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説得屋  作者: 阿波野治
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山野リコの自殺①

 覚悟していたよりも遥かに重々しい音が響いた。

 血や、肉や、その他諸々を四方八方に飛び散らせて、山野リコは微動だにしない。

 十二階建てのビルの屋上から飛び降りたのだから、脈拍をたしかめてみる必要はないだろう。

「……勘弁してくれよ。これから昼飯を食おうってときに」

 コーメイはため息をつき、側頭部をかく。

 さほど背丈が高くないビルが林立する、駅前から近い現在地周辺は、現在人通りは途絶えている。誰かに目撃されていれば、より面倒くさいことになっていただろうから、まだましなほうだ。そう前向きに考えなければ、やっていられない。人が死ぬというのは、そういうものだ。

 ジーンズのポケットの中でスマホが震えた。取り出してディスプレイを確認すると、発信者はテーコだ。

「もしもし。どうかした?」

「山野リコは?」

 か細く、抑揚に乏しい少女の声が、単刀直入に問うた。

 テーコがいる世界では音楽が流れている。耳を澄ませてみて、「八百屋のたいなか」のテーマソングだと判明した。野菜を食べると体にいい、という趣旨の歌詞の、底抜けに明るいメロディが特徴的な歌だ。

 コーメイは息を呑み、山野リコが飛び降りた雑居ビルを仰いだ。そして、頭の中で地図を広げる。

 視線の先にある雑居ビルは、界隈に建つ建物の中ではもっとも高い。「八百屋のたいなか」近くの路上からビルの方を見たならば、屋上の様子がおぼろげながらも視認できるはずだ。

「……テーコ。もしかして、山野リコが飛び降りる場面、見た?」

「もう死んだんでしょ。気になるから、様子を教えて」

「死んだけど、だめです。十三歳には刺激が強すぎる」

「まだ十二だけど」

「じゃあ、余計にだめ。先にファミレスに行って、食べてなよ。おなか減ったって言ってたよね」

「教えてくれたら行く」

「簡単に説明すると、右脚がL字型定規みたいになってる。全体的に言うと、トマトだな。潰れたトマト。はい、もうおしまい。じゃあ、五分後くらいにね」

 食い下がってくる気配を感じたが、通話を切った。ため息を吐き、スマホを仕舞おうとして、はたと気がつく。

「ああ、そうか。連絡を入れておかないと」

 119番に電話をかけ、必要事項を速やかに伝える。それに続いて、依頼者である山野ルルカ宛のメールをしたため、送信。今度こそジーンズのポケットに押しこみ、小さく息を吐く。

「さてと、腹ごしらえといきますか」

 飛び散った赤を踏まないように気をつけながら、現場をあとにする。


 自動ドアを潜ってすぐの場所、簡易なベンチの端にテーコが腰かけている。

 柔らかなドアベルの音色に反応し、自らの膝を見ていた顔が持ち上がった。見慣れた無表情は、コーメイの姿を認めても変化しない。「遅いよ」と頬を膨らませるでも、無事に店に辿り着いたことに安堵するでもなく、叔父の顔をじっと見つめる。

「満席なんだ。日曜日だから?」

「分からないけど、多分そう。でも、待っているのはわたしが最後だから」

「そっか。不幸中の幸いってやつだね」

 隣に腰を下ろし、体を斜めにして姪の方を向く。テーコは白い肌と好対照の、肩の長さの黒髪を無意識のように撫でた。

「それにしても、腹減ったな。テーコはなに食べたい? もう決めてる?」

「山野リコは」

「電話で伝えたとおりだよ。それ以上の情報は十五禁だから、三年後にでも訊いて」

「でも、知りたい。トマトっていう比喩を使っていたけど、具体的にどんな感じ? 内臓は出た? 赤いの?」

「ちょっと、ナポリタンを食べる予定なのに思い出させないで。叔父さんもグロ耐性はまあまああるけど、スーパーマンじゃない」

「山野リコの内臓は? 脳味噌は飛び出たの? 頭蓋骨はぱっくり割れた?」

 コーメイの軽口を無視しての質問攻め。どうやら本気で知りたいらしい。

 テーコは年齢を重ねるにつれて、残酷だったり、危険だったり、怪しげだったりする事象や物事に対する興味を深めている。中学生になったのを境に、その傾向に拍車がかかった。雑居ビルの屋上に立つ山野リコと相対したときも、飛び降りる場面を見たいと駄々をこねて、コーメイを手こずらせた。時が経ち、場所を変えたにもかかわらず熱が冷めていないのだから、願望の強さは並大抵ではない。

 弱りましたね、これは。

 後頭部を軽くかきむしったところで、バイブ音が聞こえた。コーメイのスマホだ。

 ポケットから取り出し、発信者を確認して、思わず声を漏らしてしまった。山野ルルカからだ。

 テーコは叔父の表情を観察している。聞き耳も立てているに違いない。やれやれ、と思いながら電話に出る。

「お世話になっております、説得屋です。山野さん、どうされました?」

 山野リコは救急車で病院に搬送されたのち、死亡が確認された、という報告だった。娘を永遠に失った悲しみ。尾行の依頼を引き受けながら、みすみす自殺を許したコーメイに対する怒り。そのどちらも感じられない、淡々とした口振りだ。

 山野ルルカには、山野リコへの説得を依頼されたさいに面談を実施したが、情緒面に欠陥がある人間という印象はなかった。感情を抑制したしゃべり方をする人ではあったが、娘の死を聞かされれば、誰だって少なからず心が乱れるものだ。大金を支払ってまで他人にすがったのだから、娘を失いたくない気持ちは相当強かったはず。

