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白い瘴気

 やっぱりこの弓銃は僕には少し重たかった。手に持ったまま走っていたら、すっかり腕がくたびれてしまった。単純に僕の力が弱いせいなのは明らかだった。


 空はキラキラと光る。日はとっくのとうに暮れた。しかしどうだろう、僕の周りのなんと明るいことか。見上げれば、遠くを見やれば、夜であることは火を見るよりも明らかなのに。僕の周り、正確には『それ』の周りは真昼であるかのような日照りだった。


 それ。


 僕には『それ』が瘴気に見えた。ヒペオから脈絡もなく漏れ出る瘴気。しかし、目の前にあるそれは瘴気とは言えどもヒペオのものとは全く異なるものだった。ヒペオのそれが黒い瘴気であれば、目の前のそれは白い瘴気。ただ白いだけではない、輝く瘴気だった。


 索敵の魔力に穴を作った原因を前にしたのは良かったが、次にどうすればよいのかが判断できなかった。あと数歩、歩いてしまえば手が届く距離。僕がそれほどの距離にいることが安全かどうかも分からなかった。ただ、日の光にも似た暖かさを前にすると、悪いものには思えないのである。


 エフミシアさんは白い瘴気のことを知っているのだろうか。ロジ主任は知っているのだろうか。侵入者は魔物ではないからと僕一人で訪れたために確認を取ることができない。


 エフミシアさんの言うとおりだったかも知れない。


「さて、どうしてくれようか」


 声に出してみたら何かひらめくものがあるかもと思って。輝く瘴気を前に言葉を口にしてみたが何も起きなかった。かれこれ数時間も走ったり途中歩いたりしたあとなのだ。頭も少しぼうっとしているし、腕がだるくて弓銃を足に立てかけている始末だった。


 疲労している状況で瘴気の放つ暖かさはいけない。心地が良すぎてあくびが出てしまう。ぽかぽかした日差しの中にいるかのようだった。


 あくびが止まらない。


 我慢ならずに腰をおろしてみれば、より一層に心地よくなった気がした。いよいよ抗えなくなってくるのは眠気である。上半身を起こしているのが億劫になってくる。このまま横になって目をつぶったらどれだけ気持ちの良いことだろうか――


 ――だめ!


 何者かが耳元で叫んだ。予想できない攻撃に僕は地面から飛び上がった。多分ほんのちょっと浮かんだと思う。気がついたときには地面を転がってその場を離れて、手は弓銃を構えていた。


 けれども声のした場所には何もなかった。


 急襲で醒めた頭は、しかし、声の正体を正確に捉えた。僕に淀みの炎を伝えた張本人だった。


 ――それに近づいてはだめ! 何だかおかしい!


 しかし、幻聴が伝える言葉は今までの言葉とは打って変わって曖昧だった。炎を呼び起こした頃の言葉はどこに行ったのか。


 ――危ない! 分からない! 怖い!


 伝わってくる言葉はますます単純になっていった。一切の飾りのない恐怖が言葉として轟く。どこからともなくかけられる声は、あたかも耳元で絶叫しているような大声だった。


 シンプルかつ暴力的。


 ――燃やせ!


 投げつけられる命令には『従わなければならない』という強い語気をはらんでいた。


 ――燃やせ! 燃やせ! 燃やせ! 燃やし尽くせ!


 声がまくしたてる。求めるのは炎。僕が放つ炎を求めている。輝く瘴気に輝く炎。炎。燃える。燃やせ。


 弓銃を構えた。構えると言っても小脇に抱える状態だった。銃床を肩につけて狙いを定めることはしない。相手は目と鼻の先。腰だめの姿勢でも十分に狙える距離だった。


 近い代わりに、しっかり狙いを定めない代わりに、とびきり太い一矢を。


 普通に使おうとしたら弦がどれだけ強くてもすぐ地面に落ちてしまうような太さである。もはや矢と言うよりも棒だった。刺さるのではなく、叩きつけるためのものだ。強く打ち付けるためのものだ。


 ――早く! 燃やせ!


 弦は少し引く程度。改めて体を白い瘴気に向けた。


 肌に感じる暖かさのじんわりと染み込む感じ。


 ――燃やして!


 騒がしさの中で矢を放って一瞬、全てが静かになった。主の分からない声も、瘴気が放つ心地よさも、弦が発する風切り音も。僕の思考も。


 白い瘴気の輝きも。


 白と白とがぶつかったら真っ白にでもなるかと思ったら、むしろどす黒い炎が噴き上がった。炎の明るさはあるけれども、それでも薄暗いという奇妙な光景である。ただ肌に感じる熱感だけは間違いなく炎だった。


 綿に火をつけたかのような激しい燃え方をした。本当に綿のようで、不気味な炎はあっという間に小さくなっていった。その代わりに現れたのが。


 黒い瘴気だった。


 柱のようになっていた白い瘴気とは打って変わって、炎の中心から流れ出るように地面に注がれてゆく。見覚えのあるそれが僕の足元まで迫ってきた。


 とっさのことだった。


 銃を構える余裕もなかった。ただ念じることしかできなかった。


 燃えろ。


 黒い瘴気に炎が走った。僕の足元から全体へ。黒い瘴気は白く輝く炎に飲み込まれた。


 小さくなりつつある赤黒い炎と、その下で燃え盛る白い輝き。二つの炎には気味の悪さと気高さが存在していた。どう見たって害を与えてきそうな炎。どう見たってきれいな炎。火に包まれる前の姿はそれと正反対だというのだからなおのことだ。


 激しく燃えていた炎も、もはや虫の息。あとから放たれた白い炎のほうがまだ力を残している。もう少しで、全てが消えるだろう。


 炎が有終の美を飾るところを見ていたが、いつの間にか炎が横を向いていた。体の左半分がひどく痛むところで ようやく、自分が倒れたことに気づいた。麻痺? いや、感覚はちゃんとあるし動く。だとしたら何だ? 全てが嫌になるほどの疲労感だった。


 白い瘴気のもとに走ってきた際の腕のだるさや体の疲労感とは比にならなかった。命を削ってしまったような実感が体にまとわりついた。体の中が空っぽと実感できるほどの感覚。立ち上がれる気がしなかった。


 仰向けになれば一面に広がる輝きの海。僕は白い瘴気が何だったのかを考える気力もなくなっていた。ただきれいな光景を眺めてばかり。魔物が襲ってくる可能性も、侵入者が迫ってくる可能性も、エフミシアさんがひどく心配していることも。どれも全く頭になかった。


ただ、休みたい。それだけだった。


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