迫ってくる暗雲
戻ってきたゼルの身に纏っている装備は彼にピッタリ似合っている一式。
最初に目をつける部位と云えば、魔物の甲殻が付いていて、小さな盾が付いた様な通常より一回り大きい左の籠手。
全体を見れば、胸甲と腰当てがなく、代わりに左の肩甲が付いた。クレアとは違い、武器を握りやすい様に処理をとおした革手袋も着いている。
着装者は鍛冶師とは云え達人の印象が強く、ゼルの巨体と合わさって「戦いに慣れた勇猛な傭兵』と云うイメージが浮き上がり、いきなり引き締まったように見えた。
「ん?なんだ?この格好がめずらしいのか?」
「いいえ…雰囲気が普段と違うなーって……そういえば、ゼルさんも戦えるの?」
「まあーな、一応義父と義母から技の一つや二つ教わったから、人や小型モンスターなら潰す方法は知ってるぜ?」
(なるほど、サブジョブか……って、メインが鍛冶師でサブが傭兵って何の組み合わせ?ふつう鑑定士とか商人とかがお約束じゃないの?っていうか、なんでこんなゲームみたいな考えしてんだ俺、これゲームじゃないし……)
「それじゃあ、演示よろしくね。」
「ああ、任せな。」
クレアに答えながら、ゼルは野太刀を取り上げた。その野太刀はゼルの巨体にも劣らない長さで鞘もいない、と言うより、戦場ではこのサイズの大刀の鞘は足手纏いになる故、放棄された。
それを持ち上げて、ゼルは数歩先のマトに寄って行き、武器を構えた。
「それにしても、その……モンスターゲットと云う呼び方は何方さまが決めたんですか……?」
ベアトリスの疑問を、クレアが少しの間記憶を遡って答えた。
「そうね……みんなの投票で名付けたのっ。『樽々君』と名付けたかったけど、うちはそう云うジョーク好きなやつ多くて……男の人って変だな、あの名前のどこが面白いの……?まあ一応壊れたら私が考えた名前をつけると約束したけど、頑丈なんだよな……あれ。」
(やっぱりダジャレか!)
「……大変そうですね……」
「うーうん、もう慣れたよ、三年前の話だし。」
(よし、あのモンスター…ターゲットを壊せるかどうかやってみよう……)
二人の会話と同時に、ゼルは野太刀で『モンスターゲット』の頭と前足に刻み目を入れた。あの発達な広背筋とコアにより繰り出す豪快な斬撃と共に、酒樽から少しだけ木が刎ねられる。
それ以外にも沢山の痕跡がいる、数から見れば、ここの武器一本一本がそのようなテストを行われた。ああいうテストを行うのが必須なら、不良品が門を出る可能性は薄い。
(しかし良い筋力してるな…しっかり腰を使っているとは言え、あんなバランスの悪いデカブツよく振り回せる……鬼族はパワーを誇ると聞いたけど、これほどとはな……クレアといい、こっちの人間の身体能力は間違えなく向こうより数段上だな。)
そう思う間に、ゼルは野太刀の演示を終え、それを担いでこの場に寄ってきた。
「ほら見てみ、あれほど乱暴に使われても刃毀れしなかったし、まだ切れ味が保ってる、すげえだろう?」
「はい、良いものを拝見させていただきました。」
ベアトリスの称賛を受けたゼルはすぐ高ぶってって、野太刀を地面に突き刺さった。
「そーりゃ俺が打ったもんだからな〜これくらい当たり前だぜ〜」
そこにクレアが厭きれた顔で突っ込んだ。
「当たり前なことなら自慢しないでよね〜、ほら次はハルバードでしょう?早くやんなさい。」
「へいへいわかったよー。」
「あの…」
「どうしたんですか?お嬢さま。」
「あそこの諸刃を使ってみても良い?」
「っ!……もちろんです!ゼル、戻って。」
「えっ?嬢ちゃんが武器を使うのか……大丈夫なのか?」
「本当は傷付けたらいけないから客には大振りさせちゃいけないけど、せっかくお嬢さまから頼んだし……いいじゃない?」
(えっ…えー、ダメだったらダメって言えよな……)
「いいのいいの、ルールを守るのは大切でしょ?」
「いいえ、お嬢さまの気持ちも大事です!」
「え?何でそんな話に…どうしてそう云う話になるの?」
クレアの話が意外だった故、ベアトリスは思わず「恵」を一瞬漏らした。