 この沈着冷静な振る舞い、どう解釈すればいいのだろう。自殺を仄めかしていたとはいえ、突然であることには間違いない娘の死をすんなりとは受け入れられず、ある種の放心状態に陥っているのだろうか? それとも――。

 いくつかの必要事項についてやりとりを交わし、山野ルルカとの会話は終わった。見計らったように、ウエイトレスが空席が生じた旨を伝えに来たので、テーコともどもベンチから立つ。

 案内されたのは、店内のほぼ中央の二人がけの座席。コーメイは、若鶏のグリルとエビフライのセットとライスの大盛りとスパゲティカルボナーラを、テーコはカレーピラフを、それぞれ注文した。

「自殺死体なんて見ちゃうと、さすがに肉が食えなくなるね」

 去りゆくウエイトレスの背中を見送りながら、コーメイはセルフサービスの水を一気にグラスの半分ほど飲んだ。

「叔父さん、自分が注文したものを忘れたの」

 テーコはおしぼりで入念に手を拭きながら、ドリンクバーに長々と留まっている家族連れを眺めている。

「食欲が減退したっていう意味であって、一口も食べられなくなったわけじゃないから。考えてもみろよ、テーコ。叔父さんが飯を食えなかったことって、ある? ないでしょ。太陽が西の空から昇るくらい有り得ない」

「炭水化物と炭水化物」

「俺にとってスパゲティは副菜に過ぎないからね。断じて主食ではないのだよ、主食では」

「かわいそう」

 テーコは無感情につぶやいて、すみれ色のスマホを触りはじめた。山野リコの遺体に対する欲求はひとまず鞘に納めてくれたらしい。

「テーコ。注文を追加したいなら、どしどししてもいいからな。残念な結果にはなったけど、とりあえず仕事は終わりってことで、打ち上げみたいなものだから」

「そんなに食欲ない」

「少なくない? カレーピラフだけって」

「そんなことない」

「エビフライ、一本あげようか」

「いらない」

「じゃあ、スパゲティ半分いる? あ、やっぱ三分の一にして」

「炭水化物と炭水化物」

「そう毛嫌いしなくてもいいじゃない。痩せている人ってさ、デブは炭水化物が好き、デブは炭水化物が好きって散々馬鹿にするけど、デブと炭水化物に対するヘイトがちょっときつすぎない? 被害妄想かな」

 先にカレーピラフが運ばれてきた。テーコはスマホをブラウスの胸ポケットに押しこみ、さっそく食事に入る。食い入るように見つめていると、心底嫌そうな顔をされたので、悪意がないことをほほ笑みで示してから注目を外した。ほどなくコーメイのぶんも到着したので、フォークとナイフを手にする。

 歩き回って空腹だっただけに、食は進んだ。山野リコの件が蒸し返されることがないおかげで、会話も弾む。心から楽しいと思える食事時間が流れていく。

 しかし、テーコと同年代らしき五人組の少女が入店したことで、テーブルの空気は一変する。

「テーブルは四人がけだから、五人だと一人余っちゃうね。どうするのかな」

 コーメイが彼女たちを話題に取り上げたことに、深い意味はない。たまたま視界に入ったから、言及してみた。ただそれだけのこと。

「二席占領するのか、無理矢理五人座るのか。どっちだろうね?」

 紙ナプキンで軽く口元を拭い、テーコは五人のほうを振り向いた。瞬間、彼女は凍りついた。スプーンを動かす手も、カレーピラフを咀嚼していた口も。

「テーコ?」

 コーメイが声をかけると、テーコは我に返ったらしい表情を見せた。顔の向きをピラフの皿に戻し、食事を再開する。

 以降のテーコは、五人をしきりに気にするようになった。よそ見をするせいで、たびたび料理がテーブルの上にこぼれる。普段の行儀のよさを思えば、明らかに異常だ。

「テーコ。もしかして、あの子たちと知り合い?」

「うん。クラスメイト」

 言葉少なに答えたテーコの表情は、浮かない。良好な関係を築いている相手ではないらしい。

 五人とのあいだになにがあったのかを、コーメイは知る由もない。テーコの性格を考えれば、尋ねたとしても簡単には答えてくれないだろう。

 大きくカットした若鶏に、しょうゆ味のソースをたっぷりとつけて口に運び、咀嚼しながら思案する。どう対応するのが一番テーコのためになるだろう?

「――よしっ。テーコ、店を出ようか」

 若鶏を嚥下し、コーメイは毅然とした口調で告げた。一口ぶんには少なすぎるカレーピラフをすくったスプーンが虚空に停止し、驚きに包まれた顔が叔父を見返した。コーメイは森羅万象を肯定するように大らかに微笑する。

「テーコ、なんか楽しくなさそうな感じじゃない。だったら、無理にこの場で食事を続ける必要はないよ。出よう、出よう」

 グラスの水を飲み干して立ち上がり、伝票を手にしたところで、テーコに袖を掴まれた。

「叔父さん、待って。……どうして」

「理由なら言ったばかりじゃない。食事なら別のところでするし、もちろん、俺の奢りだから安心して」

「……せっかく注文したのに」

「金はちゃんと払うんだから、残したって構うもんか。ほら、行こうぜ」

 テーコは袖から手を離し、腰を上げた。逡巡するように立ち尽くしたが、すぐにコーメイの後ろに従った。

 精算しているあいだ、テーコは五人の方ばかり気にしていた。

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