つかの間の
新新市街の詰め所の一角は遺体安置所になっている。他の団員に紛れて、僕やエフミシアさんはその場を立ち去った。内々の別れの儀式、とでも言うべきか。ヒペオを守る警察団の中では慣習になっているのだという。
中には儀式の始めから泣き崩れてしまうヒトもいた。正直なところ、ほとんど関わったことのない団員の方だったので、僕がその場にいるのは何となく場違いに思えた。
僕は確かに同じ団員だから同僚と言っても良いけれど。だけれど他の団員に比べれば圧倒的に行動をともにしている時間は少ないわけで。ヒトの死を受け入れられないと言うよりも、現実感がなかった。他人事のように思えた。
二人の死体を前にそのようなことを冷静に考えている僕がいて、僕は彼のことが嫌なものに思えてしまった。
そのような話を寝る間際にトバスへこぼしたところ、何も言わずに抱きしめてくれた。
「きっと私達は幸運なの。身近に死がなかっただけ。孤児院でも、パーティで一緒だったときも、守られていたのよ」
「守られていた? 誰にだろう」
「さあ? でも守られていたのよ」
どんよりとした気持ちのまま夜は更けてゆく。警察団で働き始めてから初めての休みというのに、トバスと一緒に街を見て回るつもりなのに、どうして気持ちを切り替えられないでいるのだろうか。
制服ではなくて街を逃げ出した時の格好になって、トバスに笑みを向けても、心の中ではもやもやがうごめいていて。
朝にロジ主任が部屋にやってきて、お金の入った袋――給金を渡してくれたときも。もやもやが晴れなくて。
朝のうちは、ひたすらトバスについて行くような状態だった。僕がヒペオの周りの警戒をしている間、トバスは一人街に繰り出していたらしい。当然だ、部屋にこもっているわけにもいかないのだから。僕よりも遥かにヒペオのことを知っていた。
あそこのお店が美味しそうだったからちょっと寄ってみない?
あそこに庭園があってね、中に入って見れるらしいの。見て回りましょうよ。
服を新調したいね。あのお店に寄ってみようよ。
どうしてだろう、トバスが普通にこちら側のお金を持っていて、当たり前のように支払いをしている。僕が出すよりも先に硬貨を店員に渡している。
「そのお金、どうしたの?」
「どうしたって、稼いだに決まっているじゃない。変なことを聞くのね」
「いやだって、まだこっち側に来て日も経っていないじゃないか。そんなすぐに働き口を見つけられるなんて思っていなかったから」
「『どこでも働ける』ってお墨付きをくれたのはノグリだよ?」
「確かにそうは言ったけれども、それにしても早くない? まさか、変な店とか」
「そんなんじゃありません! ほら、あそこの食堂、あそこで働かせてもらうことになったの。このお金は前借り。店主に話をしたら気前よく出してくれたの」
指差す先には外に住人以上の行列ができている店だった。軒先に看板が揺れているが、かなり古い看板なのだろう、ほとんど描いてあるものが分からない状態だった。
「前借りだって? どうして言ってくれないのさ。僕はちゃんと給金をもらったから、僕が払うからね。先に払わないでよ」
「分かった分かった」
昼食こそ僕に出させてくれたけれども、その後は隙さえ見せればトバスが横からお金を出してしまう有様だった。麻袋から硬貨を出そうとしている横でひょいと払われてしまうのだ。トバスのいたずらな笑みといったら。
トバスは僕を楽しませようとしている。多分、夜に話したことのせいだ。
こんなにおどけてみせるトバスを僕は見たことがあったろうか。ドード達と一緒のときはもっと控えめだった。孤児院のときからそうだった。いつも周りから半歩ぐらい下がって、周りを見ているような子。
そのような彼女が今、僕の手を引っ張って、僕の知らない場所にいざなってくれる。
飛ばすに導かれる中、ある看板が目に入って足を止めた。店の名前の看板には『ヒペオ名物栗木細工』の言葉が刻まれていた。そう言えばヒペオはもともと栗の木材を使った木工品が有名だったか。
「この店、見てみよう」
導かれるように店の中に入れば、木材の柔らかい香りに包まれた。全身にふわふわの綿を押し付けられているような印象だった。
何の気なしに入った店だったが、この匂いに包まれるだけでも入ったかいがあったというものだ。けれども、僕はそれのみでは足りなかった。生活用品が並ぶ棚を横目に、ある一角に吸い寄せられていった。
木箱や棚などの工芸品に見向きもせず、僕が立ち止まったのは装飾品が並べられているところだった。革と木材を使った工芸品、首飾りや耳飾りなどが所狭しと陳列されていた。
「何何? ノグリはここに来たかったの?」
「いや、たまたま見つけて、何となく引き寄せられた感じ?」
「ふうん、でもいい感じのお店だね。いい匂いだし、きれいなものがこんなにも」
「木だから、と思ったけれど、細かい模様が入っている。どうやって作っているのだろう、木だと思えない」
「本当だ。クッキーみたいね。ほら、いくつもの生地をまとめて焼いた感じにそっくりじゃない?」
言われてみれば、木材の茶色みを帯びた色合いが焼き菓子に思えてきた。トバスがそう口にしてからというものの、クッキーを丸めて焼いたものに見えて仕方がなかった。
「やめてくれよ、本当にそうとしか見えなくなってしまう」
「別にいいじゃない、私好きだよ」
トバスがよいと言うなら、クッキーに思えても、それはそれで良いのかも。
一体、僕は何を考えているのだろう。妙に思考がまとまらなくて、あっちに行ったりこっちに行ったり。トバスと一緒にいるのに。はじめに考えていたトバスの働き口のことはどうした? 朝が始まってからのことを思い出せ。一緒に食事して、部屋をでて、ヒペオを見て回っている間に声をかけただろうか? 店先の求人を気にかけていただろうか?
亡くなった団員の手が自身の手と重なって見えた。
僕は彼らにとってのトバスではない。たとえ団員であっても、決して近い人ではなかった。ただ死体の第一発見者になっただけだった。きっと、僕は僕に求めすぎた。
「どうしたの? 黙りこくって」
僕にはトバスがいる。それで十分じゃないか。
「これと、これ。どう? 一緒にさ」
「指輪? ついに何か買ってくれるのね。ずっとぼうっとしているのだもの」
「ごめん、実はまだ昨日のことを考えてしまっていて。でも大丈夫、考え過ぎだって思えたから」
「トバスは優しいね。あまり関わりのない方たちだったのでしょう? 悲しむべきことかも知れないけれど、それはもっと親しい人に任せてしまって良いのですよ」
「そうだね。ヒトが死んているのを初めて見てしまったから、ちょっと気持ちがおかしくなっていたのかも。ごめん、今日はトバスがいるのに、親しい人なのに」
「とにかく良かったよ。それじゃあ、親しい人をどんどん甘やかしてください」
手のひらに転がすのは二つの木でできた指輪。よく磨かれて、金属でもないのに輝いている。一つは僕で、一つはトバス。ただの指輪ではあるけれど、何か『繋がっている』のを感じられるきっかけがあれば、おそらくは変に迷ってしまうこともなかろう。




