ある女
反応に困ってしまう、というのは目の前の状態を指すのであろうか。
まず、魔法たちがあたふたしていた。言葉にすると意味が分からないが、まさにその通りなのだからしょうがないのである。以前来た時に飲み物やら何やらを給仕していた魔法があったが、それらがポットとカップを持って廊下を右往左往していた。
僕たちの姿を見るなり飛びついてきて、だからといって何かできるわけでもなく。僕らの前で動き回る動き回る。むしろ僕たちを困らせる。
「飲み物はどうでも良いから主のところに連れていけ」
ロジ主任がピシャリ言葉を投げつけると魔法は一瞬で硬直した。怒られてしょんぼりする女中と執事が目に見えるようだった、しばらく硬直した後にトボトボと廊下を歩き去ってゆくのである。ポットに至っては中身を時折こぼしているのに全く気がついていないらしい。
執事たちの後をついて行きながら、ロジ主任は指を振って時折びちゃびやになる床をきれいにしながら。僕はかつて学者と話をした部屋を通り過ぎる。変わらず廊下には本が山積みになっていて狭い通路である。扉らしい扉はどこも見えない。この先に目当ての人物がいるのだろうか。ただ廊下を突き当りまで進むだけで終わってしまうのではないだろうか?
僕の心配はしかし裏切られる。本が天井近くまで平積みされている一角にポットたちが近づくと、本が移動するのである。バラバラに動くでのはなくいくつかの束がまとまって、ウネウネと蠢きながら道を空けるのだ。妙に生々しい動き方で気味が悪かった。
それ以上に気味の悪い光景が本の先にあった。
「おい、ルフィー、何をしている」
ロジ主任さえも言葉を失っていた。
学者然とした廊下や本でいっぱいの部屋に比べて生活感の漂う狭い部屋。その中でディルフィールさんは座り込んでいた。上半身を揺らしている動きは、何かをあやしているかのよう。鎧戸を少し開け放ち、そこから差し込む光に照らされる手には。
岩の台から連れ帰った亡骸がいた。
「ロー、来ていたのね。気づかなかったわ」
「お前それ、ノグリくんが回収してきた遺体じゃないか。調査すると言って持って帰ったはずだよな? どうして調査対象を赤ん坊のように抱えているのだ?」
「この子が泣いている。だから落ち着かせないと」
「何を言っているのか分かっているのか。腕の中の子をよく見てみろ。生きているか? 干からびているだろう」
「でも、泣いている」
「頭がおかしくなったか? 死体は泣かない。動きもしない。何をしても死体は死体のままだぞ」
僕は言葉すら出なかった。乱雑な部屋な雰囲気が学者のりんとした雰囲気とは食い違っていて違和感があったが、それ以上におかしいのはディルフィールさんの周辺だった。
異様な力を感じた。感覚だけではなかった。目に見える形で僕の前に現れた。どす黒い色。靄? 煙? 炎?
いや、違う。そう見えるが、学者が身にまとっているものはそんなものでなかった。僕はそれを知っている。学者の胸の収まっている彼から受け継いだらしい知識が僕に教えてくれる。
「精霊の呪い」
僕の声とは別にもう一つの声が重なった。干からびた体のかつての持ち主、僕の前に時々現れた、兄であり弟。
「ノグリくん、今何と?」
「精霊の呪いです。ディルフィールさんは精霊に呪われています。呪いが引き起こすことはさっぱりですが、とにかく、呪われているのだけ分かります」
「取り除く方法はないのか?」
「できるかどうか分かりませんが、やってみます」
僕ができる方法は一つしかなかった。どす黒い炎に対応できるものは白い炎しかなかった。瘴気を取り除くことができるのだから、呪いだってなんとかなるのではと考えたのである。
組み立てる想像。炎をも燃やし尽くす炎。炎は呪いを真っ黒に焦がし、炭に変えてしまうのだ。引き剥がされた炭は学者の体を離れて転がり、しかし炎が怒りを収めない。呪いが凝縮した黒い塊に対して白い炎は責め立てる。炭は赤く、次第に赤を通り過ぎて白くなる。極限まで焼かれた炭はいよいよ灰になって消え去るのである。
さて、僕の目の前では。
「ルフィー、大丈夫か、ルフィー」
床に寝転がるディルフィールさんと、彼女に駆け寄って肩を叩くロジ主任がいた。何度叩いても体がと頭がかすかに揺れ動くばかりで、目を開く様子はなかった。
開かれた学者の手の先には塊が二つ転がっていた。一つは小さな塊だった。もう一つは真っ黒になった遺体だった。
髪の毛は完全に失われてしまっていて、足先と手もなくなっていた。半ば折れたような格好となっている足首と手首からは、延々と灰が溢れて出てきた。勢いが収まることはなかった。もう一方の小さい炭が完全に灰となったところで、両方の肘から先、左側の膝から先がなくなっただけだった。
僕はいろんなものが転がる様子を前に身動きが取れなくなった。ディルフィールさんを介抱しようとするロジ主任を助けることもできず、突っ立っていることしかできなかった。おぞましい発見に頭が言うことをきかなくなってしまったのだ。
学者の魔法が燃えるはずだった。
彼は燃えるはずがなかった。炭になり灰となるのは呪いのはずだった。
彼は呪いを振りまいていたということか。




