眠り姫
詰め所の中は慌ただしかった。
当然のことである。急に発令された撤退命令。しかし動揺を見せずにテキパキと行動する団員たちには、いつもであればカード遊びに興じているとは想像できない練度である。
エフミシアさんの声が飛ぶ。ロジ主任からいきなり指揮を任されても動ける。並みにはできないことであろう。少なくとも、僕には難しいと思えた。
僕の仕事のために、団員の動きを耳と魔力で感じ取るロジ主任を待った。僕とエフミシアさんと同じ役割、ヒペオに目を光らせているという同じ役割を与えられているドラコ達がいるのを初めて耳にした。僕たちが見張っていたのが山に近い方だったから、単純に考えれば、正反対側を張っていたのであろう。
トバスの顔が脳裏に浮かび上がった。
「ノグリくんは馬車に乗って気持ち悪くなることはなかったかい?」
「ええ、ありませんでしたが」
「なら問題ない。それじゃ、行こうか」
ロジ主任がとことこと歩み寄ってくると、左手で僕の肩を叩いた。
僕は立っていた。
荒野に立っていた。
少し離れたところに野営道具が転がっていた。
よじれた寝袋が二つ転がっていた。
いや、どうして詰め所にいたのに外にいる?
「あの、ロジ主任」
何がどうなったのか分かっていない僕に対して、ロジ主任は何事もなかったかのように野営に足を進めていた。しゃがみこんで袋の口をつまみ上げて中を覗き込んでいた。
「ん、どうした?」
「僕たち、詰め所にいましたよね? 移動もしていないのに、どうして外に」
「いや、移動したじゃないか。有名どころの魔法ではないから知らないかもね。移動魔法って聞いたことない?」
「おとぎ話の中であれば聞いたことが」
「空想の物語の中には得てして真実の一つや二つ混ざり込んでいるってことだ。君の力だってそうだろう?」
「どういうことですか」
「前に会った学者がいただろう? 彼女の言うには、もしかしたら神話級の話に出てくるかもしれないのだとか。淀みを燃やす力のこと。模造品を燃やしただろうに」
「初めて聞きました」
「ん、そうだったっけ? まあよい。ノグリくん、斥候を探せるか?」
「やってみます」
僕は四方八方に索敵の矢を放った。一気に全方向を索敵すれば対象を見つけやすくなる。その分負担が凄まじい。まだ何も見つけていないのに頭が痛い。内側で何人もの職人が釘を打ち付けていた。
多分小動物――樹木――魔力の残滓、だけれど地のものっぽさそう――これは魔物だけど、消えた――草――
膨大な情報を受け取っては放り投げる。一瞬でも溜め込んでしまったら最後、魔法を制御できずに頭が爆発してしまうに違いなかった。
ない――ない――ない――ない!
一切の反応がなかった後に、魔力そのもの失われる場所を見つけた。そう、魔力の膜に穴が空いたのだ。すなわち。
「白い瘴気があります」
「そこに向かおう。連中もそこにいるかもしれない」
また肩を叩こうとするものだから、不思議な力でひとっ飛びかと想像して身構えていた。
「案内を頼む」
ロジ主任はそう言うと僕が動くのを待っていた。そりゃそうだ、ロジ主任はどこに白い瘴気があるかを知らない。何でもかんでも魔法でできてしまうロジ主任だからできるような気もしたのだが、それはさすがに考えすぎというものか。
「できるぞ。ぼうっとしてないで早くしよう。時間が惜しい」
おお、と声を漏らす以外の反応はできなかった。
そうして走ることしばらく、野営地点からそう遠くない距離、僕が探しに行った距離の十分の一ほどの距離だろうか。
それはあった。
彼らはいた。
煌々と輝く瘴気の周りで丸まっている姿は、二度寝の惰眠を貪っているようだった。それが二人。暖房に集まる猫のようにも見える。でも僕は知っている。ロジ主任だって知っている。顔にはまだ血の気があるようにも感じられるが、それでも考えたくもない可能性を否定できなかった。
近づいたら最後、同じように眠ってしまうかも知れない。瘴気に対処をしなければ近づけない。
「ノグリくん、処理できるだろう。やってくれ」
ロジ主任の言葉に弓銃を構えることで応えた。生きている可能性も考えて、白い瘴気と瘴気の真下の地面へ、それぞれ一本の矢を放った。
矢が瘴気に刺さるやいなや激しく燃え広がり、出血のように黒い瘴気が溢れ出てきた。それを地面から燃え盛る淀みの炎で包み込む。瘴気が団員たちの元へ漏れることはない。炎は敵を包み込んでいる。
癒やしの殺し屋が消えたところで再び索敵の矢を放ってみた。範囲はごくわずか、白い瘴気の近辺のみ。瘴気の影響を見るためだった。
一瞬で必要な範囲に広がる魔力の膜には、一切の穴や破れもなかった。つまるところ瘴気への対処は問題ないということである。だが、しかし。
人の魔力の反応はなかった。目の前に、あと三歩ほど歩けば手が伸ばせるところにいるのに。見た目は寝ているだけなのに。
「ロジ主任、間に合わなかったようです」
ロジ主任は僕の言葉に反応しないで、彼らに歩み寄った。そばに腰を下ろして体を揺する。一方を揺すって、それから、もう一方も揺する。当然ながら眠りからは覚めなかった。そのままの姿勢で固まっていた。
「私は二人を運ぶ。その間に野営道具を片付けていてくれないか。すぐに戻る」
ロジ主任はそう言い残して、二人もろともその場から消えてしまった。
瞬間移動の際の衝撃のためだろうか、ロジ主任の目からこぼれた涙が一滴、地面にシミを作った。




