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アラート

 娯楽で賑やかだった屋内が嘘のようだった。楽しげな笑い声は何処へ、金属同士がぶつかる音とヒトの駆け回る音に包まれていた。


 控えめに言って異常な空間だった。それぞれから放たれる気配の濃さの凄まじいことと言ったら。ギュウギュウ詰めになった野生動物が互いに威嚇しあっていると説明されたら納得してしまう。


 少し気持ち悪くなってきた。


「あの笛の意味は何ですか」


 階段を足早に上がるロジ主任のあとを追った。


「とにかく何かが起きた」


「魔物ですか、それとも」


「笛を吹く判断は監視に任せている。ノグリくんは外に出て準備をしていて」


 言われるがまま外に出た。濃い気配から抜け出したから気分が幾分良くなったが、外は外で普通でなかった。決して団員たちの殺気ではない。


 全くの別世界に降り立ってしまったかと思えた。空気がおかしかった。言いようのない恐怖感に包まれるのだ。先程まではこんなことはなかった。空気が湿気ていた。それでいて、刺さるような冷たさだった。経験したことのない環境だった。


 戦斧を手に体を伸ばすエフミシアさんの表情は硬かった。


「この状況、何が起きているのですか」


「この感じですとおそらくは、魔物が押し寄せてくるかも知れません。それにしても今日の瘴気はひどいです。もしかしたらヒトでない姿になってしまうかもしれません」


「であれば、先に索敵をしておきたいです。それぐらいなら勝手にやっても大丈夫ですよね」


 エフミシアさんがうなずくのを見て、僕は開けた土地を見やった。壊れた建物が広く点在しているのは警察団の詰め所のあたりとさほど変わらない。しかし、遠く離れるほど色合いが不自然になって行くのだ。黒、紫、黄色、橙色、不自然な緑色。植物か構造物なのかの判別すらつかないものが地表を突き破っている。その奥には黒い霧に覆われている。


 おそらく黒い霧の向こう側に旧市街があるのだろう。ヒペオの危険地帯としての顔。そう言えば初めてまじまじと眺めた気がした。


 開けた土地は弓銃にとっては都合が良い。六本の矢を索敵で放てば、真っ直ぐにその弾道を進んでいった。


「あーあー、聞こえる?」


 普通の何倍もの音声で発せられる声はロジ主任、三階から身を乗り出していた。


「状況は淀みが濃くなっているのと、魔物がこちらの方へ動いている気配。魔術担当は瘴気を打ち消して。駆除担当は魔術担当を守るのと、出現する魔物の排除を。それから、今日は新しく参加するノグリくんの初陣だから、しょうもない失敗はしないでよ」


 いくらかの返事が聞こえたものの、ほとんどのドラコはすでに戦いに集中していた。大きな杖を持ったドラコが数人いて、そのヒトを守るようにして剣や槍を持った団員が身構えていた。残りの団員は離れずぎない程度に距離を保っていた。


 僕はとりあえずエフミシアさんの近くで待ち構えることにした。


 索敵の矢に早速反応があった。矢の方向を見てみれば、思わず漏らしてしまいそうになった。


 数多の黒い何かが、圧倒的物量で、迫ってきている。まだ個体の姿を捉えられないほどの距離であるにもかかわらず、地面が小刻みに揺れていた。矢にまとわせた魔力が反応するに、数十体はくだらなかった。


 僕は集団を真正面に見据えるように立つ。まっすぐ腕を伸ばして弓銃を構える先は、連中よりも少し高め。エフミシアさんのような武器では全く届かないこの距離でも、僕であれば攻撃範囲だった。


 ――助けて。


 ああ、あの声だ。ヒペオに来ることを求めてきたあの声が聞こえた。大量の魔物が発生している中で助けを求められると、今までの幻聴とは違う現実感があった。まさに困っている、そのように実感させられる。


 魔力の弦はいつもよりも強く編み、強く引く。


 魔力の矢はいつもよりも長く、それでいて固く。


 発射の準備ができてもまだ魔力を込めて。


 汗が吹き出してきた。


 これ以上は耐えられないという一瞬を捉える。限界に達している弓銃に刺激を与えれば、金属的な風切り音が魔物の集団めがけて飛んでいった。


 つがえた矢は十本。途中までは一本の矢のように飛んでいき、それから十本に分裂するのだ。


 命中を待たずして、新しい弦と矢を準備する。


 別の方角から、あれは矢か? 刃先をとにかく巨大にした槍が降っているように見えた。元をたどると、自らの身長と同じぐらいの大きな弓を操る女性がいた。


 僕は第二波を放った。


 守られた魔術師は詠唱を始めていた。歌のようなその響き、僕は聞いたことのないものだった。そもそも魔法なのか。魔法で歌が必要だなんて聞いたことがない。


 我慢の限界に達しつつある男性たちが、少しずつ動いて今にも突撃しそうになっていた。


 僕の矢が的に降り注ぐ。追い打ちをかけるように槍が降る。


 皆が皆真っ黒に見えるから、どれだけの個体を倒せたのか分からなかった。それでもなお連中は迫ってくる。声を発することがないから、ただ無機質に迫ってくる。不気味で不自然で気味が悪い。


