結果的な悪逆
これにていったん完結です。
結果的に、その令嬢は悪逆を成した。
ロベルタ=デ=レアル。
黒魔法使いの血筋であるレアル男爵家に生を受け、幼い頃から非常に高い魔力を有していた。
魔法使いの覚醒は魔力が高いほど早いと言われており、最も多いのは10歳から12歳頃だ。ところがロベルタの覚醒は6歳だった。これは記録に残っているどの魔法使いより早い。
しかしロベルタの覚醒を彼女の祖父や祖父の集めた教師達は全く知らなかった。もちろん父母や兄が知るはずもない。
それはロベルタが祖父の命令に従った結果である。
「魔法使いになったとしても、できるだけその事は秘密にせよ」
「例え味方といえど、信用できる者でなければ秘密を漏らすな」
ロベルタはこの命令を忠実に実行したに過ぎない。
祖父はその時の気分で命令が変わったので、ロベルタは祖父を信用できない者に分類した。
教師達は祖父に隠れて怠慢を繰り返していたので、ロベルタは教師達を信用できない者に分類した。
その判断を下した後で魔法使いとして覚醒したロベルタは、結果として誰にもその事を告げなかったのだ。
ちなみに魔法使いとして覚醒した者は、左右どちらかの瞳の色が覚醒した魔法の色に変わる。
これは神がその者に魔法を授ける際、それぞれの神を象徴する色も同時に贈るからだ。
だがロベルタが授かったのは冥府の神モデストの黒魔法だったため、その象徴する色もまた黒である。
元々黒瞳であったロベルタの場合、左の瞳が以前より深い黒に変わった上でほんの少し広がっただけであった。これでは誰も気づかないのも無理はない。
なお祖父はロベルタが覚醒すれば自分が必ず気付くと豪語していたが、全く気付く様子はなかった。
6歳から8歳にかけて、ロベルタは様々なものを学んだ。
ただしそのほとんどは祖父や教師達からの教えではない。
元々ロベルタは非常に優秀だった。教えられた基礎を次々と吸収し、教えられていない応用まで自力でたどり着くほどだ。
こうなると困るのは教師達である。彼らは祖父が金にあかせてかき集めた人材だったが、所詮弱小男爵家のコネで雇えるレベルの人材だ。その能力はたかが知れていた。
もはや教えることなど殆どないのに、能力に不釣り合いな高い給金を失うのを恐れた教師達は、自信を喪失しながらも素知らぬ顔で居座り続ける。
必然的にロベルタの授業は祖父の知らないところで自習の割合が増え続けていた。何しろロベルタは放っておいても勝手に伸びる生徒だ。実態さえ隠し通せば怠慢は隠蔽できてしまう。
そうやってできた自習時間に、ロベルタは魔法で新たな教師を呼んで学習を続けた。
魔法は魔術と違い、神に授けられた時点で使いこなすことができる。この時ロベルタが使ったのは黒魔法の一つ『死霊使役』だった。
最初に呼び出された死霊は40年前の戦争で名を馳せ、軍神と称えられたディオニシオ=ミラネス将軍だ。ちなみに4か月ほど前に87歳で大往生している。
生前の彼は感情の起伏が激しい上に大変な秘密主義だった。だが使役されている死霊は感情を失う上に嘘がつけなくなる。彼はロベルタの命令どおり、自分の積み重ねた軍事理論を余さず開示した。
この調子でロベルタは次々と王都で最近亡くなった者の死霊を呼び、膨大な知識を身につけていく。
教師達の授業はいよいよ意味を無くし、時折確認の為に行われる試験の結果を見て教師たちは完全に自信を喪失し、自習時間はどんどん長くなり、最終的には祖父以外誰もロベルタに授業を行えなくなった。
なお祖父の授業はかなり早い段階でただの繰り返しになっていたが、本職でないが故に本人は全く気付かず、彼だけはいつまでも自信満々で熱弁を振るい続けていた。
8歳のとき、ロベルタは祖父に連れられて戦地へと赴いた。
祖父の狙いは第一にロベルタを危険に晒すことで魔法使いとして覚醒させることらしい。だがロベルタの知識に照らし合わせると、危機に及んだからといって魔法使いに覚醒するという根拠は何もない。それに覚醒ならとっくに済んでいる。つまりこの出征には全く意味が無い。
