泥だらけの修道女
トバスの格好は、控えめに言ってもみすぼらしかった。
元はきれいに整えられていた質素な服も、今や泥だらけのシワだらけだった。ドードたちと一緒の頃の記憶ではこんな汚れた姿になったのを見たことがない。当時は『荒れ地やぬかるむや森の中を移動しているのにどうしてそんなきれいな服でいられるのか』と疑問だったが、今回も今回で、『どうして普段はきれいな服装をしているのに汚れてしまっているのか』と疑問だった。
トバスを牢から出して個室に移動する。始め僕を案内してくれたドラコは、トバスではなく僕のことをすごく不審そうに見ていたが無視する。何を言いたいかは想像がつく。
どうして人間の名前を知っているのだ?
どうして人間がお前の名前を知っているのだ?
僕の制服と識別票が彼を黙らせているのだと信じたい。
個室にトバスを招き入れて。ドラコたちにはあとで報告すると言って戻ってもらった。
トバスの向かい側に僕は腰を下ろした。
「いろいろ聞かなきゃいけないのだけれど、それよりもまず、大丈夫なの? そんな汚れちゃって。体調とか、そういうのは」
「私は、その……」
話そうとした矢先、言葉よりも先に涙が先に出てしまった。涙は言葉も塞いてしまう。嗚咽で言葉が出なくなってしまった。涙もとめどなく、大粒のものがぼろぼろと。いきなりの展開に僕は面食らってしまった。落ち着いてくれない分には話ができそうになかった。
向かい合う距離さえも遠く感じられて、僕は椅子をトバスの隣に移した。彼女の横に腰を下ろして、背中をさすってみたり、手を握ってみたりした。なんとか心が落ち着いてもらえるよう心を砕いた。
あの手この手をやっているうちに想像が膨らんでゆく。だっておかしいじゃないか。トバスはパーティのメンバーだ。どうして他のメンツがいない? トバスがここにいることが不自然なのだ。ドードたちと共にこちら側に再び入り込んできたというのか。警察団に見つかってトバスだけが捕らえられた?
彼女が落ち着きを取り戻した頃合いで、僕はいよいよ我慢ならなくなった。
「どうしてトバスだけがここに? ドード達がいるだろう?」
「もう私はドードと関係ありません。私は辞めました」
「辞めた? どういうことさ」
「言葉通りです。私はパーティを抜けました。一人こっちに歩いてきました。ほら、前にノグリと出くわしたときがあったじゃない。こっちの方に来ればもしかしたらと思って」
エフミシアさんと道中に鉢合わせした時のことだ。昨日のように頭に思い浮かべられる。トバスがあの時振り返っていたのは、やっぱり気づかれていた、ということだった。
「気づいていたってこと」
「山を超えたり森をさまよったり。ごめんなさい、こんな汚い格好で。魔法も休める余裕がなかったから、服を整える余裕もなくて」
「そんな苦しい目にあってまで、どうしてこっちに来たの?」
「ドードはもう別人のようです。メイフェルはドードに盲目的。グコールは、彼は、いつも男をとっかえひっかえしている。ノグリがいなくなってから、みんなおかしくなっちゃって、それが私には我慢ならなかった」
「それで、どうしてこっちに。トバスだったらどこでも働いていけると思うのだけれど」
「こっちにはノグリがいるって知っているから。知っている人が誰もいない場所よりも、少しでも知っている人がいる場所のほうが良いから」
そう言われると、心の中がむず痒くなってしまう。パーティの中では修道女の清らかさを漂わせていた彼女が、見た目を全く考えないで、命をかけてここまでたどり着いた。そこまでするトバスの心の力強さは僕には真似できない。
「それでも相当無茶をしたじゃないか。女の子ひとりで山を越えるなんて。筋骨隆々の頑丈そうな人ならともかく、トバスは」
「でもこうしてノグリに会えた。私はこれで十分」
トバスはおもむろに机に体を預けた。胸と頭を机に任せて、顔を僕の方へと向ける。僕を見上げてはにかむ表情はとてもぎこちなかった。
「ごめんね、ちょっと疲れちゃった。ノグリの顔を見れたから、気が抜けちゃった」
笑い声も乾いていて、それが病的に感じさせる。トバスからにじみ出る魔力の雰囲気も弱々しかった。それでいてトバスらしくなかった。僕がヒペオからここに移動するまでの間、どんな境遇にあったのか。鉄格子が悪い想像ばかりをかきたてる。
これ以上話を聞くのは良くなかった。トバスを休ませなければならなかった。食事をさせて、ゆっくり横になってもらうのだ。警察団を出て、ちゃんとした宿にいかなければ。
トバスのことを僕の客人と言い張れば、ドラコたちは言い分を聞いてくれた。すごく腑に落ちていなさそうな顔を隠しもしていなかったところ、本当に渋々だったのだろう。ここまで勝手なことをしてしまってはロジ主任に何か言われるかもしれないが、何となく悪い言われ方はしないだろうと思えるから不思議だった。
一方で御者は突如増えた乗客のことをさも当然のことのように扱った。つまりは何の感情も示さなかった。ただ黙々と自身の仕事をするだけだった。
今の状況では御者の仕事ぶりがありがたかった。トバスは馬車に座らせるなりすぐ寝息を立て始めたからだった。もし賑やかな御者が相手だったらたまったものではない。しかも速さを押さえて揺れるのを抑えるという気の使い方までしてくれる。
見るからに安っぽい宿をいくつか通り過ぎたところで、御者に行くべき先を伝えていないことを思い出した。知った顔を見たせいで気持ちが浮ついているらしい。客室と御者席の間の扉をノックして開けて、行き先を伝えようとすると、すでに向かっていると。それだけではない、ロジ主任から資金を渡されているから心配はしなくて良いと言ってのけた。切れのある低い声には蒸留酒のような奥深さがあった。この御者はどこまでできるのだろう。
ほとんど揺れを感じずにたどり着いた宿は車窓から見たどの宿よりも立派なものに見えた。白い外壁と、金属板の組み合わせ。周りが木材をと金属の無骨さを全面に押し出しているものだから、周りの雰囲気と全くそぐわない感じだった。
だが、似つかわしくない外観は丁寧さ、柔らかさを感じさせてくれる。きっと寝床も快適であろう。
眠りこけているトバスを起こして、寝ぼけた彼女に肩を貸す。馬車を降りて宿の出入り口を見やる。中に入って少し手続きすれば、ようやくトバスを休ませられる。
しかし、どうしてだろう、そこにはロジ主任とエフミシアさんが佇んでいるのである。




