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人間というものは卒業できる

 『次の瞬間』という言葉は、間違いなくこの瞬間のためのものだった。


 次の瞬間、僕が見たものは天井だった。


 なぜ天井と分かったのか? 僕が以前見たことのある天井だったからである。これは治療院。ここに寝かされているのは初めて瘴気と遭遇した事件の時以来だったか。


 部屋は以前の尋常でない長さの部屋ではなかった。僕の背丈に見合う、普通のヒト向けと思しき部屋だった。ベッドは僕が使っているのだけ、それ以上のベッドが入る余地はなかった。ベッドと、部屋の片隅には小さなテーブル代わりになる棚、丸椅子。それだけの部屋。


 いや、それだけではないか。椅子に座って僕を見下ろすロジ主任がいる。何だか怖い。最大限とは言い難いが、ベッドを抜けて距離を置きたいと思える程度に殺気を放っている。僕が何をした? 見に覚えは全くなかった。


「ようやく目を覚ましたか」


「僕は、あれ、新市街の詰め所にいませんでしたっけ」


「あそこではまともな治療はできないから、こっちに運んだ」


 治療という言葉にエフミシアさんが現れた。エフミシアさんのひどい怪我が強烈なイメージとなって現れた。


「あの、エフミシアさんは、エフミシアさんは」


「いや、そんなことより」


 ロジ主任は僕の心配をそんなことと言い放って僕に詰め寄ってくる。そんなこと? エフミシアさんの命が危ないっていうのにどうしてそんなことを口走ってしまう?


 僕の感情に揺り動かされたのか、僕の周りに白い火の玉がいくつも浮かび上がった。どうしてだろう、今まであり得なかったことが起きているのに、僕にはそれが自然なことだった。当たり前のことに思えた。


 僕は苛立った。だから火の玉が生まれた。


「ああ、申し訳ない。そんなことと言ってはいけなかったね。エフミシアは大丈夫だ。命に問題はない。ノグリくんのおかげで生きながらえた。ヒトの姿は分からないけれど」


「やっぱり、ヒトの姿は……エフミシアさん、危険地帯で半日以上は少なくとも倒れていたので」


「そう。当時の状況も聞かなくてはならないけれど、最初に私が尋ねたいことを聞くよ。お前、何をした?」


「何、とは何のことでしょうか」


「とぼけているのか、覚えていないのか。新市街でノグリくんがエフミシアにしたこと、さらに言えば、その場の団員全員にしたこと」


 何をしたのか? 僕がしたことは大して難しいことではい。淀みの炎で包み込んで、それから、願った。それから、それから――何をした?


「エフミシアさんを助けたい一心でした。大怪我をしたエフミシアさんを助けたいと願って、でも、その後のことは覚えていないです」


「願った、と。私には、聞いたこともない言葉で呪文を唱えているように聞こえたぞ。トール、新市街で待機させていた魔法担当も知らない言葉だったぞ。あれは何だ? 私達が知らない魔法を知っているというのかい?」


「ちょっと待ってください。僕、あの時はただ心の中で願うばかりで、何かを口にするなんてしていないと思いますが」


「なら無意識のうちにやっていたということか? あんなにおぞましい――すまないけれどアレに合う言葉がこれぐらいしか思いつかなくてね。おぞましい言葉は聞いたことがなかった。耳にするだけで震えが止まらなくなった」


「全く見に覚えがないです」


「しかもその間、団員たちの姿が不安定になった! 初めての経験だよ。ヒトでない姿になったかと思えばヒトの姿に戻って、かと思えばヒトの姿とヒトでない姿の間のような中途半端な状態にになったやつもいた。私だって男の姿に戻るのは久々だったぞ。女がもはや普通だから、むしろ気持ち悪かった」


「ロジ主任はヒトの姿を失ってしまったのでは」


「そう、だから何をしたのか聞かずにはいられない。覚えていない、というか、理解していないのか? どう見てもアイツでなければ手に負えそうもない」


 ロジ主任が一人腕を組んで考えこめば代わりに外の音が漏れてくる。あの声は、エフミシアさんだ。かすかに聞こえるだけだけれども、声の沁み入るこの感じはエフミシアさんだ。そう、しゃべることができるほどには回復できたのだ。


 たちまちに感情が高ぶる。うれしい。体の中につっかえている物が外れたかのよう。僕の横で白い炎が花を咲かせていた。文字通り、花だ。大きく白い花はゆりにも近かった。


「……考えても仕方ないか。じゃあ、あの状況、何があった? ノグリくんの知っている範囲で始終を話してほしい」


「索敵をしていたら、エフミシアさんの反応がありました。瘴気のやってくる方向が旧市街の方向だったので、瘴気を払う矢をエフミシアさんのところに放ちながら移動しました。エフミシアさんともう一人、人間の反応がありました」


「人間がいたのか。全く気に留めていなかったな」


「で、たどり着いたときには僕もいろいろと限界で、気がついたら」


 あのことは話すべきか。知らない場所での対面、僕と瓜二つの男のことは。あまりにも現実離れしている。話したところでおとぎ話か大げさに取られて神話の類といった物語に捉えられてしまうに違いない。


 でも、ロジ主任は学者さんに引き合わせてくれた。


「夢のような変な世界で、僕と瓜二つの人と話をしました。昔は淀みを読む人をイノセンタという言い方をしていた、とか。生まれたときに僕とその人は引き裂かれたらしくて、一緒になることができる、とか。あと、インセンタ、という言葉も」


「ちょっと待て、イノセンタではなく、イ『ン』センタ?」


「はい、一文字違いですが。淀みを書く人、あるいは消す人、を表す言葉だそうで」


「そう、でもその言葉は今まで聞いたことがないね。もしかしたらルフィ、ディルフィールなら何か知っているかも、あたってみよう。で、すまないが、治療院を出られたらその脚で人間の確保をお願いしてよいかしら」


「僕もそのつもりでした。おそらくは最悪の結果になっているとは思いますが」


「構わない。エフミシアをあんな目にあわせた原因だ。刺すなり折るなり殺すなりしないと気がすまない」


 ロジ主任は柏手を一つ打つなり席を立ち、僕に手を振りながら部屋を出ていった。


 そう、僕は人間の元へいかなければならない。あえて言うことはしなかった。これはロジ主任たちの問題ではなく、僕の問題だと思ったから。


 エフミシアさんの倒れているところにたどり着いた時、僕は感じ取ってしまったのだ。人間が誰の魔力をまとっていたのか。普段魔法に頼ることをしていない人だからだろう、魔力の癖がほとんど漏れ出ていなかったのである。


 その人が、僕のかつての仲間、グコールのそれだった。


 僕のかつての仲間たちがヒペオにいる。生きているかどうかは分からない。


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