知った顔を
――白い天井があった。
体はどこかに横たわっている。全身がひどく痛んだ。足と腕が少しでも動くと稲妻が走った。この痛みも知っている、筋肉痛だ。
僕の経験はこの場所を知っていた。治療院だった。しかし直前の記憶にあるのは新新市街の詰め所に向けて歩き始めたところだった。詰め所と治療院はそれなりに距離がある、間違って向かうことはないはずだった。本当に間違えていないか?
そう言えば荷物はどこに行ったのであろう。痛みのない首を動かしてみるけれども、それらしいものはどこにも見当たらなかった。ただ僕だけが部屋にいた。
記憶をたどるのはやらなかった。歩き始める時の記憶さえ曖昧なのだ。思い返そうとしたところでろくな結果にならないのは火を見るよりも明らかだった。
しかし心当たりがなかった。ドードと戦闘をしている間は体調の問題を感じなかった。石の台座に立った時だって何もなかった。その時のことは覚えている。ドードから形見を取った時だって。草原を離れてからの記憶が曖昧だった。思い当たる節というと二人。二つ、ではなく、二人。
「ノグリ!」
突然の声がした方向を確認するよりも体に飛びつかれた。のみならず、胸のところに顔を何度もこすりつけた。
「目を覚ましたのね、良かった、良かった。このまま目が覚めないのではと思っていたもの」
「大丈夫、大丈夫だから、だから一度離してくれない? 腕が筋肉痛だから、そうも締め付けられると」
「ご、ごめんなさい」
抱きつく強さはいくらか弱まったけれどもトバスは腕を緩めることをしてくれなくて、じりじりと締め付けられて両腕に痛みが広がる。
「でも、ごめんなさい。お願いだからこうさせて。何日も会えなくて、戻ったと聞いたらまともな状態じゃないし、かと思えば何日も目を覚まさないのだもの」
「そんなに僕は眠っていたのか」
「十日! 十日も目を覚まさなかったのだから」
まるで直前まで街をさまよっていたかのような記憶である僕にとって、トバスが発した言葉は想像できなかった。僕が覚えていることの間に十日の空白があるなんて理解ができなかった。
僕だけ十日分取り残されているのだ。どうトバスに答えればよいのか、言葉がどこにも見つからなかった。
「それにみんな、警察団の人たちもすごく深刻そうな顔をしているのよ。なのに私に何も教えてくれないし。ロジさんのところにも話を聞きに行ってもなんだかはぐらかされているようだったし」
「もしかして、僕が何か良からぬ情報を持ってきていたのかな。それとも、変なことを喚いていたりとか」
「私が知らせを受けて駆けつけたときにはここだったから分からないけれど、そういうことではないみたい」
「じゃあ、持ってきたもの、かな」
言葉をこぼした途端、頭に目まぐるしく血の巡る感じがあった。いろんな事柄が鮮明に頭に浮かんで来る。都バスを前にして真っ先に蘇ってきたのは、道すがら引きずった刀剣のこと。あの刀剣の姿をまだ見ていない。
「ねえ、僕が持ってきた剣は」
「そう、あの剣。説明してほしい。ノグリには辛い話なのかもしれないけれど、私も知りたい」
「あれは、形見として持って帰ってきた。もう、僕が見つけたときには取り戻せる状態じゃなかった」
「グコールと同じってこと」
「グコールよりもひどかった。完全に中身が魔物だった」
「最期は、その、苦しまずに逝ったの?」
「炎に焼いたらのたうち回っていた。僕がドードを止められる方法はそれし泣かなかったから」
「ごめん、嫌なことを思い出させちゃったね」
トバスが僕の胸に顔を埋める。言葉が出ない代わり、体に触れる感触へ意識が向いた。トバスの顔の凹凸を胸に感じる。胸には腕にあるような痛みがないから、触れるところが痛みに変わることもない。そこにトバスがいるという事実を感じ取れる。
埋めていた顔を横に向ける。胸に触れるは耳の柔らかさ。
「私もノグリの苦しい気持ちを肩代わりできればよいのに」
「どうしてだか分からないけれさ。グコールのときよりも、仲間を殺してしまった、という感覚が全くわかなくて。理由は僕も分からなくて」
「ああ、きっと辛すぎたのよ。だから少し壊れてしまって感覚が麻痺してしまっているに違いない」
「そうなのかなあ。魔物になったとはいえ、人を殺めたのだよ」
「多分現実感がないのよ。ノグリは頑張りすぎた。心も体もしっかり休めて。何かあれば私を頼ってほしい」
現実感がない。トバスの言葉がどことなく腑に落ちる感じがして、体が幾分か軽くなった気がした。途端に眠気が勢いを増してきた。
「ありがとう」
飛ばすに投げかける言葉も、もやの中にあるようだった。