「出会った頃からたまに、お嬢さまの目から切なさを感じるわ。私とダンを見る時は特に……!あんな『やりたい事があった』みたいな目……!」
激しい顔と語気でそう語ったクレアを見ると、ベアトリスもふと気づいた。
(えっと……つまり、感情の動きが目に丸出しだったのか。んんん……今後はバレないようにお媛さま笑顔の常時維持を練習しないと……それからそうだな…、よし、まあ誤解じゃないけど、一応うまいこと言ってごまかすか。)
すると、ベアトリスはできるだけ晴れた声でクレアに述べた。
「え…っとね、そんなに私を意識しなくてもいいの、ちょっと『羨ましいな』と思っただけですから、気にしないで。」
「そんなこと言わないでください……騎士候補だって騎士です、主人の安泰を望まない騎士なんて騎士失格……今の私は弱い、こんな事しかできない、でも……!」
決然した顔でその考えを一文字ずつ吐き出すクレアの目に一切の迷いはない、言いながら跪いたから、今彼女の頭はベアトリスより少し低い。
「私は心底お嬢さまのお役に立ちたいと思っているんです、命の恩人はいくら報ってもしきれません。お嬢さまのためなら、死ねと言われても文句は言いません。私の命はお嬢さまが救ったものだから……!」
必死に言いながら、クレアは頭を下げて眉を手背に置き、最高レベルの騎士礼を行った。これでクレアの主張を知ったベアトリスは少し動揺し、その後いつものお媛さま笑みでクレアの頭を撫でた。
(「命の恩人」、っかあ。『炎帝』の時は相手の経験不足だと思えるんだけどなあ………丸腰の幼女の睨み付きぐらいで退けるのはあれっきりになるだろう…でも、確かにギブアンドテイクは人間社会の仕来りだけど、命を預かれるのはちょっと……)
「気遣ってくれてありがとう、その気持ちがあれば十分ですから、起きてください。手首を傷んだばかりだから、ゆっくりね。」
「いいえ、お嬢さまの為になれないと良心が疼きます!」
(カッタイなあ…、失礼な話だけどさすが鍛冶屋の娘って言うか、納得できるまで譲ってくれないのかな。困ったな……んん……あっ、そう言えば鍛冶屋の娘だよな…よし。)
「じゃあ、新しい依頼の手伝いをしてもらえるかな?」
「はい!お任せを!」
圧縮していたばねが解き放たれるように、ベアトリスの頼みを耳に入れたクレアは頭を跳ね上がって、晴れた顔になった。
「じゃっ、私は武器試しに行くから、ソファーに座って待ってて。クレイナさんも座っていても構わないよ。」
「ご厚意恐れ入ります。」「ありがたきお言葉。」
と二人は言いながら躊躇なく……立っていた。なぜ鍛冶工房の中庭にソファーがいるかと言えば、ベアトリスが来るようになった後の話になる。
ベアトリスのような貴賓を長く立たせないように、クレアは父を説得してソファーと日傘を買って工房の中庭に設置した。ソファー自体に座ったことはないが、ベアトリスはよく日傘の下で日光を避けるため、形式だけでもソファーはあった方がいいとクレアは言い張った。
そう云う経緯はもちろんベアトリスの耳に入っていない、彼女が知っているのはなぜか雰囲気の合わないソファーと日傘が現れたことだけ。座っていいとは言われたものの、やはり鍛冶工房の中庭で花の彫刻と紋様のあるソファーに座るのはあまりにも気まずいが故、自ら遠慮した。
そう云うわけで、あのソファーは買われて一年は経っているが、まだ誰にも使わらず、必要な洗浄作業を施された以外完全に新品である。
(やっぱ二人も気まずいと思うのかな……まあとにかく、工房の連中には悪いが、このモンスターゲット、ぶっ壊してみるか……!)
そう思いながら、斬首剣を取って酒樽の詰まった荷馬車の前に立った。そこから最初にしたのは構えではなく別の動き。前世の武道練習、その前に行うあの習慣的な動き——挨拶のお辞儀。
そこからベアトリスの顔は一気に引き締めた、神より授けた最高スペックの一つ、人間離れの豪力を初めて全力で物に打つける時が来た。
(武器の長さと身長の比例から見るとちょっと使いにくいかも、でもあれを壊すには多分これくらいじゃないとダメだし、いっかあ……刺突技じゃあ多分破壊力無いし、せめて刀身や柄が壊れなければいいけど……!)
