誘惑的な危機
昨夜王都郊外にて、とある富豪が所有する邸宅が炎上した。
炎は瞬く間に屋敷全体を舐め尽くし、消火活動をする間もなく家屋は崩落。原因究明は困難を極めることが予想された。
「ま、原因なんか調べなくても放火だってことは間違いないがな」
「いやそりゃそうでしょうけどね。このデカさの屋敷が数時間で燃え尽きるなんて、赤魔術でなきゃ無理でしょう。それもかなりの使い手だ」
時刻は正午。火災が鎮火してから少し経ったころ、衛視隊から派遣された捜査員たちが焼け落ちた屋敷で現場検証を行っていた。
「過去視の魔術もバッチリ妨害されてる。大人数が侵入した痕跡も脱出した痕跡もなし。残された死体はおそらく12人分。ただし焼け焦げて全部身元不明。屋敷の規模からもっと人数はいたはずだが、残りの人間が逃げたのか連れ去られたのかも不明。わけがわからんな」
「手際がいいとかそういう次元の問題じゃないですねこれ。赤魔術と青魔術が使われたのは間違いないとして、犯人の人数も手口もろくにわからない」
「まあこの屋敷の持ち主はノリエガの野郎だ。他の組織がカチコミかけてきたってのが一番ありそうだな」
「そりゃそうなんですけどね。けどこんなことできる組織が王都周辺にいますかね。ノリエガ一家ってけこう武闘派でしょ」
「そうなんだよなぁ」
年嵩の捜査員がバリバリと頭を掻く。捜査が行き詰った時の彼の癖だ。今回は最初から行き詰っている。
「こりゃあれですかね。魔女の仕業とか」
雰囲気を変えるためか、軽い調子で若い捜査員が言い放つ。
「あん?」
「ほら、ディバド教じゃ黒魔法使いの女を魔女って言うらしいじゃないですか」
「知らねぇよ。俺ぁ先祖代々リスタ教徒だ。リスタ教には魔女も聖女もいねぇ」
「んなデカい声で言っちゃマズいですって。一応俺らこないだからディバド教徒ってことになってんですから」
「だいたい、なんで魔女なんだよ。男かも知れねぇじゃねぇか」
「そりゃそうですね。なんでだろ。俺もまた聞きなんでよく知らないんですよね」
「ああもういい! 無駄話やめてとっとと現場検証進めるぞ!」
年嵩の捜査員が苛立ちを露わにする。彼は敗戦からずっとこんな調子だ。別に戦争で身内に不幸があったというわけでもないはずだが。
「へーい」
若い捜査員がやる気なさげに答える。彼も敗戦からずっとこんな調子だ。別に愛国者というわけでもないはずだが。
調子の出ない捜査員たちの現場検証は、結局翌日までかかった。ろくな成果もないままに。
王都郊外で起こった火災の一報が王宮にもたらされたのは、火災の翌朝のことだった。
正午頃には鎮火の報が届けられ、現場の様子がある程度伝えられた。
屋敷の持ち主がノリエガという富豪であること。屋敷が全焼していること。生き残った関係者が見当たらないこと等だ。
ただ国政を預かるような王族や大臣であれば、ノリエガの行っていた事業がなんであるかを知らぬはずもない。
善良な事業主の一族を不幸が見舞ったのならともかく、王都の闇に巣食う害虫が駆除されただけだ。事件の背後関係さえしっかり調査すれば問題ないだろう。
とはいえ現場の状況から、手がかりが犯人によって丹念に消されているのは間違いない。捜査員からの詳細な報告を見てから方針を定めるべきだ。
そのような見解で、王城は事件の捜査を見守る構えに入った。王城の中で数少ない、心当たりのある者たち以外は。
サルバドル=デ=ファニアはロベルタ=デ=レアルとの邂逅から、常に彼女のことを考えていた。
サルバドルは一応王族の一員である。そのため、ある程度以上の水準で勉学や鍛錬の義務を課されている。
ただしもうすぐ入学する予定の貴族院の基準で言えば、既に一年次と二年次の内容は終えている状態だ。
そのため勉学にせよ鍛錬にせよ、毎日欠かさず朝から夕方まで行う必要はない。
その点を強く主張することでサルバドルは城の図書室への自由な立ち入り許可をもぎ取り、自由時間には自分の選んだ学問に励むことが多かった。
そして昨日からはひたすらレアル家と黒魔法使いについて調べていたのだ。
(とはいえ黒魔法使いについての資料はほとんど存在していないな)
魔法使いは色を問わず、およそ70年周期で生まれてくる。一つの色につき一人と言われているが、例外的に二人生まれた周期も存在したようだ。
そして前回と前々回の周期において、黒魔法使いはファニア王国の外で生まれていた。しかも前回は聖ランツ教国で生まれていたため、黒魔法使いに覚醒してすぐ火刑に処されている。
そういった事情もあり、黒魔法使いの実態を知ることができる資料はほとんど存在しなかった。
(かといって、レアル家についての資料も豊富とは言い難い)
レアル家は200年前に輩出した黒魔法使いが後年に亡くなってから、ずっと鳴かず飛ばずの状態だった。
しかも100年ほど前までは伯爵位にあったのに、墓地の管理不行き届きを咎められて男爵位まで降爵されている。
(これはおそらく、秘密通路の崩落が原因だろう)
