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クーゲルの温泉開発(その一)

 夜、月が軌道の最高点に着き周りが一番明るい時、クーゲルは蒼い飛竜の背中から城の空中広場に飛び降りた。当然そこには彼の帰還を待ち侘びる皇帝と近衛騎士団の姿が居た。


「クーゲル、知らせの一つもせずにフラワル伯の領地に行ったな?」


「覚悟はできています、父上」


 声は威厳に溢れるが、皇帝の顔色は厳しいワケではない、それでも自分の非だと知っているからクーゲルは大人しく跪いて、自分と同じ色の眸からの睥睨ヘイゲイを受け入れた。


「よい、それより、フラワル嬢の様子はどうだった、目立った変化はあるか」


「え?特に…あっ、あぁそうだ、夫人は『ウカ』が始まったって……」


「ウカだと?」


 ウカという言葉を聞いた途端、皇帝の目は大きく開き、そして彼は『ウカ』を小声で繰り返し沈思に陥った。


「ウカ、ウカ…羽化が、始まった、か……」


 冷静の様に見えるが、皇帝の胸の中は実はざわざわしている——一夜いちやにして国を滅ぼす女の娘、母親の力を引いてないと助かるのだが……


 防具も着けず、護衛も連れず、ただ最前線に聳えモンスターの軍勢を号令し、絶対的な暴力で敵を蹂躙する——あの魔女の後ろ姿は十五年経っても、忘れたくても、忘れられない——人類の存亡を一念で左右しる、クラリスはそういう存在だと彼は確信した。


「父上?」


 クーゲルの呼びかけで皇帝は過去の記憶から気をそらし、周りの騎士たちをちらっと見て息をつけた。


「今日は疲れたのであろう、もう遅いから休むといい。ロンディア、クーゲルを護送せよ。」


「はっ」


 命を受けて、タツビトな近衛騎士団長は皇帝の隣から前に出て、違和感を覚えたクーゲルを連れ去った。


「魔女の娘か…できれば引き入れたいが、簡単には行かないだろうな……」


 クラリスにあだ名を付けたのは皇帝やフランシスだけではないし、ののしる意も無い。旧世代エルフ王族の討伐作戦に参加した各家の当主は畏怖を胸に、それぞれクラリスに称号をつけた——ヒト族の『魔女』とエルフの『女王』を始めに、オニの『神子みこ』、ドワーフの『死神しにがみ』、そしてタツビトの『竜帝ロンディー』——どれも各自の文化では最も敬意を払うべき、又は恐るべき称号である。


 とは言え、フランシスという死を恐れぬ奇人きじん以外、クラリスの前ではみんな彼女の事をフラワル夫人と呼ぶし、彼女を利用しようとする者はいない。理由は別に『クラリスの力を利用したいと思った者が無い』では無く、滅国の力を見せられた後『万が一相手が不快に思った』という恐怖が皆の胸の中に植えられた事にある。


 クーゲルを気に入れてくれるとよいが……——そう呟いながらクーゲルの父、人間の盟主は自分の寝室の方へ足を運んで行った。


 一方自分の部屋に戻ったクーゲルはベッドに倒れた。一日中二回も飛竜に乗って遠出した疲れもあるけど、それより彼はベアトリスの体の変化が悩ましくてしょうがない。


「殿下、まだお悩みがございますでしょうか。」


 黒い鱗に覆われた尻尾をゆらりと振りながらロンディアはベッドの横へ寄り、腰をかがんで無表情のクーゲルを見た。


「あぁ……フラワル夫人は平気だって言ったけど、やっぱり心配で…あ、そうだ——」


 そしたら彼は体を上げてロンディアの目を見つめて問いかけた。


「な、お前はフラワル夫人と肩を並んだことあるようだし、なんか心当たりはないか?」


「心当たり……ですか」


 五大種族の中で一番の強さを誇るタツビトの精鋭戦士として、ロンディアは将校として旧世代エルフ王族の討伐戦を参加した。ただ、彼女はクラリスと肩を並んでいない、単に、モンスターの軍勢の指揮を取りエルフの戦術を次々と粉砕していくクラリスの姿を後ろから眺めていた。


 六百年もの時を送って来た彼女にとっては天災も見慣れた光景だけど、クラリスは違う——あれは天災の比じゃない——ロンディアはそう思っている


 天災は規則があるし予測もできる、その上天災は街を狙っているわけではない。でもクラリスは違う、彼女は人間の知恵を備えた上に天災と同等の影響力を持つ存在、つまり彼女が望めば文明なんてあっという間に滅びてしまう