だがその事を告げるには魔法使いに覚醒していることを明かす必要がある。祖父をどうしても信頼できなかったロベルタは、秘密を守るために戦地へと同行することになった。
前線近くの街フレサンに着くと、祖父は情報収集を始めた。宿に一人残されたロベルタも練習がてら黒魔法で情報を集め始める。
前線に近いだけあって最近亡くなった両軍の兵士や関係者の死霊が多く漂っており、ロベルタはすぐに確度の高い情報を入手できた。
一方で祖父は別に情報収集の経験があったわけではないらしく、時間を浪費したわりには確度の低い情報しか持ち帰れていない。
だが祖父はその確度の低い情報から独自の戦況予測を立てた。結果として導かれた両軍の衝突地点は森林地帯にあるコンバロ村。ロベルタがミラネス将軍の理論を基に行った予測によると、まず衝突の可能性はない地点であった。
コンバロ村近くの森林で野営を行うロベルタと祖父。祖父は荷物こそ運んでくれたが、野営に適した場所を見分けることもテントを設営することもロベルタにやらせた。いや、やろうとしたができなかったのでロベルタに押し付けたのだ。
そして数日が過ぎ、ロベルタの食料確保にただ同行していただけの祖父が、誰かに発見された。
急いで移動して振り切ることも考えたが、ロベルタはともかく祖父の移動速度では間違いなく追いつかれる。かといって祖父を置いていけば、最終的に秘密を漏らしてしまうだろう。
その時、祖父は覚悟を決めたような表情で一言呟いた。
「いよいよ時が来た。殺せ」
その言葉を聞いて、ロベルタは素早く考えを巡らせた。
この殺せというのは誰のことなのか。コンバロ村の周辺には教国軍も王国軍もいないと断言できる。である以上祖父を発見したのは村人である可能性が高い。
一応今は隠密行動中なので、発見者を殺すというのは理にかなっている。だが祖父と同行している限り、このようなことは今後いくらでも起こるだろう。ならあの村人を殺すことに意味はない。
意味が無いにもかかわらず、ここであの村人を殺すのは王国に損失を与える行為だ。それはできない。
確かに祖父の教えの中には時として味方を殺さなければならない場面があると言っていた。だがこれはどう考えても回避できたはずだ。それなのにこの事態を引き起こしたのは、祖父の能力不足が原因ではないか。
そもそも、王国に貢献すると言いながら祖父は王国軍に連絡を取ろうとしていない。足並みを揃えずに勝手な行動を取れば、王国軍に対して迷惑がかかるのは当たり前だ。
つまり祖父の行動には正当性がない。むしろ無能なせいで王国にとって邪魔でしかない。
そこまで考えた時、ロベルタは今までの祖父の教えから、この状況に符合するものを思い出した。
『お前は全てにおいて国と王家を優先しなければならない』
そう、国と王家を優先するならば、祖父より王国軍やあの村人を優先しなければならない。
『誰のもとで戦うか、誰と共に戦うかはよく吟味せねばならん。無能な味方や手柄を掠め取ろうとする味方もいるからな』
無能な味方と共に戦うのは良くないことだ。事前に吟味はできなかったが、気付いたなら対処しなければならない。
『人を殺す時は躊躇うな。躊躇えばそれが隙になる。例え味方でも必要とあれば殺せ。無能な味方は敵よりも邪魔になる』
無能な味方は敵よりも邪魔になるから、躊躇わずに殺さなければならない。そして無能な味方がまさに今、目の前にいる。
ああ、なんだ、そうか、そういう意味だったのか。危なく命令を間違えるところだった。
祖父は村人を殺せと言ったんじゃない。自分を殺せと言ったんだ。それならば理にかなっている。
結論が出た瞬間、ロベルタは躊躇わずに実行した。
与えられていた短剣を、全く警戒していない祖父の首筋に突き立てる。
祖父は驚いたような表情でロベルタを見た。だが喉を突かれているために声が出ない。ロベルタの狙い通りだ。
