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しばらくそうしていると、「どうしたの?」と小さな声が聞こえた。初めて質問された。今まではイアインが一方的に質問したり話しかけたりして、返事すらろくになかったのに。
「あなたを見ていたらこうしたくなったの」
「私がかわいそうだから?」
心配だったことは確かだが、かわいそうだと思ったことはない。
「ちがうよ」
「じゃあ、どうしてこんなことするの。されたことない」
「あなたがかわいいからよ。かわいそうだからじゃない」
イアインがそういったとき、リビングにコフィが入ってきた。が、ソファの二人を見て一瞬だけ動きを止め、また姿を消した。
「かわいいから?」
「そう」
「かわいくない。わからない」
「わからなくてもいいの」
「人間ってかわいいものなの?」
「そうよ」
「どうして?」
「理由なんてない」
「わからない」
「私はあなたが好きなの、ルディ」
「やっぱりわからない」
小さな体に力が入り、逃げ出そうとした。だが、イアインはさらに強く抱きしめた。その意図を察したのか、ルディの体の力が抜けた。しばらくそうしていると、頭が右肩のほうにもたれかかってきた。彼女はその頭を左手で撫でた。撫で続けているうちに、少女は目を閉じて寝息を立て始めた。すっかり安心したのか、それとも諦めたのか。
横から見るその寝顔は安らかだった。小さな目の切れ込みや柔らかそうでいてツンととがった鼻の造形。そして閉じたくちびる。耳の下から頬にかけての金色の微細な産毛。生まれたばかりのような白無垢の皮膚。すべてが生き生きとしていた。
自分は何をしているんだろうと思った。ルディに対してこんなことをする権利があるのだろうかとも訝った。しかし、こうしてこの少女と接してみたいと思ったことは確かだ。
そして、抱きしめられながら安心感の中で眠った記憶が自分にもあることに気がついた。これは小さいころに母親であるアーイア・ライントが毎日のようにしてくれたことだ。
一時間ほどそんなことを考え続けたあと、あまりにも気持ちよさそうに寝ているので、イアインは起こさないようにその体を抱いて、ベッドルームに運んだ。小型のベッドの上に寝かせると、そこへコフィが入ってきた。彼女はコフィに向かってくちびるに指を当て、そっと部屋から出た。
リビングでコフィが驚いていた。
「よくあんなことができましたね。人に抱かれてあの子が寝てしまうなんて初めて見ました」
「そうなの? 小さい子ってだっこしてもらっているうちに寝ちゃうことあるでしょ」
「いや、私たちにはそんな経験はあまりないかもしれません」
「そうか。そうかもね」
「私にはとてもマネができません。そうだ。ルディはあなたと一緒に暮らしたらどうでしょうか」
「それでもいいし。そうじゃなかったら時々来るし」
「わかりました。とりあえず、出発前は今の体制でいきましょう」
「よろしくお願いします」
「お茶でもどうですか? リビングに用意してあります」
テーブルについてティーカップを一口すすったとき、イアインのブレスレットがポーン、ポーンと小さな音を立て始めた。このブレスレットにメッセージを送る権限は、首相とヨアヒムしか持っていない。脳にインプラントを入れていないイアインを呼び出す方法はこれしかないことになる。
胸の前にかざしたブレスレットの上には、首相のホログラムが浮かんでいる。リアルタイム通信のようだ。試しにイアインは話しかけた。
「なんでしょうか」
「アポイサムまで来てほしい」
「重要なことでしょうか」
「そうだ。例によって用件はここでは話せない。すでにそちらに高速シャトルが向かっている。あと十分程度で着くはずだ。それに乗ってほしい」
一日の会議も終わったし、これから居住棟に戻るつもりだった。フロリナやオルシアが遊びに来るようなことを言っていたが、基本的には時間があった。
「AIを連れて行っても?」
「かまわない。いやそのほうが好都合だ。シャトルの中でAIから重大ニュースを聞いておいてほしい。済まないがよろしくたのむ」
「わかりました」
立ち上がると、コフィが「忙しいですね」といって玄関まで先導した。
「ありがとう。またすぐ来ます」
イアインは、船底に乗り捨てたカートがまだ残っていることを願って部屋を出た。重大ニュースというのは何だろうか。呼ばれるのはそれと関係しているのだろうかと気になりながら、イアインはギシギシと音を立てる階段を降りた。




