遥か北の大地で
「……」
一人の男が玉座の裏にある窓から城下町を、大陸を見下ろしていた。そこは雪と氷に閉ざされた極寒の地であり、見渡す限り草木が茂る様子は見受けられない。
彼は何も言わずにだだ腕を組み、ある物を待つ。
やがてそこに一人の男が現れた。巨漢でありその身の丈は3mほどにもなろうか。彼はそのまま窓を覗く相手に膝をついて頭を垂れる。
「主よ、ついに手に入れた!」
行動が忠実であるのに対して、言葉がそれに伴わない。だが主と呼ばれた男は特に気にせず、些細な事など取るに足らないと思っている。
言われ窓から視線を離すと、漆黒のマントを翻して振り返ると淡々と述べた。
「述べよ。貴様の情報は当てにならん事が多いがな」
「大陸の東にある洞穴に秘匿されている!」
「そうか…ハウレストここに」
先程の男と同様に突然現れた女性は、膝をついてすぐ様顔を上げた。
だがそれに巨漢の男はいい顔をしない。情報を持った自分に任せられなかった事で思うところがあったのかもしれない。
「主よ!命あらば俺が行…」
「ガーミランよ貴様には別件がある。それに貴様の力は今この時に使う物ではない」
ガーミランは何かを察したのか、何も言わずに再び頭を垂れる。
ハウレストはそれを見て頷き、スカートの裾を持つと貴族のような振る舞いで挨拶をした。
「主よ、東の洞窟に行って何をなされば?」
「探れ。最重要事項は必要な情報を持ち帰ること」
「我等が“魔王様”のお御心のままに」
ハウレストは再びスカートの裾を上げて挨拶をし、来た時同様に忽然と姿を消した。
魔王カイラス。
玉座の近くにいる男はそう呼ばれていた。
ユウキ達が暮らす3国大陸の北側に、海を挟んで位置する魔大陸を統べる者。
しかし当然の事ながら、彼とて産まれた時からそうではなかった。常に戦いに身を置き、生き残ることだけを考えていた。
とても野生的とも言えるその思考は、凶暴であり制圧と恐怖が全て。それが魔族であった。
雪と氷に覆われた不毛な大地では、その生存競争が成り立つのは致し方ない事だったのかもしれない。
だが、カイラスの現れと同時に魔大陸の状況は一変する。彼は敵という敵をねじ伏せ、この大陸の王者に君臨すると世界が…魔族が変わった。
誰もが命を無駄にせず、彼に歯向かおうとせず、膝を地に突き忠誠を示したのだ。
例えるならば、それは女王蜂に対する働き蜂。
絶対的に尽くす相手であると同時に、全員で自らの生活基盤を守ろうとする種族形態へと変化した。
そして魔王は居城を整備し、魔大陸を統治するための側近を必要とした。
そこで選出されたのが、数多の戦いにおいて互いに認め合った好敵手であり、戦友である集団《魔血衆》である。
先程のガーミランとハウレストの他にもおり、戦闘力の高い魔族の中でも一際一線をかしていた。
魔王はハウレストが出立し、残されたガーミランに指示を出す。彼にもやってもらう事がある。
「影から情報を受けて事を起こせ。古の約束は近い」
それに顔を上げたガーミランはニヤリと笑い、プルプルと震えだした。
恐怖の現れか?畏怖の念か?
いや違う。
これから起こる事への歓喜に震えた武者震いである。
「ふはッ!ついにですな!」
「あぁ、400年とは長かった。かの大陸は終わりを迎える…」
「ハッ!」
威勢の良いハッキリとした返事をして、ガーミランも姿を消した。
後に残されたカイラスは玉座に座り、1人瞑想を始める。これから起こる事への祈りか?願いか?
否、彼等魔族に祈りや願いはない。
あるのは実力と状況のみである。そんな彼の心境は何処までも深く長い溜息となって吐き出された。
「……ミミ、ハウレストについて行け。俺も必要なら出るから借りるぞ?」
「いいよ〜。ミミはミミの仕事だよね?敵と遊べば良い??」
「辺境だから敵が居れば良いがな。融和のカーテンは少々厄介で油断できない」
「りょーかい、ハーちゃん待ってぇぇ!!」
再びの静寂。
カイラスは頬杖をついて深く瞑想する。
(約束の時は、いつ約束されたか……)
誰も知らない、答えの出ない自問。
魔大陸の東西南北には巨大な魔法陣がある。しかしこれは起動しない魔法陣であった。
ただ魔族なら誰もが知る御伽噺のような伝承が残されており、その魔法陣の存在から皆が信じている。
“約束の時が訪れ楽園への扉が開く。誘われし時の運命に蛮勇を持って勇者は愚者とならん”
魔大陸と3国大陸の間には大海があり、気流は常に荒れている。更に追い討ちをかけるように、融和のカーテンと呼ばれる巨大なオーロラがあり、そこを通過すると魔力をとてつもなく抑制される。
とてもではないが、こんな所は相互行き来できた物ではない。それが出来るのは《魔血衆》と魔王カイラスのみである。
一体誰が何のために作ったのかも分からない代物であり、カイラスを持ってしてもその制約は解けなかった。
「俺はやるさ…」
誰に言うでもなく呟くその言の葉を、聞く人は誰も居なかった。