そのまま地面に倒れ込んだ祖父は、すぐに息を引き取った。あとはこの死体を処理しなければ。
黒魔法の『死体使役』で祖父の肉体を操り、村人を野営地から遠ざけるように誘導する。生前と違い、たっぷり魔力を込めた祖父の肉体は余裕を持って村人を引き離している。これならば撒くのは難しくないだろう。
村人を攪乱して野営地に戻ると、ロベルタは祖父の顔から遺品となる片眼鏡を取り外し、死体を黒魔法の『深淵』に収納した。
ちなみに深淵とは影の中に物品を収納できる魔法だ。魔力の量によって大きさや重さに対する限界があるが、ロベルタの収納量は城が入るほどある。
これでこの出征の目的である魔法使いへの覚醒と殺人の経験は済んだ。なのでこれからは王国と王家に貢献する方法を考えなければならない。
これまでは祖父が考えていたが、どうにも合理的ではない行動が多かった。おそらく他にも思惑があったのか、あるいは無能だったからだろう。いや、両方か。
男爵邸に一度戻るのも手だが、戻った後が問題だ。
祖父以外の関係者……家族とは会ったことがない。彼らがどんな人物なのかわからないので、ロベルタが覚醒していることを話していいのか判断しかねる。
もし秘密にしたほうがいいのであれば、男爵邸に戻ると身動きが取りにくくなる。戻る意味がほとんどない。10歳から通うという貴族院に間に合えば問題ないだろう。
それに、黒魔法で使役する死体は多いほうがいい。取れる手段に幅ができる。幸いこの地域はこれからたくさん人が死ぬ。死体を手に入れるのは簡単だし、運搬と保存には深淵の魔法を使えばいい。深淵の中は時間が経過しないから、死体はいつまで経っても腐らない。
それに人がたくさん死ぬということは、たくさんの死霊と会えるということだ。そのほとんどは兵士だろうけれど、様々な知識を得ることができるに違いない。
幸い森の中での野営や食料調達に不安はないので、あえて街に出なくても問題ない。いざとなれば黒魔法の一つ『夜行』を使えばいい。影と影を繋いで知っている場所へ一瞬で移動できる。何かから逃げるのも男爵邸に帰るのも簡単だ。
方針が決まったところで遺品の片眼鏡を祖父の死体とは分けて深淵にしまおうとして、ふと気付いた。
自分の目は、よく見ると左右で瞳の色と大きさが違う。祖父や教師達は気付かなかったが、これから誰も気づかないかどうかはわからない。
だがこの片眼鏡を装着すれば、左右が非対称でも違和感を抱かれない可能性がある。実は度の入っていない伊達片眼鏡なのだし、つけてみるのもいいだろう。
そう決めると、ロベルタは片眼鏡を装着した。自分が殺した相手の遺品であるという事実は全く感情を揺らさない。実用性だけで考える。ロベルタとはそういう少女であった。
何故ならそうなるように望まれて育てられたから。
初めて人を殺したのに、全く心が痛まない。肉親を失ったのに、ちっとも寂しくない。だって名前も知らない間違った命令を出す人なんて、いなくなっても困らない。むしろ……。
「ふふっ」
これからは自分の考えで動くことができる。本当の意味で王家に忠誠を示すことができる。それはなんて素晴らしいことなんだろう。ああ、この日をどれだけ待ち望んだことか。
でも気を付けないといけない。自分の力はまだまだ小さい。目立ってしまうときっとディバド教徒に追い詰められて殺される。火刑台にかけられて焼かれてしまう。
彼らは黒魔法使いを許さない。彼らの教義が許さない。だから私も彼らを許さない。
だからこそ今はこっそり力をつけよう。いつの日か彼らを根絶やしにできるように。
ロベルタ=デ=レアル男爵令嬢。
後に聖ランツ教国から『悪逆令嬢』と呼ばれた少女は、こうして最初の悪逆を成したのである。
これにていったん完結です。
ご好評をいただければ続きを書きたいと思います。
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