い出された。
焦る気持ちをなんとか抑えて、冷静さを取り戻そうとする。
この場合真っ先に対処すべきは、侵入してきた妖魔だ。
「行くぞ」
「はい!」
「妖魔降すべし」
「妖魔降すべし!」
二人、合掌して、騒ぎが起きている正門方向へと走る。
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裏門からこっそり潜入中のピアは、思わず耳をそばだてた。
「な、なんや?」
さっきまでいた正門のほうで大きな破壊音がしたのだ。にわかに寺全体が慌しい気配に包まれたようだ。なんらかの緊急事態が起きたに違いない。
ミョウドウも動転している。不安なのか、なぜか監視対象であるはずのピアのほうへ体を寄せてきた。
ピアはそこで閃いた。
「今の音がしたほう行ったほうがええんちゃうか。なんや一大事が起きとるんちゃうん」
この小坊主を追い払えるんじゃないかと思ったのだ。
「でも監視をしないと……」
「そんなこと言っとる場合なんか? あの音はただごとやないで」
ミョウドウは確かに正門のほうが気になっているようで、意識が半分以上そっちへ行っているみたいな挙動で、しかしここを立ち去りかねて迷っている。
しばらく押し問答していたが、
「なら、向こう見にいって、無事やったらまたウチの監視に戻ってきたらええやん」
「な、なるほど。……わかった。なんでもなかったらすぐ戻ってきます」
「おー、急いだほうがええで」
お辞儀を一つ残して、ミョウドウは去っていった。
手を振って見ていたピアであったが、彼の姿が消えるとしれっと表情を切り替えた。
「けっこう時間使ってもうたな。……ま、純真なぼんをだまくらかすのは気ぃ引けるけど、戻ってくるまでここにいる言うた憶えもないし」
ピアは、単独行動を開始した。
「さて、囚われのリンタロウ姫はどこや」