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出張!異世界ごはん

作者: 深凪雪花



 デメトリア・ルツ・アルトリッジ。それが今世での私の名前。

 今年十五歳になるデメトリアの一番古い記憶は十年前、高熱を出して寝込んでいた時のことだ。その時、天啓のように前世の記憶が甦ってきた。

 前世の名前は、野中美羽。東北の田舎出身で、憧れの東京に進学したのと同時にトラックに轢かれて死んだ哀れな日本人。

 そんなデメトリアが次に生まれ変わったのは――アルトリッジ伯爵家令嬢だ。日本の世界史でいう中世ヨーロッパ風の異世界の令嬢であり、金髪碧眼と見た目も日本人から変わっている。

 伯爵令嬢だけあり、生活は裕福だ。毎日、柔らかい白いパンを食べられるし、肉料理や魚料理も豪勢に食卓に出る。前世では悲惨な死に方をしたが、なかなかいい来世なのではないかと思う。

 ――が。


(こ、米が食べたい)


 心の奥底から沸き上がる衝動を、デメトリアは前世の記憶を思い出した時からずっと堪えている。

 日本人の……元日本人のDNAには逆らえない。米が食べたい。味噌汁が飲みたい。パンだけではどうにも物足りない。

 自分で栽培すればいいのではないかと思い至った時もあったけれど、今この住む土地は稲作に全く適していない。そもそも、稲をどこから調達すればいいのかも分からない。

 ああ、もうジャパニーズ米を食べられる日はこないのか。そんな軽い絶望を味わっていた時、その店は現れた。


「いらっしゃいませ」


 あれ? とデメトリアは思う。

 トンネルの向こうは雪国だったなんて一節が昔小説にあったが、自室の扉を開けたら異世界だった。これ、比喩じゃない。

 店内はこじんまりとしていた。カウンター席が七つにテーブル席が四つ。日本人、野中美羽の魂が震えるようなザ・街の定食屋さん。

 厨房にいたのは、人好きの笑みを浮かべた若い男だった。日本人風の顔立ちだが、ただ一つ違うのは彼の髪はまばゆい銀髪をしていること。


「こちらへどうぞ」

「は、はい」


 言われるままにカウンター席の中央に座り、デメトリアは改めて店内の内装を見直した。やっぱり、どこからどう見ても日本の店としか思えない。


「メニューはこちらです」

「ありがとうございます。あの、ここは……?」


 扉を開けたら、いつもの自室が出迎えるはずだったのだ。それがどうして、こんな日本の食堂に通じているのか。

 お品書きと書かれたメニュー表を受け取りながら問うと、店員はにこやかに言った。


「異世界ごはん白天亭、出張店です」

「しゅ、出張店?」

「ええ。近年、日本人の方が異世界に転生されるケースが増えてきています。その方を応援するためにこの店を立ち上げたんですよ」


 増えてるんだ、異世界転生。っていうか、店を立ち上げたってどこに。

 突っ込みどころはたくさんあったが、とりあえずメニュー表をめくってみる。今の自分には日本円がない。どうせ代金を支払えないのだからとぱらぱらとメニュー表を見ていたら、目が点になった。――無料!?

 生姜焼き定食、唐揚げ定食、コロッケ定食――様々なメニューが並んでいるが、見間違いでなければそのどれもが無料と書かれてある。


「代金はお気にせず。お好きなものをご注文下さい」


 こちらの思いを見透かしたかのように店員は言う。にこにこと優男風の彼は、銀髪ながら和服を着ていて店の雰囲気ともよく似合っている。


「無料って本当ですか!?」

「ええ。応援するために店を立ち上げたと言ったでしょう。異世界でのお話を聞かせてもらえたら十分ですよ」


 お腹がぐるぐると鳴るのを感じる。

 無料。もし、また日本食を食べられるのなら。

 迷いはなかった。


「肉じゃが定食をお願いします!」

「かしこまりました。少々お待ち下さいね」


 待つこと数十分。

 黒い盆に載って運ばれてきた肉じゃが定食は、夢にまで見た日本食だった。

 ほかほかの白米、ワカメと豆腐の味噌汁。付け合わせのきゅうりの浅漬けに、そしてメインの肉じゃが。

 ほくほくのじゃがいもと豚肉に甘辛いタレが絡んで、眩しいほどに一皿が輝いている。

 箸を持っていきそうになるが、まずは味噌汁から。


「…っ……」


 一口すすると、唸るような味が口の中に広がった。鰹節で出汁を取っているのかもしれない。具材はそう多くないが、本当においしい。

 続いて白米。口に運んだ瞬間、ああこれだという至福感が体全体を満たす。ジャムを塗った白いパンのように何か取り立てて味がするわけじゃない。けれど控えめな甘さがザ・日本人の心だ。

 付け合わせのきゅうりの浅漬けをひとかじりしてから、デメトリアはついにメインデッシュへと箸を伸ばした。

 箸。そういえば、箸を使うのも十五年ぶりだと改めて思う。

 肉じゃがはほくほくとしていた。甘辛いタレがじんわりと染み入るように舌の上で転がる。ほっぺたが落ちる――という表現は、こういうことなのではないと思った。


「いかがですが、お味は」

「おいしいです! とっても!」


 店員が何者かなど些細なことだった。今はただ、日本食に没頭していたい。

 デメトリアは無我夢中で肉じゃが定食に舌鼓を打った。沸き上がる衝動のままに白米を掻き込む。

 ああ、これが日本食。日本人の心だ。

 最後に味噌汁をすすって完食。デメトリアの日本人の心は完全に満たされていた。


「ごちそうさまでした」


 これならば、もうしばらく異世界生活に耐えることができるかもしれない。またこの店に来ることはできるのだろうか。

 デメトリアは意を決して店員に話しかけた。


「あの、私は野中美羽……いえ、デメトリアと申します。また出張しに来ていただけますか」


 店員はにこやかに笑った。


「もちろん。あなたが頑張っている限り」


 勘定は本当に無料だった。店を出ると、いつの間にか自室に戻ってきていて、デメトリアは目を瞬かせる。

 あれは幻だったのか、白昼夢だったのか。

 その時、コンコンとドアを叩く音が響いた。


「お嬢様、昼食のご用意ができました。どうぞ、食堂に参って下さい」

「分かったわ。ありがとう」


 応えてから、思わずお腹の辺りを押さえる。昼食が入りそうにないくらいお腹いっぱいだ。

 何より心が満たされている。しばらくパン中心の食事でも耐えられそうなくらいに。夢ではなかったのかもしれない。

 異世界ごはん白天亭、出張店。果たしてまたデメトリアの元にやって来てくれるだろうか。

 次に会ったら店長が何者なのか訊こう。軽く浮足ちながら、デメトリアは自室の扉に手をかけたのだった。




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― 新着の感想 ―
[良い点] ほんわかした雰囲気は好きです。 [気になる点] 「箸を使うのも何十年ぶり」とありますが、冒頭に15歳とあるので、素直に読むと15年ぶりかと。 [一言] 裏設定が少々気になる点はありつつも、…
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