 次の矢を準備している中、エフミシアさんが僕の顔に迫ってきた。


「私もそろそろ前に出ます。後方支援をお願いしても大丈夫ですか」


「大丈夫です。もともとの僕の役目ですから」


「お願いします。あと、私を撃たないでくださいね」


 エフミシアさんはすると今にも飛び出しそうな男たちに駆け寄った。いくつか言葉を掛け合ったあと、魔物の方へ歩き始めた。


 第三波を放つ。


 ここになってようやく、個体の姿がかろうじて分かるようになった。しきりに放たれる矢での多くは大弓のヒトが放つそれで、一体一体を確実に倒しているように見えた。


 対する僕の一撃は。十本の矢で仕留めることができているのは二体か三体ぐらいか。


――炎を投げて。


 幻の声は僕に助言をしているつもりである。炎。淀みの炎。結局の所それが何者なのか全く理解できていないが、同じようにやってみれば良いのだろうか。


 団員の勇ましい雄叫びが起こった。歩いて迫っていた一行がいよいよ駆け出したのだ。


 僕はあの時の想像、淀みの炎のイメージを弦と矢に重ねた。何もかもを焼き尽くす白い炎。弓銃に宿るそれはいつもの青白さとはまるで違う様子だった。白い弦。銃を握る手は熱かった。


 エフミシアさんを始めとしたドラコたちはすでに敵と戦いを繰り広げているようだった。というか、いつの間にか一団はすぐ近くの所にまで至っていた。薙ぎ払って魔物を一網打尽にする姿は圧巻だ。


 僕が狙うのは団員の攻撃が薄いところだった。あまり範囲を広げると味方にも攻撃してしまう恐れもあったから、つがえる矢は二本にとどめた。眩しい輝きを放つ矢は妖しかった。


 銃がはらむ熱はもはや火であぶられているかのようだ。手は真っ赤になっていて、手の甲にはいくつもの針を押し当てられているような痛みがずっと続いていた。それでもこらえているのはもっと威力を高めたいからだった。


 狙いは定めたまま、もっと弦を引き絞る。より強く魔物を射抜けるように。大量の魔物を倒せるように。


 だがこれがいけなかった。


 弓銃の銃床が突如として砕け散ったのである。木っ端微塵に、内側から弾けるようにして。文字通り爆発。僕が込めた魔力にいよいよ銃が耐えられなくなってしまった。


 手元の爆発音は僕の頬や腕を切るのみではない。爆発という刺激は矢を撃ち出すには十分すぎた。


 爆発して暴発する矢は、幸いなことに元から狙っていた方へと飛んでいった。しかし、轟音を放ちながら、地面をえぐりながら飛んでゆく矢は明らかに異質だった。弓銃から放たれるものではなかった。


 轟音が、しいん、と消えた。魔術者の歌、エフミシアさんたちの鼓舞、それすらも巻き込んで音をなくしてしまう一瞬。


 空気がまたたく間に固く張り詰めたような気がして。


 耳をつんざく爆音。


 凄まじい衝撃。僕の体にいくつもの血の筋が走った。


 激しい音以外何も聞こえない、衝撃の強さに目を開けることを許されなかった。僕でさえこの状態、もっと至近距離にいた彼女たちはどうなってしまう。


 エフミシアさん。戦斧を振るう姿がまぶたの暗幕に映った。


 嫌な想像しか浮かばなかった。衝撃に襲われるエフミシアさん。血まみれのエフミシアさん、体がおかしな方向に曲がってしまうエフミシアさん、足がもげてしまうエフミシアさん――


 助けなきゃ。でも身動きが取れない。自分でまいた種。


 目を閉じているのに、目が回っている感覚。


 体に感じる衝撃が軽くなって、何となく爆音も収まったような気がした。しかし体が全く言うことを聞かなかった。耳は穴に綿をギュウギュウ詰めにされているようで、何もかもがぼやけていた。前腕の痛みがひどい。右手に至っては肉の内側がひりひりする。


 目を開ければ、余計に目が回ってしまった。よろける体を一度は持ちこたえることができたが、しかし次の波には耐えられず、地面に膝を立てて体を支えた。ぼんやりとした視界、地面に手をついたところは赤くなっていた。


 顔を上げれば、世界は左右に大きく揺れていた。時々ぐるんと一回転。ただ視界はだいぶはっきりとしてきた。そこには立ち尽くす部隊員たちだった。怪我をしているように見えるヒトはいくらか見えるものの、僕が想像していたような被害は起きていなかった。


 武器を手にした集団の中から一人が飛び出してきた。エフミシアさん。走って動けるぐらいの状態ではあるらしかった。悪い想像ばかりをしていた僕にとってはそれがこの上なく嬉しくて、目の奥が緩みそうになった。


「ノグリさん、一体何をやったのですか、それにその体の傷は」


 僕に言葉を投げつけながら駆けてくるエフミシアさんは、しかし足がもつれて転んでしまった。突っかるものなんてないはずなのに、とエフミシアさんの足元を見ると。


 脚がうねっていた。波打っていた。豚のブロック肉を思いっきり曲げてみたかのような、ありえない動きだった。更に二本の脚が絡み合い、いつしか一つの塊になった。


 表面には鱗が生えはじめる。


 これは、ドラコがヒトでない姿になる瞬間か。


 初めて目にする減少を前に僕の頭は目まぐるしく働いた。ヒトでない姿になるのを制御できなくなる。瘴気。病院。ロジ主任から渡された石。


 エフミシアさんから離れなければならない。


「エフミシアさん、離れてください。多分また、僕が瘴気を放っているかもしれません」


 僕が炎を使うと、瘴気を生むようになってしまうのか。


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