 相手への関心を顔に書いたような若君の質問を答えたいけど、そもそも戦場から離れたクラリスをロンディアはあまり知らない。すると当然に、相手の娘に関する事にも心当たりはない


「申し訳ありません…」


「そうか…まあいい、下がっていいぞ、もう寝る。」


 あまり希望を抱いていないから、クーゲルはあっさりと話題を閉めた。不安はあるけど、この事に関してはフラワル夫人を信じるしかないと彼は理解しているし、長きに渡る飛行による疲れですでにガス欠だから考える気力もない。


 とにかく強くなるんだ、あいつの笑顔を守るためにも——心の中で自分にそう告げながら、クーゲルは眠りに落ちた。


。。。。。。


 翌朝、残った疲労を消し汚れを洗うために、クーゲルは城の地下にある帝族専用浴場で体を洗い、温泉に入った。


「あ゛〜やっぱこれはいい、あいつにも入らせてみたいな〜」


 体を鍛え、バルフェングの世話をし、ギルドのクエスト報告に目を通し、モンスターの習性や特徴を含めた図鑑を作り、工房に行って依頼の進み具合を伺う——それがベアトリスの日常だとアンナから聞いた途端、クーゲルはショックを受けた——こんなの役人と大して変わらないとじゃないか、俺より幼いのに……


「…毎日あんなに働いて、そりゃ体調を崩すわけだな…」


 心の中の考えを小声で言い出しながら、少年は力を抜いて体を自然に浮かせた。その挙動で水面は上がり、熱湯も池から溢れ出し水音を立てた。


 …よしっ——しばらく経ったらクーゲルは心を決めて池から立ち上がり、侍女たちに着替えの服を着せられたあと、真っ直ぐと階段を登り始めた。地面への階段を登りつめた先に、故郷の話をしながら掃除するヒト族の執事とタツビト族の女中各数人がいた。


「そういえばあんたたちの故郷は確か西部なんだっけ、あの辺は華やかな建物が多くてオシャレなんだよね〜いいな〜」


「そういうムーシアさんたちの故郷こそ、自然と文明が程良く調和されてて風光明媚と聞いてるぞ、いつか行ってみたいな〜」


「なんだよ、そっちと比べればうちらの故郷なんてただの田舎じゃん」


「それはどうだろう、こっちの生活は忙しいくて周りを見る暇なんてないからさ」


 役人たちは陽気で溢れている、しかし階段を登って来たクーゲルの姿を見た途端彼らは瞬く間に声と表情を収め、クーゲルの気に障らないようにぼちぼちと仕事を続けた。


 頭は良くないけどクーゲルはバカではない、昔の自分がよく気に入らない役人をサンドバッグにしたから、みんな彼の前では沈黙する事になったくらいは分かっている。フラワル邸で泊まる経験で彼はきちんと成長している。


「止まる必要はない、どうせ城の中は退屈だ、職務をきちんとすれば構わん」


『え?あっあぁはい……』


 そう言い残して通り去って行くクーゲルの後ろ姿を見て、役人たちは自分の耳を疑った。


「…さっきのは…クーゲル殿下?今なんて…」


「先輩がたは理不尽な方だってよく言ってるけど、今のはどう見ても…」


「ああそうだ!、一年前フラワル領から戻った後まるで別人だって小耳に挟んだよ、ひょっとしたら…」


「ムーシアさんもそれを?どうやら噂は本当だったんだな……」


 役人たちが議論している間、クーゲルはもう二層への階段の入り口に着き、そこで巡回で降りて来た四名の騎士に出会した。騎士たちは向こうに立つ者の顔を見たそばから階段の左右に整列し、道を開けた。


「おはようございます、殿下っ」


「うん、ご苦労」


 騎士たちの敬礼に対し、クーゲルはうなずけて開かれた道を歩み、騎士たちの中を通って行った。足音が聞こえなくなった後、騎士たちは一息つけて巡回を続けた。


「さっきのはクーゲル殿下…だよな」


「ああ、あの方で間違いない」


 階段から降りてから数歩の後、列の中で一番若く見えるヒト族の兵士は好奇で他に問いかけ、それに対し列の一番先で歩いている中年模様のオニの士官が答えた。


「思ったのと全然違うな……入隊の前は、我儘で帝族の風格に欠けた方だと聞いたけど…」


「口を慎め、新人、帝族の名声を汚すのは重罪であるぞ」


「すんません…!」


「いいから集中しろ、次はない」


「はい!」


 若い兵士を注意しながら、中年のオニは昔のあの少年の姿を思い出した——六歳になって帝城から離れる前なら、確かに部下の言う通りだった、だがしかし一年が過ぎ去ったら呼び戻されたあの方はもう違う。何を経験したのか分からないがこれだけは言える、今のあの方は、皇子の名に恥じない。


