射抜かれた男
夜は深い。明かりがなければ伸ばした手のその先の爪さえ見ることができない。
しかし、僕にはどうってことなかった。新しい業物を手にした僕にとって、この夜は夕方か暁と言ったところか。薄く広く伸びた魔力はその手中で起きた変化を事細かに伝えてくる。情報量の多さには頭が痛くなるが、おかげで暗闇の中を明かりを灯さずとも行動できている。
ただ、重さだけ、重さだけはどうにかしたい。
「それで、相手の状況は」
エフミシアさんは、ヒトでない姿のままだった。
「ヒペオの方に向かって走っています。ほら、あそこの小さな明かり、あれです」
「まだ相手は私達に気づいていなさそうね」
「魔力の雰囲気から想像するに、魔力を鍛えているわけではなさそうですから、全く気づいていないと思います」
「ノグリの索敵は優秀ね、前からそこまでの精度を出せていたの?」
「いえ、前の弓銃では『そこにいる』ことしか分からなかったです。あとは矢そのものの状態ぐらいでしょうか。重くて仕方がありませんが、これにしてからはかなりよく見えるようになりました」
僕が走るのをやめればエフミシアさんも追従する。役割としては、本来はエフミシアさんが前に出るべきだろうが、僕のお願いで後ろを走ってもらっていた。僕の前には魔力の膜が広がっている。そこにエフミシアさんが入り込むとエフミシアさんの情報がずっと僕に送られ続けてしまうのである。
そして、先手を撃つには僕が前にいたほうがやりやすい。
「目くらましを放ちます。目を隠す準備をしてください」
「分かった」
僕は地面に横たわった。片腕を地面に横たえて弓銃の土台にする。銃を腕に乗せて、肩に銃床をピッタリとつける。矢は一本、極限まで細くする。音がなるべく出ないように、空気の隙間をすり抜けるように。それでいて矢の先に蓄える魔力は限界まで。強烈な閃光を与えるに足るだけの力を。
燃える魔法の弦。
僕の体の鼓動がうるさい。
息を止める。音を鎮める。
「いきます」
引き金を引けば一瞬だった。弓銃にすげられた矢も、ピンと張った弦も消えた。
音もなく、まるで魔法が失敗して霧散したかのよう。
でも、それが正解だった。僕はすかさず顔を伏せた。手で相手と目の間に壁を作った。
強烈な閃光。目を守ったところで手の隙間から漏れる光の強さは昼の空ををも超えた。夢の中で見た光しかない世界を体現したかのようである。
すぐに光が収まって顔を上げれば、すでにエフミシアさんが突進していた。ヒトならざる姿を活かした動きは、地面すれすれまで体を倒して這うように進むのだ。実際の蛇とはかけ離れた速度は魔法の類なのか。
僕が走れは数分と言った距離をあっという間に縮める。この距離はエフミシアさんにとっては『距離』と言うよりも『間合い』と言うべきなのかもしれない。
視界を奪われているのだろう、明かりはゆらゆらと揺らめいてその場所が定まらない。そこに猛然と襲いかかるエフミシアさん。
僕も立ち上がり、現場へ走る。やはり走るのにこの銃は重たい。どうにか調整できないものか。
明かりが弧を描いて地面に落ちた。
エフミシアさんと相手が絡まるのを矢を通じて見た。
一方を蛇の尾を巻き付けて動けなくする。一方は腕と戦斧で地面に押さえつけられている。いかにも重たそうな戦斧を軽々と扱う彼女である、人間を押さえつけることなんて造作もないことだった。
状況が終了した。派手さは全くないけれども、着実に仕事をこなせば十分。一瞬で仕事を終わらせられれば次の仕事ができる。
侵入者のもとへ近づいてゆくにつれて、声が聞こえるようになった。『敵地』に潜入しようなんて志を持つ人間が大人しいことなんてなかなかない。野太い声で喚き散らして、甲高い声はエフミシアさんを蛇女と罵っていた。
男性と女性? 矢の見たてでは全員が男性だったはずなのだが。
訓練をすれば分かるようになるのか、あるいは、僕の魔法の限界か。どちらにせよ、今回の仕事にはさほど重要ではなかった。
遅れて現場に到着したわけだが、人でない姿のエフミシアさんの凄さというのは。
大の大人二人を押さえ込み、身じろぎ一つさせないのである。特に男の方は見ているだけで恐怖してしまう。足元から胸元まで、蛇の尾でぐるぐる巻きにされているのだ。叫び声、というよりも悲鳴と言ったほうが正しいかもしれない。
一方の女性には戦斧が振り下ろされていた。刃先は地面に刺さり、柄が首を押さえている。間をおかずに罵り言葉が溢れ出てくるのは男性と対象的だった。
「男の方を先になんとかして。私もこの姿勢はちょっときつい」
「分かりました。ちょっと待っていてくださいね」
エフミシアさんの体をまたいで喚き散らす男の肩に触れる。そうしてからエフミシアさんの蛇のところを叩いて合図をすれば、ギュウギュウに男を縛り上げていた尾がたちまちに解けてゆく。
液体のようにも見えた。
その叫びようから、僕は男性がすぐに逃げ出してしまうのではと思っていた。だから肩を押さえて動きづらくしたのだが、その心配は全くの杞憂だった。僕にしがみついてくるのだ。
「魔物、魔物だぁ! 助けてくれ、こいつは魔物だ!」
男のみっともない顔が僕を見上げてきた。ふざけた言葉、ドラコの世界に踏み込んで、ドラコを魔物と呼ぶなんて。これほど頭に血が上ったことはなかった。
気がついたら、弓銃を男に打ち付けていた。
「その口を閉じていろ! お前は誰に向かって口を利いている!」
男の反応はない。ぐったりと地面に突っ伏したままだった。魔力の雰囲気がおかしくなっている様子はない。ただ気を失っただけのようだった。しかし僕は、感情に任せて人間を攻撃するなんてことはしたことがなくて、まるで崖から突き落とされたような気分だった。
エフミシアさんを罵る声がなくなった。
振り返る。
女性とエフミシアさんが僕を見ていた。
きっと僕はみっともない顔をしているのだろう。男一人を殴っただけでこの世の終わりのような顔をしているだろう。
「ノグリ、大丈夫だから」
エフミシアさんの声が聞こえた。
「ノグリ、落ち着いて。大丈夫、大丈夫だから」
エフミシアさんの声が、僕の心にすっと染み入った。