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説得屋  作者: 阿波野治
8/22

続・山野レイの尾行

 たった今、時刻は午前九時半を回った。チャンネルは情報バラエティ番組で、ニュースコーナーがはじまった。コーメイが興味を持てないジャンルだ。食事のあいだ、目の寂しさを慰めるための点けているだけなので、リモコンには手を伸ばさない。

 コーメイは事務所ではないほうのアパートの六畳間で、ジャンボサイズのミルクプリンを食べている。山野レイの尾行に備えて体力を蓄えておくためだ。

 若い女性アナウンサーが、いきなりコーメイたちが住む県の名前を口にしたので、思わずスプーンが虚空で止まった。

 関西の私立大学で開かれているオープンキャンパスに向かっていた高速バスが、高速道路を走行中に横転し、運転手の男性が死亡、乗客の高校生十二名と保護者一名が重軽傷を負う、という事故が今朝発生したらしい。

「保護者一名……」

 ミルク味のプリンの甘さを舌の上で味わいながら、自らの高校三年生のころを思い返す。もう十五年以上も前の話だ。

 大学進学を考える人間の御多分に漏れず、コーメイも何校かのオープンキャンパスに参加した。大学生活に憧れは抱いておらず、根が怠惰なので、行くのはひどく面倒くさかった。それでも足を運んだのは、オープンキャンパスへの参加は、進路を決めるにあたって不可欠といってもいいから、足を運ばなければ余計に面倒くさい事態になるかもしれない、という懸念があったからに他ならない。

 大学へは単身で赴いた。都会の交通網は複雑だから、案内役の人間がいれば楽だろう。田舎生まれ田舎育ちのコーメイはそう考えたが、実際には全て一人でこなした。親に頼るという選択肢は、念頭には浮かべたものの、本格的に検討はしなかった。面倒くさがりであるがゆえに、他人任せにすることも多かった彼ではあるが、十八歳はそのような姿勢から卒業する年齢だ、面倒でも自力で道を切り拓くしかない、という認識だった。

 自他ともに認める怠惰な性格であるコーメイでさえも、考えかたを根本的に改めようとした年齢に達しているにもかかわらず、保護者の同伴を必要とした高校生もいる。

 心身に障害を抱えていて他者の介助が必要など、やむを得ない事情を抱えている可能性もある。否定的な目で見るのは間違っていると、頭では分かっている。

 それでもコーメイは、この問題について考えこんでしまう。

 テーコは、保護者の付き添いを必要とする高校三年生になるだろうか? 頭がよく、一人でできることは一人でこなそうとするタイプだが、非社交的で大人しい性格だから、声を大にして否定はできない。

 一人でもできることは一人でこなそうとする。

 果たしてそれは、強さというべきなのか、弱さというべきなのか。

 テーコにまつわる諸問題について思索しているうちに、自宅を発たなければならない時間になった。いつの間にか情報番組は終わり、テレビショッピングがはじまっている。種々のポジティブな効果が期待できるオールインワン化粧品を、髪型と服装が古くさい二人組の中年女性が、語彙の限りを尽くして宣伝している。

「さて、仕事仕事っと」

 プリンの空き容器をゴミ袋に捨て、金属製のスプーンはシンクの洗い桶に入れる。たかがスプーン一本、三十秒もあれば洗ってしまえる。三十秒時間をロスしても、少々早足で歩くだけで遅れは取り戻せる。

 しかし、洗うのは後回しにする。

 ようするに、それが牧岡コーメイという男だ。


 午前十時きっかりに自宅を出る。

 最寄りの駅に直行し、各駅停車に乗り、二駅以上離れた駅で下車。

 町を逍遥。公園などがあれば立ち寄り、ベンチに腰かけて時間を潰すことが多い。最低五分、最高約一時間半。

 午後一時前後、コンビニエンスストアやスーパーマーケットで昼食を購入、イートインスペース、もしくは公園に移動して食事。店の近所に公園があった場合は、必ずそちらを利用する。おにぎり一個と緑茶。おにぎりの種類は日によって異なり、緑茶は少し飲んだだけでゴミ箱に捨ててしまう。

 食後、公園での食事だった場合はしばし居座ったのち、イートインスペースの場合はすぐさま店を出て、再度町を逍遥。

 午後三時半頃、駅に引き返す。自宅から遠い場所にある駅で下りた日には、少し早めに駅に戻る。

 午後五時過ぎ、帰宅。

 山野レイは、以上のスケジュールに則って活動する。

 行動パターンが定まっているので、イレギュラーだった山野リコと比べて、あとをつけるのは格段に楽だ。テーコと二人で尾行したときは見失うという失態を犯したが、そのようなミスは二度と起こらないだろう。

 終日自室に引きこもっていてもおかしくないような、妹以上に濃密な負のオーラを発散している山野レイが、毎日飽きもせずに、あてどもなく歩き回る理由は定かではない。実母のルルカが見当もつかないと言っていたのに、赤の他人のコーメイに分かるはずもない。

 死に場所を探しているのだろうか?

