不穏な空気(1)
【ドールガルス城塞】
レナードがノイントの転移魔法陣によって飛ばされた先は、ドールガルス城塞の自室であった。
その見慣れた室内の様子に懐かしさはなく、若干の嫌悪感と共に父のいる部屋へと急行する。
最初は突然現れた自分に父も驚いたようだったが、近況を聞いて直ぐに状況を理解してくれた。と言うのもダルメシア王と兄ジーザス・ドールが行方不明と言うのは聞いていたからだ。
ドールガルス城塞都市の長、バッカス・ドールは聡明な男で情報の整理能力に長けていた。
「兄上ジーザスはノイントと共に王を裏切り、そして魔大陸へと渡りました」
その説明を受けたバッカス・ドールは想像していたが、実際にそうだと断言されて非常に落胆していた。
ジーザスはドール家で最も出世した人物であって、いずれは帰ってきて家督を継ぐ予定だったのだ。
そんな人物が反逆など、ドール家の全てを差し出してもお釣が来るほどの重罪だった。
「レナード、兄のことは忘れろ。今は城塞都市としての機能を全うするぞ」
それにレナードはピクリと反応した。
バッカス王は貴族としてではなく“城塞都市として”とハッキリと述べた。
「国民はどうなさるおつもりですか?」
「最優先は城塞だ。だが市民は今の内にダルメシアに受け入れ要請をかける」
レナードはこれに憤慨した。
貴族としては納税者である市民の安全を最優先にすべきだ。
だが城塞機能を全うするとは、ダルメシア防衛要塞としてその身を粉にして守れという事だ。
「ドールは市民を優先すべきです!まだ時間はあります!」
「黙れレナード!政治を知らぬ者が政を語るな!」
バッカス王も卓を叩きレナードに反撃するが、レナードの怒りは収まらない。
「ならば今まで友好的だった貴族を頼れば良いでしょう!」
「当てにするな!だから政治を知らんと言う!」
「では…なぜ今まで!」
バッカスは椅子にドカッと座ると、肘をついてレナードを睨みつけた。
「お前は十全に育ち、世界を見たのにまだ分からぬか」
「世界は愛に満ちていました!」
「聖職者か貴様は!そんなお花畑で政ができるか!」
レナードには末っ子として、あまり英才教育を施されなかった。
自由に考え自分の意見を持ってほしいと思い、学園に行ってからは口出しをしなかったのだ。
だが最低限は教えておくべきだった。
「地方貴族と交友を結ぶは財源確保と物流強化が目的だ」
「ならば市民はどうなのですか!同じ出資者ですよ!」
バッカス王はレナードが城下を一望できるようカーテンを広げた。
そして開いた窓から風が吹き込み書類は飛ばされ、兵はその書類を追うのに苦労していた。
「この窓からお前は何が見える?」
「市民の笑顔と戦争への不安です」
「それだけで政は務まらない」
この人数が大挙して王都に押し寄せれば、収容しきれなかった市民は城壁外へ野晒しにされる。
すると治安は荒れ、物流は止まり、魔獣に襲われて周囲は不衛生な状況となる。
疫病がまん延し、助けを求めて無理やり城下町に入ろうとするだろう。
そこで衛兵や騎士団と流民の互いで殺される者が現れ、止められない争いが起きるのだ。
入念な準備をする時間はあったが、皆それを避けてきた。
市民が不要と叫び、野党が同意し議会は混乱する。それは平時の利便性を向上させようとした必然であり、そして有事への反動だ。
「理解してもらえたかな?バッカス王から政の講釈は以上だ」
「…申し訳ありません、浅薄な考えでした」
バッカスは素直に謝るレナードを見て嬉しく思う。
その姿に息子として、一人前の男として認めるに十分であった。
「よくぞ世情に流されず王に進言した。その姿に誇りを覚える」
「はい…父さま」
「良き隣人に出会えたな、レニー」
やっと、長い時間をかけて親子は再開した気がした。
物理的な接点ではない。心通わせた親子としての再開という意味だ。
レナードは物資の配給などに不手際が無いか、王都の受け入れが出来ない場合の移動先を検討した。
そして翌日、レナードは手紙を持ってバッカス王の元へとはせ参じたのだ。
「父上!副首都チェストの議会から受け入れ許可がおりました!」
「でかした!かの地に知り合いがおるのか?」
副首都で出会った議員へと手紙を認めたのだ。
距離はあるが健康な人であれば無理のない範囲だ。
ここに来てあの1年間の旅が役立つとは思わなかったが、父の言う通り人との接点を持つことは大事なのだろう。
副首都チェストからの速達(風魔法による中長距離飛行)にて、直ぐに避難準備が進められた。
この速達方法もノイントが作り上げた《フラグメントシステム》の一部を使っているのが悔しくて仕方がなかった。
それほどまでに彼が残した功績は大きく、そして落胆も大きかったのだ。
城の窓から忙しなく動く市民を見ていたバッカス王は兵に指示を出す。
主に兵の配置から武具の運搬、補給経路の確認と封鎖時の代替ルートの検討。
城塞都市と言う名だけあって、建屋などは破壊すれば道が閉鎖されて壁となるようにできている。
分断された場合は、地下通路を使い閉そくさせながら合流する事ができるのだ。
しかも《魔法障壁》を応用して高さを制限する事により、城下は迷路のように入り組み、脱出する事さえ困難になる。
「杞憂に終われば良いが…」
王の呟きに誰もが耳を傾けなかった。聞かなくて良いことを心得た良き部下たちであった。




