悲劇的な襲撃
サルバドルの生い立ちを正確に知る者はごく限られている。
国王夫妻と特に信頼の厚い侍従や侍女、近衛騎士などだ。王子ですら成人するまでは情報を伏せられているし、政治利用を避けるために大臣たちも正確なところは知らない。
だが当時の状況を知る者はある程度いたし、そこから推測して真相にたどり着いた者も少数ながら存在していた。
そういった者からすれば、サルバドルはファニア王国の弱点である。ディバド教会に付け入る隙を与えないよう、真相が暴かれる前に始末しようと考えても不思議ではない。
それがわかっているからこそ、敗戦を期にサルバドルは自分の身の回りから戦えない者を遠ざけた。近い内に暗殺者が送り込まれてくると予想したからだ。
サルバドル自身はある程度戦えるが、いかんせん10歳の少年にすぎない。本職の暗殺者が送りこまれればひとたまりもないだろう。どうせ死ぬのならば巻き添えは少ないほうがいい。
だがサルバドルにとっても暗殺者にとっても、ロベルタの存在は完全な予想外だった。
溶けかけていた氷の無表情が、一瞬で引き締まる。不穏な気配を察知したことで平常心を取り戻したようだ。
部屋の外、隣室に二人、廊下に二人、窓の外に一人。気配の消し方からして、使用人ということはあり得ない。近衛の兵士ならこの期に及んで気配など消さないだろう。おそらくは職業的な暗殺者だ。
ロベルタはサルバドルの様子を伺う。少年もまた周囲の気配の変化に気付いたらしい。先ほどまでの戸惑いが消え、表情が凛と引き締まった。思わず胸が鳴る。
「囲まれたか」
サルバドルが囁く。声音に緊張感は漲っているが、恐怖は感じられない。おそらく、このようなことは初めてではないのだろう。
「巻き込んでしまったな。すまない」
それどころか不躾な訪問者である自分を気遣う余裕まである。これはいけない。胸の高鳴りが止まらない。
ここは一つ、いいところを見せなければ。
「お任せを」
そう囁き返しつつ音もなく立ち上がる。幼い頃から礼法を叩き込まれてきたが、今ほど全身に気を張ったことはない。体が勝手に完璧な所作を取ろうとしてしまう。
サルバドルに背を向け、改めて襲撃者の位置を探る。五人で間違いない。これならば問題ない。一人たりとも逃さない。
呼吸を一つ。大事なのはタイミングだ。暗殺者が最も無防備になる瞬間に致命の一撃を叩きこむ。
窓から、隣室から、廊下から現れた暗殺者が標的であるサルバドルへ意識を向けた、その時。
(殺れ!)
ロベルタがただ念じるだけで、周囲に潜ませていた四体の傀儡が襲撃者たちを仕留めにかかる。それも血を流して部屋を汚さぬよう配慮し、素手での一撃で。
「なっ!?」
サルバドルだけが驚愕の声を上げる。襲撃者たちには声を上げる暇も与えなかった。二人は首を折り、二人は打撃によって肋骨を砕き心臓を破る。
残った一人はサルバドルとの間に立つロベルタを排除しようと切りかかったが、攻撃を反らされて体勢を崩した直後に手の空いた傀儡によって鼻の下の急所、人中を突かれた。
人殺しの専門家たちが、なす術もなく死体に変わるまでたったの5秒。
完璧だ。一人も逃がさないどころか全員一撃で刈り取れた。
「そんな、まさか。暗殺者はともかくこの者たちはいつの間に潜んでいたのだ。それにこの強さ。近衛の者でもこうはいかぬ」
武術の心得があるからこそ、サルバドルはこの状況に納得がいかないようだ。
それもそうだろう。秘密の通路も使わず後宮に忍び込めるような手練れの暗殺者が、赤子の手を捻るように敗れたのだ。その技量は近衛の最精鋭に匹敵する。そんな者が四人だ。国王の周囲でもこれほどの人材で固められはしない。
もちろんこれには理由がある。それは傀儡の特性だ。
傀儡の能力はロベルタの知識を反映する。そしてロベルタの知識は死霊から得られる。ならばもし王国最強の戦士の死霊や、教国最強の格闘家の死霊からロベルタが知識を得ていたら?