サルバドルはその特異な境遇から、王位継承権を持たないにも関わらず王家に伝わる口伝の類を教えられていた。
おそらく何年も前から聖ランツ教国との戦争の気配があったため、万が一にも敗戦によって王位継承権者が全員処刑された場合に備えてのことだろう。
結果として敗れこそしたが優劣はそこまで明確についたわけでもなかったため、教国側も王位継承権者の処刑まで踏み切ることはなかったが。
(いずれにせよ、これでは彼女について新しい情報は何も得られないな)
サルバドルは一昨日から、ずっとロベルタについて考えていた。
一人の少年が同年代の美しい少女と出会い、これほどまでに固執する理由。それは普通に考えれば恋であろう。
だがこの場合は違った。明確に違った。サルバドルがロベルタに抱いた感情は違和感と危機感が九割を占めていた。
あの夜、突然現れたロベルタとの間にあった会話はわずかだ。直後に暗殺者に襲われたこともあり、ロベルタの性格についてはほぼ未知だと言える。
だが強烈な違和感はあった。出会った瞬間からロベルタはサルバドルにあまりにも強い忠誠を寄せているように見えたのだ。
サルバドルとて王家の一員である。他者の忠誠を受けることには慣れていた。
だが信頼関係や親愛の感情を育む前から強い忠誠を向けられたことはない。ましてあれほどの情念を内包した忠誠など見たことすらない。
その上であの能力だ。魔法使いは覚醒した瞬間から途轍もない能力を発揮するというが、彼女は黒魔法を迷いなく使いこなしていた。
昨日や今日に覚醒してああなるとは思えない。おそらく魔法使いとして覚醒したのが早かったのだろう。
それはすなわち彼女の魔力が魔法使いとしても多いということを意味する。
そもそも、伝承の通りであれば黒魔法使いである彼女には一国を揺るがすほどの力があるのだ。
だからこそ、彼女の忠誠を受け入れるのは危険だとサルバドルは考えていた。
サルバドルは昔から諦めるのが得意だ。
サルバドルは小さな頃から優秀だった。
だがその優秀さを見えるところで発揮してはいけないと言われた。
同い年の従兄弟であり、実際は甥である第二王子のバレンティンより優秀であると示すことは歓迎されなかったからだ。
サルバドルは将来の自由を求めた。
だがサルバドルの将来は王が決めると言われた。
将来王弟として国王に仕えるであろうバレンティンより功績をあげ、その地位を脅かすことを危惧されたからだ。
サルバドルは発揮する場のない勉学や鍛錬からの解放を求めた。
だが許されなかった。
万が一の事態のため、王位継承権を持つ者と同等の教育を義務付けられたからだ。
サルバドルは自身の生い立ちを公表することを望んだ。
だがそれは絶対に許されなかった。
先王と王家の名誉を著しく損ねる上、ディバド教会に付け入る隙を与えるからだ。
サルバドルは全てを諦めてきた。諦めざるを得なかった。
彼の人生にはその足を引っ張り、腕を縛り、頭を押さえるモノが多すぎる。
それでいて敗戦によって情勢が変わると、ディバド教会の目を気にして暗殺者まで送られて来る始末。
このような暴走を許しているのはひとえに王家が舐められているからだ。そして実際に暴走を防げないほど弱体化しているからだ。
サルバドルにとってはファニア王国もディバド教会も等しく邪魔だった。排除する力がサルバドルに無いからこそ諦めていたのだ。
その力が手の届くところにある。もし手に入れてしまえばサルバドルは自分を制御できる自信がなかった。
これが、この誘惑が危険でないはずがない。
大きな溜息をつきながら手にした本を閉じる。先走ってしまったが、あの少女がまた自分の元を訪れると決まっているわけではないのだ。これ以上考えるのはやめておこう。
手にした本を書架にしまうべく席を立つ。司書に任せてもいいのだが、まだ同じ棚に手がかりになりそうな本があるかも知れない。
その時、何かの資料を探しにきた官吏たちの噂話が聞こえてきた。
内容は王都郊外にあるノリエガという富豪の屋敷が全焼したというものだ。
サルバドルはノリエガ一家がどういう組織か知っていた。当たり前だ。一昨日襲撃してきた暗殺者の死霊が、そこに所属していたと自白したのだから。
官吏たちの噂によると、屋敷は青魔術によって捜査妨害がなされており、さらに赤魔術によって効率的に放火されていたらしい。そして犯人はおろか生き残りすら一人も見つかっていないという。
そこまで聞いた瞬間、サルバドルは確信した。やったのはロベルタだ。間違いない。
おそらくノリエガ一家は皆殺しになったのだろう。なんのために。
決まっている。一昨日見たではないか。死霊から情報を得るためだ。
では情報を得たあと、彼女はどういう行動に出る?
そのまま首謀者に制裁を加える可能性もあるが、情報をサルバドルのもとに持ってくるかもしれない。
いや、たとえ制裁を優先したとしても、最終的には一度サルバドルの元に来るだろう。
近い内にもう一度彼女に会うことは確実だ。そう思うと恐怖とよく似た感情で体が震えた。