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8.病は気から

『ハイOKでーす。一旦休憩入りまーす。』


 スタジオに大きな声が響き、出演者は各々動き出す。大御所の方々が席を立ったのを確認して、一ノ瀬慶太も一度スタジオの外に出ようと立ち上がる。すると、タイミングを見計らったかのように隣に居た女性に声をかけられた。


「一ノ瀬さん、お疲れ様です。外に出るんですか?」

「………はい。」

「私もちょっと外の空気を吸おうと思ってたんです。ご一緒しても良いですか?」

 一ノ瀬慶太はまたかと思いながら相手をまじまじと観察した。ウルウルと瞳を潤わせ、首に少し角度をかけて上目使いで見上げてくる女性アイドル。名前は何と言ったか。忘れてしまったが、今人気絶頂のアイドルグループの主要メンバーの一人であったのは確かだ。アイドルのくせに、観客がいる前で良くこんなに分かりやすく声をかけてくるなと、相手に対して軽蔑した気持ちを抱きつつ一ノ瀬慶太は優しく微笑んだ。


「あまり、そういうことやらない方がいいんじゃないですか?」

「え?」

「休憩時間ぐらいは一人になりたいので、失礼します。」

「え…、」

 女性アイドルが困惑した声を漏らしたが、そのまま一ノ瀬慶太は気にせず歩みを進めた。笑顔を浮かべたのは観客席の中に、自身のファンがいるかもしれないための配慮だ。別に彼女に対して優しさを見せた訳ではない。一ノ瀬慶太は観客席から見えない場所まで移動すると、ため息を吐いてスタジオを出た。


(…黒磯はどこに居るんだ…?)


 いつも休憩時間になればうざいぐらいに引っ付いてくる黒磯が見当たらない。一ノ瀬慶太はきょろきょろと辺りを見渡し、違和感を抱きつつも、ポケットの中からスマホを取り出す。バッグは黒磯に預けているが、近頃はスマホだけは肌身離さず持っていた。そのスマホの画面に新着メッセージの文字。一ノ瀬慶太が今現在LIMEのやり取りをしているのはただ一人しかいない。胸を弾ませてスマホのロックを解除して内容を確認する。


「…は?」


 そのメッセージを開いた瞬間、一ノ瀬慶太は走り出した。


















「…いったいいつになったら出てくるんだ…っ。」



 一方、女子トイレの前でイライラと足を踏み鳴らしているスーツ姿の男。別にマネージャーだからと言ってスーツを着る必要もないのに、いつもきっちりとした服装を身に纏い、曇り一つもない磨かれた銀縁眼鏡をかけた男、黒磯は苛立ちを隠せないでいた。


「もう少しで休憩時間だというのに…っ、しょうもない女らが慶太さんに言い寄ってたらどうしてくれるんだあの女っ…!」

 一人ぶつぶつと女子トイレの前でつぶやき、トイレを睨んでいる様はもはや不審者だ。数人が彼の横を通り過ぎたが、誰も彼に声をかけられずいた。そして、トイレに入りたがっていた女性は、踵を返して他のトイレを探しに行った様子で、誰一人として美琴がトイレに入ってからは、そのトイレに立ち寄る人はいなかった。






「――…黒磯…?」

「…っは!?…けっ、慶太さんっ!?…なんでここに…!?」

「…黒磯も何してんの…?女子トイレの前で…。」

「いやっ、そのっ…、…なんでもありません。…行きましょう。とりあえず、休憩はあと何分ですか?楽屋へ戻りますか?」

(くそっ…!…この女を野放しは出来ないが、今出てこられたらまずい…っ)

 美琴と引き合わせたくない黒磯は、一ノ瀬慶太の背中を押しながらトイレから遠ざかる。抵抗しながら何かをしゃべっているが、それを無視して全力で黒磯はトイレの方向を見せないように背を押した。しかし…――



「あ~すっきりした~。」

「美琴さんっ!」

「なっ…!?おい、貴様っ!!」

「お~!一ノ瀬少年っ!久しぶり。奇遇だね。」

「貴様っ、…もしかして私を騙したなっ!?」

「え~?何言ってるんですか?急な腹痛なんてよくあるでしょ?排泄のニーズはしっかり叶えてあげなくちゃ。人間としての尊厳は守らなくてはいけ無いんですよ?…それより一ノ瀬君。」

