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イノセンタ

 考えてみてもらいたい。


 僕の隣には女の子。


 相対するは女性が二人。


 トバスを支えつつも宿帳に記帳するときは、背後に二人が立っている。


 部屋の鍵を預かって階段を上がっていこうというところで、


「話があるから落ち着いたら戻ってこい」


と背後から言いつけられる。


 思い当たるフシがあるわけではないものの、良い想像は浮かばないのが男というものではなかろうか。隠すつもりはまったくない、けれども『見られた』感は否めなかった。


 悪いことは何もしてないのに、どうしてだろう、ロジ主任とエフミシアさんと一緒に食堂のテーブルに座っているのが気まずくて仕方がなかった。


「して、あの子は誰だ?」


「誰って、ロジ主任が言っていた人ですよ。僕のパーティにいたトバスです」


「パーティ? じゃあノグリさんを狙ってきたのですか? なのにどうして介抱なんか」


「そうじゃないですよ。僕のことを追ってきたのは確かっぽいですが。パーティを辞めたそうです。それで、以前僕を見かけたのを覚えていたらしく、こっち側に来たと」


「君たちはどうしてそうも簡単に山を越えようとするのかね」


「僕の場合はそれしかありませんでしたから。トバスには、わざわざこちらに来なくても街で暮らせるだろうにとは言ってみたのですが」


「それで、相手はどう答えた?」


 ロジ主任は楽しんでいる。途中からのニタニタしだした顔が求めるものはろくでもないに違いない。


 一方のエフミシアさんは硬い表情というか、真剣な眼差しで僕を見据えている。背後に少しばかり淀んだ空気のようなものを感じた。


「どうって言われましても。誰も知らない街で暮らすより知った顔のいるところで暮らしたほうがいいって」


「ほう、君も男だな。慕われているじゃないか」


「ロジ主任、私達は雑談をしに来たわけじゃないのですよ」


 エフミシアさんの声なのに、体に染み込まない声だった。エフミシアさんが切羽詰まったような雰囲気でいるのは慣れなかった。そのようなエフミシアさんを見るだけで心がざわついてしまう。


「こういうときに冗談の一つも言えないと上の立場には立てないぞ」


 ロジ主任はエフミシアの肩をたたいて空気を和らげようとした。それでもエフミシアさんの背後にある闇は微動だにしなかった。


 一つ、ロジ主任が咳払いをする。


「本題だが、悪い知らせ二つ。いい知らせ二つ」


「じゃあ、いい知らせから」


「一つ目は新新市街の宿舎に空きが四つできた。うち一つをノグリくんに割り当てるから、生活の拠点にしてほしい」


「できれば、もうひと部屋、トバスのために使わせてもらえませんか。こっちに来たばかりで、宿泊することもできないでしょうから」


「ずっとはできないぞ。あくまで一時的な保護の名目であれば一週間程度はできる」


「ありがとうございます」


「で、二つ目は、前にノグリくんが話していた件のこと。瘴気のことを知りたいと言っていただろう? 詳しいやつと調整がついたから、話を聞きにいける」


「それは良かったです。何も知らないままでいるのも怖いです」


 良い知らせが終わってしまった。残るものは悪い知らせのみ。エフミシアさんが怖いのはきっと、悪い知らせがよっぽどのことだからなのだろう。ロジ主任の口から何が放たれるのか。エフミシアさんの周りの空気が一層こわばった。ロジ主任が伏し目がちになったのは、凶事の前兆か。


「ヒペオの状況が悪い。昨日も爆発したみたいに瘴気が襲ってきた。その対応で四人が除隊することになったよ」


 ロジ主任からさらっと出た言葉に背筋が凍った。ある日の宿で見た光景が重なる。僕が弓銃を爆発させた時あの場にいた誰かが命を賭したということだった。


 そうか、だから宿舎が空いたのか。


「もう一つは、どうも領域内に人間のパーティが数組侵入してしまっているらしい。遭遇した団員によれば、『イノセンタをよこせ』と言われ、『聖地を返してもらう』と言っていたとか。聞き覚えがある言葉だろう?」


 どうも運の悪い日らしかった。僕の心を容赦なくえぐってゆく。おかしなことを言っているのはドードだけではないということか。聖地には何もないのに。イノセンタに至っては何かさえもよく分かっていない。


「ロジ主任、結局イノセンタって何ですか。いい加減、ちゃんと分かっておきたいです」


「あまり聞いていて気持ちの良い話ではないぞ。それでも聞きたいか」


しかしロジ主任は分かっている。あるなしについて判断できるぐらいのことは知っている。僕はもう一介の冒険者ではなかった。制服を着ている。この状況で、相手が求めているイノセンタを知らないというのはまずかろう。守る価値のあるものであれば。


 僕はうなずいた。


「イノセンタは毒だよ。ヒトをボロボロにする悪魔の毒だ。瘴気にあたってヒトからヒトでない姿になってしまうのを何度か見ただろうが、その原因がこいつだ。少しでも体に発生すればドラコは体のコントロールができなくなる。エフミシアなら分かるだろう? 急にヒトでない姿になったあとは体が動かしづらくなかったか?」


「はい、言われてみれば、確かに違和感はありました。急に変化したのでそのせいだと思っていましたが」


「そう、それで、しばらく瘴気から離れればいずれ毒は抜ける。けれどもね、時には限界以上に貯め込む、被曝してしまう場合があるのだよ。今回の四人がそう。そうすると、毒に侵された体はヒトの姿を忘れてしまう。そしてその姿になってもなお瘴気を浴び続けると、心がヒトの姿を忘れてしまう」


「心がヒトの姿を」


 恐ろしい言葉を僕はただ繰り返すことしかできなかった。


「体がヒトの姿を忘れて、心がヒトの姿を忘れて。そうなったドラコはもはやドラコじゃない。知っているか? 心がヒトの姿を忘れるのは一瞬のことなのだよ。一緒に戦っていた仲間が急に魔物になって襲いかかってくるのだ」


「まるで、その――実際に襲われたような言い方、ですね」


「ああ、実際に襲われたよ。一人や二人じゃない。片手では足りない数を、そうだな――導いた」


 一切の言葉を返せない。ただただロジ主任の言葉が重く積み重なってゆくばかりだった。仲間を殺さなければならない。数秒前まで同じ方向を向いて戦ってきたヒトが突如武器を向けてくる。恐怖という言葉では済まされない世界。目の前で語るロジ主任は幾度と経験してきた。


「イノセンタという言葉はそういった毒されたドラコのことも指す。おぞましい、悪意に満ちた言葉だよ」


「なぜ、彼らはそれを求めるのでしょうか」


「ノグリくんに分からないのだから、私だって分からないさ」


 ロジ主任は二回拍を打った。拍手の勢いで立ち上がったと思えば、僕たちに背を向けて背を伸ばした。天井めがけて伸ばしたかと思えば、左右に体を曲げた。


「というわけで、だ」


 くるり振り返るロジ主任の調子は机に垂れ流されたそれとは対象的に明るい調子に感じられた。


「相手はいずれヒペオに来ると考えてもらったほうが良かろう。人間ってのは、ノグリくんみたいな連中ばかりではないのだろう? 彼らのためにも、今までよりも広い範囲を見回って対応してもらいたい。エフミシアの元で動いてもらう、ノグリくんにとってはやりやすいでしょ」


「はい、大丈夫です」


「そしてもう一つ、侵入してきているという人間たちの調査をしてほしい。ノグリくんはあっちのことを私達よりは知っている。何か発見があるかもしれない」


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