。。。。。。


 一方、城の第五層まで登ったクーゲルは廊下を辿り、皇帝の執務室の外についた。


「父上は中に居るか?相談したいことがある」


「かしこまりました、では少々お待ちを」


 しばらく経ったら、中に入った門衛は扉を開いた。それを入っていい合図と見なし、クーゲルは執務室の中に入り、文書の山の中に座っている父に挨拶をかけた。


「おはようございます、父上」


「あと少しで一区切りだ、好きにかけたまえ。」


 昨日と比べ、皇帝の声に親しみがあり、君主というより父親としてクーゲルに話しかけている。何の話なのかはわからないが、父の穏やかな雰囲気を感じた八歳の少年は父の言う通りにし、接客用のソファーに座って父の手元の作業が一段落するのを待ち構えた。


 そういえば、父上が働いているところは初めて見たな、この量を一日で終わらせるのか——丁重に文書を読んで筆を運び、力強く印鑑をつけて横に畳む、時に眉を寄せて手を顎につけ、時に顔を解れて口角を吊り上げる、はじめて父のそんな姿を目にするクーゲルは思わず、心の中で彼をもう一人の人物と重ねた。


 なんとなく父上と似てるな、ベアトリスは——模擬試合で敗れた後、クーゲルは技を盗むためにフラワル家に泊まった。そうすれば当然に、本を読んでメモを取るベアトリスの姿を幾度も目にした。あの時はまだそれをくだらない事だと思っていたが、モンスター退治や対人戦闘のことで言い負かされた後、彼のそう言う考えも完全に無くなった。

 

「すまんなクーゲル、せっかく自ら来てくれたのに」


「うえ?あぁ、いえ、父上は多忙だから仕方ないかと」


 クーゲルからの気遣いの言葉を聞いて、書類仕事を一段落して机の後ろから出て来た皇帝の顔に愉悦の色が現れた。


「ふっ…だいぶ成長したな、嬉しいぞ」


「え?えと…」


 ここは普通「〇〇さまのご指導のたまものです」と返すべきだが、クーゲルは誰だと言うべきかに迷った——第一、彼は礼儀の先生を持っていない、それは父にも知れている事、第二、父も母も兄弟も彼に礼儀を教えていない。そして彼は気付いた、自分が守っているマナーのほとんどはフラワル邸に泊まる時、ベアトリスに叩き込まれたってことを。


 自分より幼い女の子からマナーを教わったとかあり得なくね?——そう思ったクーゲルは何を言うべきかに迷い、いつの間にか耳と頬が赤くなった。そんな息子の当惑する様を見て、皇帝は笑い出した。


「ふふっ、お世辞をしなくて良いさ、そのマナーはフラワル夫人に教わったのであろう?」


「え?あっああ…」


 自分のプライドを守るためにも、本当は違うけどクーゲルは父の推測を肯定した。他からすればクラリスに教わった方が信憑性があるし、ベアトリスはこのくらいのことを気に掛ける者じゃないとクーゲルは言い切れる。


「せっかくの二人きりだし、旅先での見聞をじっくり聞かせてくれないか——と言いたいところだが、見ての通りだ、すまんな」——ゆっくり話す意を放ちながら彼は残念そうな目で文書の小山をちらっと見て、苦笑して再び顔を解れた。


「それで話は?」


「あっそうだ。」——用を聞かれ、クーゲルは慌てて、来る目的を思い出した。


「実はフラワル家に行こうと思うんだ」


「なぜだ?フラワル嬢は無事だと聞いたが」


「えと…」


 たしかにおかしいよな…えと…あっそうだ、前に行った火山!火山といえば温泉だ!——父に心を読まれた少年の顔はぱっと赤くなり、そして閃いた事で適当な理由を作って話を返した。


「そっちもあるけど…実は 温泉を発掘しようと思うんだ、アインハイゼの北に火山があるし、近くに温泉がある可能性は高い。毎日命をかけて戦うハンターと軍隊にとって、温泉に入れるのはいいんじゃないかと」


「なるほど…」——下手な照れ隠しを前に、皇帝は思わず心の中で笑い出した——こいつめ、何を考えてるんだか、温泉地を開発したいのならプロに任せたほうが良かろうに…まあいい、自分から何かをしたいと言ったのは初めてだし、好きにしてやろう。


