夜の淀み
周りに人気がないから、日が沈めば漆黒の闇である。山状に組んだ木片から燃え上がる橙色だけが僕たちを照らす光だった。
人間の様子だが、思ったほどヒペオには近づいてきていなかった。思い出したときに矢を放ってみたが、探知できた内容を考えるに、迷子というほかなかった。矢が一行を見つける場所に一貫性がないのだ。こちらに向かっているとか、離れている、ということもなく。強いて言えば、ぐるぐる。
僕とエフミシアさんは炎を見ながら時々干し肉を炙ってはかじっていた。互いに会話はなかった。エフミシアさんが森から帰ってきてからずっとである。
エフミシアさんの様子だが、彼女を見ていると心が落ち着かなかった。話す度に心が溶かされるような存在だったエフミシアさん。、今では僕を乱暴に揺すってくる。喋らないエフミシアさんが僕には異様に思えて、不気味で、怖かった。
原因を作ったのは僕に違いなかった。だから僕から声を上げなければならないのは分かっているものの、とても話せるような雰囲気に思えなかった。
空気が重たかった。
瘴気とは異なるが、紛れもなく空気が淀んでいた。
僕は干し肉の最後の一切れを口の押し込んで立ち上がった。焚き火には背を向けて少し歩く。長いこと同じ姿勢でいたせいだろう、関節に痛みが走った。
立ち止まって空を見上げる。今日も今日とてまばゆい光景だった。ただ、遥か遠くに雲の一団が空を遮っていた。近く空が悪くなるかもしれない。
弓銃を持ち上げ、幾度目か分からない探索の矢を放つ。
さて、変化が必要だ。同じ状況にとどまり続けるともっと空気が悪くなる。僕はこのぎこちなさが嫌だ。
自身へ言い聞かせるようにして振り返った。話す。切り出す。話す。
振り返ってまず目に入ったのは、脱いで折り畳まれた制服のスラックスだった。突拍子もないことを目の当たりにして気合は彼方へ飛んでいってしまった。そのまま視線をずらして持ち主を捕らえた。
エフミシアさんはヒトでない姿になっていた。下半身を蛇にして、尾の先を小刻みに揺らしていた。目を伏せていているが、時たま僕を見上げる。
何かを言わなければならない。けれど、エフミシアさんがヒトでない姿になった理由が分からなくて。
「あ、もしかして、僕からまた瘴気が出てしまっていますか」
なんてふざけたことを口走るしかできなかった。
「これは私の意思でなりました。ノグリさんは関係ないです。いや、関係ないわけでは、ないけど……」
紅潮する頬を見てようやく、僕は彼方に消えた気合を取り戻した。エフミシアさんも勇気をもって立ち向かった。ならば僕も立ち向かわなければならないのだ。
「昨日、宿舎に来てくれましたよね」
「行きはしました」
「僕の部屋まで来てくれましたよね」
「……はい」
「多分、歓迎をしようとしてくれたのですよね。トバスも来たことですし。ありがとうございます」
「いや、そのつもりではなかったのだけれど」
「僕はエフミシアさんが好きです」
「なら!」
「ですが、ごめんなさい。エフミシアさんは命の恩人です。警察団に入って働いているのも、ヒペオに来ているのも、死にかけていた僕がこうやって生きているのはエフミシアさんのおかげです。僕にとっては、姉のような存在なのです」
「だから、そ、そういう目では見れないと?」
「はい、でもエフミシアさんが好きなのは変わらないです」
エフミシアさんがついに顔をあげなくなってしまった。蛇の尾も揺れるのを忘れた。
エフミシアさんから瘴気が漏れ出ているような気がした。
「そっか、姉か」
ポツリと言葉がこぼれ落ちた。ゆっくりと立ち上がるエフミシアさんは、ヒトの姿のときよりも一回り以上背が高かった。
今度は僕がエフミシアさんを見上げる格好になる。
「なら、堅苦しい話し方はやめにしてもいいですよね。丁寧な話し方もしないし、丁寧に呼ぶこともやめます」
「僕は全く構いませんが」
「それじゃあ、ノグリ、弟なのだから多少のスキンシップがあってもいいよね」
エフミシアさんが急に突進を仕掛けてくる。考えも及ばない行動に対して動けずにいたら、『巻き付かれた」。足元からエフミシアさんお体だぐるぐる巻きにされてしまえばバランスが取れなくなる。倒れてもなおエフミシアさんは巻き付いたまま。
エフミシアさんの脚? はひんやりとしていた。
上半身には何もしてこないと思っていた矢先、エフミシアさんが頭を抱えるようにして抱きしめてきた。僕は完全に体の自由を奪われていた。エフミシアさんになされるがままである。
「エフミシアさん、急に何をするのですが」
「ごめん、五分だけ。最初で最後だから」
頭を抱かれて、耳をエフミシアさんの胸に押し当てる形。エフミシアさんの鼓動が大音量だった。
腕が震えていた。
そんな折、索敵の矢に反応があった。しかしエフミシアさんを満足させるほうが大事に思えて、彼女の気が済むのを待つことにした。