 美琴は黒磯の静止も聞かず、一ノ瀬慶太の前までずんずんと大股で移動すると、両腕をがしっと掴んで少年を見上げた。


「あんた、今熱何度あるの?」

「…え?」

「熱!何度あるのかって聞いてんのっ!」

「おい、貴様っ…、この期に及んでっ!離れなさいっ!」

「うっさいっ!この愚図眼鏡っ!」

「なっ!?…愚図っ…!?」

 美琴の暴言にショックを隠し切れない様子の黒磯を無視して、美琴は一ノ瀬少年を再び下から睨みつける。


「君、私に嘘ついたでしょ?」

「え…、嘘なんて…――。」

「風邪!治ってないんでしょっ?ちゃんと熱測ったの?」

「…。」

「いいから、一旦そこに座りなさい。」

 美琴は丁度トイレの目の前にあったソファに一ノ瀬少年の手を引いて無理やり座らせる。その目の前にしゃがみ込んで、手を握っていない方の手で額に触れた。掌に伝わってくる熱に美琴の眉間にぐっと皺が寄る。


「…なんでこんな無理してんの…?熱、下がってないんじゃん…。」

「…。」

「めちゃくちゃ熱いんだけど!黒磯さんもなんで無理させるんですか!?」

「な…、熱なんて…――、」

「身体は大丈夫なの?こんなに熱があったら結構つらいでしょう?」

「……確かに、ちょっと怠いけど…――」

「っ…、本当に熱があるというのですか?…嘘をついて仕事をさぼろうとろでも…っ――、」

 その言葉を気いて、美琴の頭の中でプツンと何かが切れた。


「あんたねぇ!…私よりこの子と付き合い長い癖に、今までこの子の何を見てたんですかっ!?もしこの子が仕事さぼりたいなら、そんな嘘つかないで正々堂々とさぼるわバカタレっ!お前はさっさと体温計でも借りてこいっ!」

「なっ…。」

 黒磯は美琴の言葉に息を呑む。しかし、美琴の口の悪い発言に対して、黒磯は意外にも何も言わず、一拍置いてその場から立ち去った。美琴は少し拍子抜けに思いながらも去っていく足音を確認し、再び一ノ瀬慶太を下から覗き見る。




「…なんで嘘ついたの…?」

「…別に、嘘ついたわけじゃない…。…本当に大丈夫だと思った…。」

「こんなに熱があるのに大丈夫なわけないじゃん。自分でも分かるでしょ?」

 美琴は少年の様子を観察する。まっすぐ見つめる瞳は、芯はしっかりしているがおぼろげだ。頬も紅潮しているように見えるが、血色が良いと言われればその程度かもしれない。しかし、一番おかしいのは雰囲気全体がぼーっとし、気怠い様子がうかがえるのだ。これが体調悪いと言わずなんと言う。


「…何か…、美琴さんの顔見てたら怠くなってきたかも…。」

「え…。」

 一瞬どういう意味だと美琴は眉をしかめたが、その言葉と共に、一ノ瀬少年が美琴の肩に熱い頭を乗せたことで、美琴は言葉の意味を理解する。だいぶ体重もかかっており、身体を支えることも辛そうだ。


「…病は気からって言う様にさ…、気を張っていれば一時しのぎで怠くても乗り越えられることもあるよ?…でも、それはずっとじゃないし、君はまだそんなことしなくてもいいんだよ。」

「…。」

 一ノ瀬少年の手を握っていたのは自分だったはずなのに、いつの間にか握りしめられている手はそのままにし、美琴は一ノ瀬少年の背をさする。

「君はまだ子どもなんだから、辛いときに我慢も遠慮もしちゃだめ。…怠いなら怠いって、きついならきついって素直に言いなさい。…大人になったら今よりももっともっと言いにくくなるんだから…。今のうちに言えないでどうするの…?」

「…。」

「…言える人がいないなら私には言って。私に出来ることは少ないかもしれないけど、言葉にするだけで気持ちが軽くなることもあるし…、私これでも看護師だから看病も出来るよ。…まぁ、看護師の看病って案外雑なんだけどさ…。いや、だって、死にはしないような風邪に心底心配して看病しろって言うのも無理があるじゃん…?あ、傾聴と共感はするよ?って、そんなことは置いておいて、――…ごほんっ、…嘘はつかないで。約束して。」

「……分かった…。」

 一部美琴の暴走が始まったが、美琴の言葉を聞いて一ノ瀬少年は素直に返事をこぼした。美琴は一ノ瀬少年の頭を撫でる。

(…まったく…。…この子は、私と別れてから一人家でどういう生活をしてたの…?)



 やはりこの子は放っておけないなと、美琴は心の中で独り言ちるのだった。


ブックマークと評価ありがとうございます!

めちゃくちゃうれしいです(^^)

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