胸の中でそう黙念したベアトリスは先ず日本剣術の中の基礎的な技の一つ、右袈裟斬りに類似する型を構えた。なぜ類似かと言えば、一・今のウィングスパンでは前世のように剣を舞よらせることはできない、二・今の足の構えは基礎と真逆——右袈裟なのに、左足を前に置いている、普通の刀でそのまま振ったら自分の足を傷つけるかもしれん。
しかしベアトリスが右足を踏み出して斬首剣を振り下ろした瞬間、手から伝えたのは、「安心して其の儘行ってもいい」——柄から抵抗は感じるものの、切っ先が精確に刀身の中心に居るおかげか、酒樽を両断した刀身は其の儘真っ直ぐ地面にめり込み、真空波まで起こした。
ベアトリス自身は驚いたが、それはこの斬首剣の作りの良さに対する驚き。モンスターゲットが両断された光景を目にした三人の愕然は別方面に対するものだ。
「……おいおいおい……、あそこの酒樽って武器素材としてもに有名な穿竜木でできてんだぞ……それをああも容易く切れんのかよ……」
「あの力、まるでモンスター……お嬢さまって、いったい……」
ゼルとクレイナの独り言と同時に、工房外の道路の向こう側にいる民居、その屋上で毛布を干している女性が屋内に戻った……そして工房の中庭にて、ベアトリスは斬首剣を戻し、詫びしようと三人に寄って行った。
「は……」
「すみません、ちょっと力入れ過ぎたみたい……」
「……え?あっ、いいのいいの!酒樽と馬車は新しい物を買えばいいから、全然平気だよ。」
ずっと両断されたターゲットを見つめて呆然と立っていたクレアの意識はベアトリスの言葉でやっと引き戻された。あまりにも衝撃的だったか、彼女の気はあの散らばった木片と両断されたフレームに吸われていた。
「これで次のターゲットの名前は『樽々君』、ね?」
「あっ、はぁ……っ!はい♪」
「ターゲットも壊れたし、今日はこの辺にしよっか。私も今日のトレーニングに戻らなきゃ。」
「そうですね、ではまたお会いしましょう〜クレアさん、ゼルさん、依頼の品物もよろしくね」
「おう!任せな!」
ベアトリスが工房から離れると同時に、いつもの人間拡声器に戻ったゼルの声はいつも通り自信で溢れている。フラワルの令嬢が馬車に乗るまで目送したゼルとクレアは馬車が視野から消えた後、二人は小声で話し合った。
「なあ、あの嬢ちゃんと一年も付き合ってきたけど、今の所どう思うんだ?」
「どうって、あの方の役に立ちたいと思ってるだけよ。」
「そうゆうことじゃねえよ、人として如何なのかと聞いてんだ……」
「うっ……どう言う意味?」
「なんとなくおかしく思うんだ、いつもはただの可愛い嬢ちゃんなのに、する事が令嬢らしくないって言うか……ばねの依頼を受けた時は遊び程度ですぐ厭きるかと思ったが、意外と進度を見に来るし、設計図まで出してくれる。しかも鍛治についても一定の知識がありそうだし、どこぞの商会代表と話し合ってるような違和感がするぞ……」
「確かに、前々から思うけど、話を理解できるし、何が可能で何が不可能なのかもちゃんと弁えてる、しかも不必要な干渉をして来ない、理想的な客だ…けど、子供として、どこか子供らしさが欠けたような……フラワル家の教育っていったい……」
「恐らく相当だろう……伯だとは言え、クオーターズでも軽視できない大貴族だ。それ相当の教育を受けているんだろう……だが古来、新たな統治者に恐れられるのは才のある功臣や貴族、だから権力交替の後必ず潰しに行く。いくら人民の支持があっても、君臣関係にいる限りそんなの無意味だ。種族が如何とかそんなもんじゃねえ、権力確立のために必ず行われるからな。」
「…あんた鍛治以外興味なかったんじゃないのか?いきなりどういう意味よその話。」
「すまん、無駄話だ、気にしないでくれ。」
「じゃあ新しい依頼だ、」
「へいへいっ。」
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一方、馬車の中で入院中のダンを見舞いに行くと決めたベアトリスは次の目的地が病院だと御者に伝え、馬車を大通りに出させた。
此度の出行、なるべく下町に紛れ込んで注目されないように、ベアトリスは食材や日用品を仕入れに行く侍者たちの荷馬車に乗り、街に入った後、隊がいつも使っている人気の少ない裏通りで手配された別の客用馬車に乗り換えた、しかも数回。
此れに往復のタイミングに時間の制限が有るしと手数もかかる、しかし王公や貴族がお忍びで出かけたいのならこのような手を使いせざるを得ない。幾ら目立たないように動いてもベアトリスのように侍女と御者一人で出歩ける事はない。
「お嬢さま、本当によろしいのでしょうか?護衛なしで表通りなんて、こんな客用馬車だとすぐ気つかれるんじゃないでは……」