 そうも考えたが、遅々とした歩みながらも、信号待ちなどの場合を除いて、束の間立ち止まることすらなく歩きつづける山野レイは、なんらかの目論みを胸に秘めているようには見えない。生きる希望を失った人間が、生きる気力も死ぬ気力もないがゆえに、亡霊のようにさ迷い歩いている。そんな印象を受けるばかりだ。

 その山野レイが、尾行七日目にして初めて、行動パターンから外れた行動を取った。

 これまでで最も遠い駅で下車すると、大型ホームセンターの店内に足を踏み入れ、ロープを購入したのだ。材質は定かではないが、たっぷりと長さがある、細く頑丈そうなロープを。

「おいおい、面白すぎるだろ」

 思わず笑ってしまったが、笑えない事態が訪れる瞬間が近づきつつあることに、疑いの余地はなかった。

 自殺をなにがなんでも阻止してほしいと依頼されていたならば、コーメイは山野レイに駆け寄って肩を叩いていたかもしれない。しかし山野ルルカからは、尾行中に自殺を決行しようとしたら制止してほしい、と申し渡されただけだ。契約にはない行動をとってまで人助けをするほど、コーメイはお人好しではないし、仕事熱心でもない。契約に従い、見失うか、帰宅するまで山野レイのあとをつけ、午後十時までに山野ルルカに報告のメールを送信する。それだけだ。

「……しかし、山野さんも」

 我が子が自殺しようとしているんだから、もっと積極的に動くように俺に要請すればいいのに。山野レイ本人と直接対話をして説得に当たらせるとか、尾行中に異変を感じたら即刻連絡を入れさせるようにするとか、策ならばいろいろとあるだろうに。依頼内容と予算にもよるが、要望に沿った対応をとれるよう最大限努力すると、面談のさいにちゃんと説明したのだが。

 ファミリーレストランにいるときにかかってきた電話からは、娘の死に強いショックを受けたようには感じられなかった。翌日に送られてきたメールでは、娘の死を悲しんではいたが、どこか作り物くさい文面だった。

 仮にも金を払って依頼したのに、我が子の死に対して淡泊すぎる。山野ルルカは明らかに「普通」から逸脱している。

 コーメイは基本的に、クライアントはしょせん他人だと認識している。しかし、山野家との付き合いも三週間に及び、彼らに人間的な関心を抱きはじめていた。

 しょせんは他人。事実の上でそれは揺るぎない。関心が深まることはあっても、契約を無視した行動に走ることはない。これまではそうだったのだから、今回もきっとそうだ。

「……だと思うんだけどねぇ」

 山野レイは駅舎に入った。古びた木造の無人駅で、山野レイを除けば利用者はいない。コーメイは出入口すぐ外の木陰から様子を窺う。山野家方面へと向かう電車が駅に到着するまで、約五分。

 山野レイはひどく大儀そうに切符を購入し、待合室の長椅子に腰を下ろした。おそらくは自分を殺す用に使われるだろう代物が入ったレジ袋を手に、項垂れたように座る姿は、燃え尽きたボクサーのようでもあり、疲れきった定年間近のサラリーマンのようでもある。陰鬱な表情をたたえた顔は老けて見えるが、まだ十六歳。命を諦めるには早すぎる年齢だ。

 脈絡なく、ニュースで見たバス事故のことを思い出した。

 オープンキャンパスに向かっていた高校生たちは、十七歳か十八歳だから、レイやリコとほぼ同年代だ。乗客の中の唯一の保護者は、コーメイや綾香よりも少し上だろうか。では、死亡した運転手は? 少なくとも高校生たちよりも年上だろう。高速バスの運転手の定年が何歳かは知らないが、初老と呼ぶのが適当な年齢――高齢を理由に、なにかを諦めてもおかしくない年齢だった可能性もある。

「……まさか」

 事故死したバスの運転手は、自殺願望を持っていたのでは?

 そのとき、耳障りなまでに甲高いブレーキ音を響かせながら、電車がホームに滑りこんできた。

 それを見て、あるいは聞いて、山野レイがゆらりと立ち上がった。

 目的の便が到着次第、乗車準備に取りかかるように予めプログラミングされていたかのような、なにかが壊れた挙動だった。

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