行かせられない
ロジ主任を置いて僕とトバスは宿舎へ移動した。ディルフィールさんと話すことがあるらしく、僕たちだけが先に帰らされた形である。
宿舎は二人で一つの部屋を使うことを想定していた。二段ベッド、棚が二つ。横に長い机が壁際に配置されていて、あてがわれた椅子は二脚。必要最小限の実用性のみを備えた部屋だ。
一つ問題があるとすれば。
「トバス、あのさ。僕、男だよ? いくら二人部屋だからって」
「私がいいって言っているの。一人寂しくするなんて嫌」
「そうはいっても、部屋は分けてもらおうよ。出入りするのは自由なのだからさ、ほら、今からでも遅くないから。『やっぱりもう一つ部屋を使わせてください』、って頼もう」
「トバスは私と一緒じゃ嫌なの? パーティで野宿をすることがあったでしょう。それと同じだよ」
「嫌なわけない。でも、流石に部屋は、ね」
トバスが頑なに僕と同じ部屋を使おうとするのだ。もともと別の部屋を用意してもらうことになっていたのに、トバスが蹴ってしまった。
「私は寂しくて仕方がなかったの。一緒にいたいの。パーティを辞めてこっちに一人向かっているときは心細かったの。怖くて寂しくて辛かったのだから」
「それはその、大変だったと思うけれど」
「パーティからノグリがいなくなってずっと寂しかったし、ノグリがいないからパーティを抜けたし、それからもしばらくは会えなかったのだよ。埋め合わせぐらいあってもいいじゃない」
本人は気づいているのだろうか。そのような言い方をされてしまったら、気があると思ってしまうではないか。否が応にも。
これには僕も戸惑ってしまった。同じ孤児院で育ったトバス。僕にとってはトバスは兄弟だし、男と女、という関係で見たことがなかった。パーティの中でドードとメイフェルがそういう関係だったけれども、ああいった関係になることなんて考えたこともなかった。
トバスは、そういう関係を、望んでいる?
答えに窮していたら、いつの間にかトバスの顔が真っ赤になっていた。僕に向けられていた視線はどこか違うところに向けられている。
「いいから! 一週間のうちにここを出ていかないといけないのでしょう? それまでの辛抱だから!」
暴論とも言える言葉を並べたトバスは自分の荷物の整理を始めるのである。棚の前に立って、肩から下げている小さな握りこぶし大のポーチを開ける。中からは何着もの服や小瓶にはいった薬など、とてもその袋の中に入っているとは思えないほどのものが出てきては棚に収められてゆく。
そう言えば、あのポーチを買うのが最初の目標だ、とトバスが言っていた。
トバスから話にとどめを刺してくれたのは助かった。僕にはちゃんとした答えを用意することができなかった。絶対に良く分からない答え方をしてしまっただろう。何も考えないで、『そのようなことを考えたことがなかった』と言ってしまったらどうなることか。
トバスが棚に向かうのとは反対方向、僕は机に向かった。僕はきれいに棚へ収める考えがなかった。服は机の端に積んで、それから、弓銃の手入れ道具を並べる。油の入った瓶、いくつかの布切れ、ねじ回し。弓銃を置けば空きスペースはほとんどなくなってしまった。
「ねえ」
話しかけてくる相手は一人しかいなかった。
「さっきの女の人が言っていた話、本当なの?」
「本当のことだろうね。ヒペオの状態は僕も実際に見た。あれは聖地なんて言って良い場所じゃない」
「じゃあ、私達は何を目標にしていたのだろうね。だってそうでしょ? ドラゴンを倒すなんてことを言っていてさ、それもきっかけって聖地奪還のポスターだったじゃない」
「そうだったっけ。最近いろんなことが起こりすぎたから思い出せない」
「でもさ、ノグリは実際に見たのでしょう。私は見たことないけれど、『瘴気で満ちている』なんて聞かされたらさ。瘴気が何なのか分かっていないけれど、悪いものだってことは分かる」