「うん、よかろう、このあと手紙を送って手配するよう伝えておく、何か他はあるか?」


「いいえ…ごめん父上、忙しい中なのに邪魔して」


「良いのだ、これしきどうってことない、詫びるのなら相手をフラワル伯にするのだな。」


 手紙一つ書くくらい容易い、それと比べて皇子を接待するのは大仕事だ、前はクーゲルが勝手に行ったから準備する暇もなかったが、本来なら伯が直に迎えるのが最低限の礼儀なのだからな——沈黙したクーゲルを見て、皇帝は心の中で笑った。


「それで本当に他の頼みはないのか、たとえば若い女の子が好きそうな手みやげは?」


「それは…いいです、あいつはそう言う物に興味ないので……これ以上は公務の邪魔になるし、俺はこの辺で引き下げます」


「うむ、よかろう」


 もう完全に心を奪われたようだな…まあ相手の母親があの魔女なのだから分からなくもないが…——辞儀をしてドアを抜けるクーゲルの後ろ姿を見ながら、皇帝は息をつけて昔を思い出した——十五年前と比べて、クラリスの見た目ほとんど変わっていないが、雰囲気に関しては全くの別人。


 今のクラリスが清らかで淑やかに振る舞っているぶん、昔のクラリスは人を深淵に誘い込む色香いろかをお構い無しにぶっ放していた。もちろん自ら誘惑して来るわけではなく、単にいるだけでみんな心を奪われるからである。あの横顔と襟首を見た途端心が乱れて半年間も静まらない経験、十五年も経ったことにかかわらずはっきり覚えている。


 あの娘の意思は分からないが、父たる者、息子を助らねばなるまい——そう思いながら、皇帝は机の後ろに戻り、再び筆を手にてフラワル伯への手紙を書き始めた。


。。。。。。


 四日後、空は曇りの一つもなくどこまでも澄んでいるが、アインハイゼの周辺や上空にはモンスターの影一つすら見当たらず、毎日フラワル邸の庭で駆け比べする白狼の双子も珍しく厩舎に引き篭もった。


 この時フラワル家の会客室で、ジークフリートの顔は明らかに不機嫌。理由はもちろん己の娘を狙う男児への不満、それと対しクラリスはいつも通り淑やかである、けど——


「あれだけ女性向けのアクセサリーを送って来るなんて、どうやら殿下はうちの子をよほど気に入っていますね〜」——話をしながら微笑みを向けられているが、クーゲルの背中は既に汗いっぱいになっている。


 あの圧は親譲りだったんかよ……!——昔経験したベアトリスの圧にも本能的に屈服したが、クラリスからの圧はメドューサの睥睨のように、クーゲルを其処に釘付けたのである。


「……まあ、あの子の具合が気になる気持ちは分かるので、屋敷に泊まる事は許可いたしましょう」


 クラリスの承諾が降りた同時に、クーゲルの首を絞めるような威圧は少しずつ引いていき、少年も慎重に動きし始めた。


「ただし——」


 白髪の貴婦人が再び語気を凛と引き締める瞬間、弛み始めた少年の精神も再び締められた。


「ベアトリスの休養を差し支えたら、フラワル領から駆逐されることを覚悟なさい」


「安心してくれ、そんなことは絶対にしないから」——もとからベアトリスの体調が心配だから来たものだから、もちろんクーゲルは相手の休養を妨げる真似をするわけない。それに、アインハイゼに来た理由は他にもう一つある。


「それに、今回は他の用事もあるんだ。」


「それは分かっていますわ、温泉開発ですわね。まあ、それはこちらも賛成なので、ハンターギルドの人手を支配できる様ある程度の権限は与えましょう。地元のハンターの補佐が必要ならギルドに行くといいわ。」


「あっああ、ありがとう……」——この時のクーゲルはすでに慌て始めた。なんせ温泉開発なんて一時の恥ずかしさを隠すための言い訳で、温泉開発への認識は『火山がある場所では温泉がある可能性がある』に過ぎない、そんな自分が温泉開発をしようなんて夢物語と何も変わらない。


 はあ…もう気を引き締まるしかないか——そう思いながら、少年は領主夫婦に辞儀をし、手配された客室に向かったのだった。

皆さん、生活色々お疲れ様です、銀魚です


今回は前の3倍の速さで更新できました、自分でさえ不思議に思えます、詳しいメモを立てるとこんなに早く出来るんですね……これはきっと物書きのコツを掴めてきたからでしょう笑


まあ本来の話と随分異なった展開になりましたが、きっとこっちの方が面白い話になると僕は確信してます。それでは次回もお楽しみに!

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