「それは問題ないわ、外を見てみて?」
「はあ……」
こちらの世界の一般的客用馬車の窓はガラスではなくシャッターを用いっている。何故ならここでは透明ガラスは開発に成功したばかりの貴重品、その価格は質の良い宝石にひとしいし、シート状のガラスは広く流通してない。加えて酷い震盪のせいでガラスが割ってしまう故、路面で走っている客用馬車は王公が下町を巡視する時に使う豪華客車以外、ガラスを使わん。
ベアトリスの話を聞いてシャッターの隙間から外を覗くクレイナが目にしたのはほぼ規格の近い馬車。一定の間隔で規格の似た馬車が通りすがって行き、偶に布告板のある場所でそれが止めて人や貨物が出入れする光景。
「これは一体……」
「これは最近帝都の学術界で提出された新しい運輸システム、最近アインハイゼで実験を始めたの、これをカモフラージュとして使わせてもらったわ。」
「なるほど……」
二人が話す中、馬車は病院の前についた、そしてその入り口の反対側にハンターの入り口がいる——最も負傷しやすい職業の一つとして、重傷を負ったハンターは絶対優先で病院の施設を利用できる権利を保障されている。その上ハンターギルドはグランドスクエアーの近くにいる。場所が八方通達だから、ハンターにも民衆にも便利で利用率が高い。
馬車から降りた二人は真っ直ぐ病院の中に入って、受付からダンの病室の場所を聞いて訪ねに行った。ダンの部屋の前で止まったベアトリスはドアにノックした、すると中からあの男の声が通した。
「どうぞ!」
門を開いて見たら、そこからダンが見当たらないが、とにかく二人は中に入った。しかし部屋の中に誰もいないから、ベアトリスは声を出してダンに呼びかけた。
「ダンさーん、どこですかー?」
「その声って……お嬢さま!?ちょっと待ってくれ!」
ダンの声はトイレの中から出てきた、ある意味これは双方にとっても最悪のタイミングだ。その後、トイレから出てきたダンの顔は慌てから意外に変えた。
「どうしたんですかお嬢さまっ……って、姉ちゃん……」
「久しぶりね、ダン。入院した報告を渡さなかった理由は何か、後でじっくり聞かせてもらうわよ。」
「……ごめん。」
「責め立てるつもりはないよ。入院するほどの傷を負ったら、手紙を書く余裕も無いのはわかってるから。でもあなたは十八歳の立派な大人よ、近況報告くらい寄越しなさい。あと、一年ぶりに会えた弟に話したい事は山ほどあるから、覚悟しなさい。」
「えっ?でもお嬢さまが……」
「あっ……申し訳ありませんお嬢さま、愚弟に用があったのでしょうか……?」
この姉弟を見て、病床の横にいる椅子に座っていたベアトリスは笑った。しかし今の笑みにダンとクレアを見る時のような遺憾の気持ちはほぼ無くなった……もちろんそれは消えたわけでは無い、ただ、思い出が浮かぶ時に湧く温もりが遺憾を上回っただけだ。
(祖父母が父さんと母さんの事を語る時に綻ぶ、あの温かくて優しい笑顔、あれはこういう事だったんだな……後はゼルに感謝しないとっ。)
唯二の肉親を同時に失う事は当然心を押し潰すほどの痛み。実際、恵はそれに耐えきれず自害した。しかしゼルの言葉で、恵は目を遺憾という気持ちから背け、転じて思い出がもたらす温もりと現在の境遇に感謝できるようになった。
「……お嬢さま?お嬢さま?」
「えっ?、なに?どうしたの?」
自分の世界に入っていたベアトリスは何も言わず、ただ笑顔で姉弟を見ていた。そして心配そうな顔で自分を見えている姉弟の姿が目に映してからようやく呼ばれていることに気付いた。
「あの、愚弟に用があったのでしょうか?」
「それでしたら特に無いわ。強いて言うのなら、ダンさんの退院を先に祝っておくことかしらね。」
「アザっスお嬢!」
「こらダン、いつもそんな口調でお嬢さまに話してるの?」
「良いの良いの、其の儘でいいわ。今日は押し付けで来たし、他人もいないし、そんな硬いこと言わなくても良いわよ。」
「……寛大なお言葉、感謝致します。」
当たり前のように一侍女である自分と弟を友人として見なす年下の主人を前に、クレイナの気持ちは微妙だった。
「そろそろ時間だから先に帰りますわ、クレイナさんはダンさんと話したい事たくさんあるんでしょう?馬車を手配するように言っておくわ。お母様の方は私が敷衍するから、ゆっくりしてて良いよ。」
そう言い残して、ベアトリスは極自然な動きで病室から出て行った。あまりに躊躇のない動きだったため、初めてベアトリスの側をつくクレイナはボーッとして反応が遅れていた。
「え?え?お嬢さま?!」
門から抜け出したクレイナはベアトリスの姿を捉えれなかった。病院の廊下に響き渡るのは主人を見失った焦りに身を焦がされるクレイナの慌てた呼び掛けだけだった。