「瘴気は、人を殺すか、人を魔物に変えてしまう。この部屋も、もともとは警察団の団員が使っていた場所で、その人も瘴気にやられてしまって除隊したのだ」
「そうだったの。残念、と言うべきだろうけれども、私としては野宿しなくて済むからありがたい」
「まあ、世の中そんなもんだからなあ」
弓銃の手入れに取り掛かろうと思って椅子を引いたら、いつの間にかトバスが横にいた。てっきり片付けに勤しんでいたかと思っていたから、急に彼女の顔が視界に現れて体が一瞬言うことを聞かなかった。
「おお、どうした」
「ノグリの服って、あの時馬車に乗ってきた人と同じものだよね。制服? てことは仲間?」
「仲間と言うか、上司。こっちで警察団の仕事をすることになって」
「へえ、そうなの。それじゃあさ、私も警察団で働くことってできないかな。そうすればノグリとも一緒にいられる」
「聞いて見る価値はあるかもしれないけれど、トバスと同じ部隊にはなれないと思う。そうじゃなくて、ごめん、トバスには同じ部隊に入ってほしくない」
「どうしてそんなこと言うの、せっかく一緒にやっていけると思ったのに」
「僕が今しているのはヒペオ対策。瘴気に満ちた危険地帯だって聞いたろ? まともに瘴気を浴びたら命を落とすかも分からない。そんな場所にトバスを連れて行きたくない」
「じゃあどうしてノグリは大丈夫なのよ。私だって、腕に自身がないわけじゃないし」
「腕とかそういう問題じゃないのだ。対処法がいる。でも、その対処法は僕にしか使えない」
「ノグリにしか使えない? そんなことがあるの?」
トバスはなんとかした僕についていきたい気持ちなのははっきりしている。僕はトバスのことを考えている。だからこそ、トバスにはついてこないと言わせなければならなかった。
「淀みの炎」
「聞いたことがないね。魔法? それができれば対処できるのね」
「魔法かどうかは僕もよく分かってはいないのだけれど。それじゃあ、淀みの炎をやってみて」
「いや、初めて聞いたものなのだから、無理に決まっているでしょう」
「僕はそれで淀みの炎を生み出せた。今生み出せないのであればトバスに淀みの炎は使えない。だから、僕といっしょに部隊で仕事をするのはできないよ」
トバスの顔から血の気が引いていった。目に見えるほどの変化が物語るのは彼女のショック具合。悲しい顔をしているのが心に刺さってくる。分かってほしい一心であえて厳しい言葉を渡した。覚悟はしていたが、見ていて自己嫌悪に陥ってしまう。
トバスを危険から遠ざけるために、トバスを傷つけなければならない。
「私はノグリを助けたいの。命に変えてでも守りたいの。どうしてそれを許してくれないの」
「僕はトバスが心配だ。僕と同じ仕事をすれば、ドードたちと犯していた危険とは比にならない場所へ身を投じなければならない。トバスを失いたくないから」
「だとしたら、なおさらそれ以外の時間は一緒にいさせてよ」
トバスが僕を襲った。急襲だった。僕の体を腕でホールドするのだ。体を密着させてくるのだ。
もっと背が高いと思っていたのに、彼女の目が僕の顎ぐらいの高さだった。
「鈍感ノグリ! 私は一緒にいたいの。私もノグリを失いたくないの。私の近くにノグリがいないと落ち着かないの。ノグリが危ない目にあっているのに私は待つだけしかできないとか、そんなの嫌なの」
青かった顔が今度は赤くなって、ついには溢れ出てきてしまう。僕の胸の中で、
「鈍感! ノグリのバカ! 鈍感!」
と僕を責め立てる。時折握りこぶしを胸にぶつけた。
そのような中、ノックと共に扉が開くと、そこにはエフミシアさんがいた。手には小さな酒瓶を三つ、ぶら下げるようにして持っていた。
しかし僕はトバスを抱きしめていて、トバスは泣いていて。
エフミシアさんは静かに戸を閉めた。戸に消えゆくエフミシアさんの表情はどことなく冷たい、見たことのない表情だった。
「ノグリ、ノグリ」
なおもトバスは止まらない。
トバスから溢れ出る感情を、僕はひたすら受け続けるのみだった