その解答がこれだ。傀儡はロベルタ自身が知っていても再現できない技術まで再現できる。それはその知識の持ち主の体でなくても変わらない。
とはいえ、例えば荷運びを担当していた下級兵士の肉体で最強の戦士の動きをそのまま再現することはできない。素地に差がありすぎる。
だがその肉体を傀儡とする際に大量の魔力を注ぎ込めば、その魔力が尽きるまでは性能を引き上げることができてしまうのだ。
そうすることで手練れの暗殺者を軽く凌駕するような傀儡を四体用意することができたわけである。おそらくこの四体は魔力切れが早くなっただろうが、代わりはまだまだあるので問題は無い。
ちなみにこの傀儡たちは黒魔法の深淵で影の中に収納されていたのを、ロベルタが室内に侵入してから取り出したのだ。
傀儡たちは熟練の密偵と同程度の技量で隠れ潜んでいた上に、本質的には死体であるため気配が生前よりかなり薄くなっていた。仮に武術の達人であってもその存在に気付けるかは怪しい。
ただし、一見万能に見える傀儡たちにも欠点はある。最初に込めた魔力を後から追加することができないのだ。そのため最初に傀儡にした祖父の死体は魔力切れで腐敗してしまった。
レアル家に戻る際、祖父が生きていたことにすれば色々と面倒を避けられたのにと後悔したものだ。
また生前よりも気配が薄くなった反動か、気配を感知する能力が大幅に落ちていた。襲撃者たちの気配を感知する際、ロベルタ本人が最も早かったのはこのせいだ。
だが結果として、ロベルタはサルバドルの前で大いに面目を施すことができた。相変わらず無表情を装っているが、見えない尻尾は激しく往復運動をしている。
「見事な手際だ。だがこれほどの技量であれば、一人くらい殺さずに捕らえられたのではないか?」
だがサルバドルは一言だけ賞賛すると、傀儡の行動に疑義を挟んだ。見えない尻尾と耳がシュンと項垂れた。周囲の傀儡まで心なしか悄然としている。
とはいえサルバドルの言葉はもっともだ。ロベルタとて、通常であれば暗殺者を警備の者に引き渡し、背後関係を吐かせるという手順くらい心得ている。
だが黒魔法使いの場合は違う。黒魔法は冥府の神モデストから授かる能力だ。その権能は死した者にこそより及ぶ。
(姿を表せ)
ロベルタの命ずるままに、五人の暗殺者の死霊が可視化する。ロベルタ自身は態々命じなくても死霊が見えるが、この場ではサルバドルのために誰にでも見える状態にしたのだ。
「こ! れは……。死者の霊か……」
驚きはしても恐れはしないサルバドル。その姿に内心大きく安堵の息をつくロベルタ。うっかり失念していたが、世の中には霊を過剰に怖がる者もいるのだ。サルバドルの肝が据わっていなければどうなっていたことか。
気を取り直し、死霊に次の命を下す。
(名乗れ)
五体の死霊がそれぞれ身分と名を名乗る。暗殺を請け負う闇組織、ノリエガ一家の者たちだ。
(依頼人の名を告げよ)
だが続く命令に死霊たちは従えなかった。末端の実働部隊の人間である彼らは、依頼人についての情報を持っていないようだ。
だがロベルタは全く困らなかった。この者たちが知らないなら、知っている人間にたどり着くまで順番に辿っていくだけだ。多少手間はかかるが別に難しくもない。
傀儡たちに命じ、暗殺者たちの死体を影に収納する。サルバドルはこれにも目を丸くしていた。
黒魔法の実態はほとんど世間に知られていないので、このようなことができるとは思ってもみなかったようだ。
さらに傀儡たちも影に収納すると、サルバドルは呆れたように首を振った。もはや何を言っていいのかわからないようだ。
気配を全く感じさせず潜み、襲撃者たちを余裕をもって撃退し、情報を吐かせ、死体を処理する。実にいい仕事をしたのではないだろうか。そう思いながらちらりとサルバドルの横顔を見る。少年は何かを考え込んだまま、こちらに向く様子はない。
これくらいではまだ自分の忠誠を認めてもらえないのだろうか。今日は顔合わせだけで満足すべきなのだろうか。ならば今夜は一度引き上げて、改めて手土産を持参して出直そう。そうすればきっと受け入れてもらえるに違いない。
そう結論付けたロベルタは、サルバドルに優雅な礼でもって退出を告げる。叶うなら再会の約束をしたかったが、焦ってはいけないと自分を抑え込んだ。
「今宵はこれにて」
わずかに悄然としたロベルタの様子に、サルバドルは気付けない。
実際のところサルバドルは、一度に様々なことが起こりすぎて思考が追いついていない状態だった。なのでロベルタの内心など汲み取れるはずもない。
「あ、ああ。その、今夜は助かった。感謝する」
だから、せめて礼だけは伝えようと口にした言葉が、ロベルタにどのような影響を与えるかなど想像すらしていなかった。
「っ」
言葉に詰まったロベルタが、わずかに所作を乱しながら退出する。微かに音を立てて扉を閉めたロベルタは、扉の前から石碑まで疾風の如く走りぬけ、隠し扉に飛び込むなりその場にペタリと座り込んだ。
「~~~っ!」
サルバドルが言ったのはただの感謝の言葉だ。なんの変哲もなくありふれている。それがこんなにも嬉しい。だってあの人がくれた言葉だ。それも生まれて初めて貰った感謝だ。全身を激しい歓喜が駆け抜ける。叫びだしそうだ。顔が赤い。全身が熱い。心臓が煩い。もうどうにかなってしまいそう。
ロベルタが正常な思考を取り戻すまで、およそ一時間ほどかかった。先ほどの内心の乱れようを考えれば、随分早く立ち直ったと言えるだろう。
平常心をなんとか取り戻したロベルタは、今後の行動について考えた。
先ほどの襲撃者、彼らの証言から暗殺組織までは辿れる。彼らに指示を出した人間の死霊ならば、依頼人を知っているかも知れない。
だが、それでいいのだろうか。その程度でいいのだろうか。彼らはサルバドルに手を出したのだ。その浅慮の報いを受けさせるのに、最低限であるべき理由などあるだろうか。
そうだ。あの人への暗殺依頼を引き受けてしまうような愚かな組織など根こそぎにしてしまえばいい。裏社会の秩序が多少乱れるかも知れないが、知ったことではない。
それに今後の事を考えると目撃者になり得るものは残さないほうがいいし、駒としての死体はたくさんあったほうがいい。戦場と同じく裏社会では人が消えたって大して気にされないのだし。
だが表社会の人間、特に貴族を殺すなら慎重にしなければならない。別に困難なわけではないが、貴族が死んだとなれば原因は厳しく追及される。その結果ロベルタの能力が露見すれば、ディバド教会が黙っていないだろう。そこから万が一にもサルバドルに飛び火したら目も当てられない。
ではどうするか。簡単だ。首謀者の名をサルバドルへの手土産にすればいい。そうすればきっと自分の忠誠を受けてくれるだろう。首謀者の首を狩るのは主君の命を受けてからでいい。
それに、サルバドルがどのような命令を出すのか興味がある。弱味を握って脅すのか、一族郎党を皆殺しにするのか、あるいはロベルタには思いつかないような妙案があるのか。あの優秀さであれば様々な可能性があるだろう。
まだ夜は長い。暗殺組織を潰すのにどれくらいの時間がかかるかわからないが、早く片付ければそれだけ早く会いにいける。なら今はわずかな時間も無駄にできない。したくない。
そうと決めると、早速ロベルタは夜行の魔法を使用してレアル家の屋敷に戻った。
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