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氷結時代の終わり  作者: 六角光汰
第一章 燦然と輝く廃墟
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6 ラロス暦7902年/ エヌテン星101号サテライト


ラロス系が擁する四つのガス惑星のうち、一番外側にあるのが直径五万キロのエヌテン(enutpen)星だ。爽やかなブルーに輝きながら、恒星ラロスを百六十五年周期で公転している。主星からの距離はおよそ二百五十光分もあり、準光速船で行くとしても二週間の時間を要してしまう。

 エヌテンの軌道には深宇宙探査局の管轄する観測ステーションがあった。ラロス系の辺縁部には小型のセンサーが無数に配置されているが、そのデータがすべてここに集約され、意味のある図表や概念にまとめられて母星へ送られている。探査局は101番目に作られたそのステーションを単純に101号衛星と呼んでいた。

 101号は直径二百メートル程度の小型衛星で、人間用に作られた施設ではないために重力制御も行われていない。もったいないことに、エヌテンの美しい青い姿を眺めるための窓もない。

 というのも、データの収集に励んでいたのは主にAIだったからだ。衛星内部は一応人間が活動できる構造になっているが、実際に無重力の空間を行ったり来たりしているのは物理的なメンテナンスを行うロボットだけだった。したがって、衛星の内部は空気で与圧されていない。人間の居住空間だけが、必要に応じて呼吸可能な酸素や窒素で満たされる。

 現在、珍しいことにこの衛星には人間の責任者が訪れていた。人間に代わる責任者として常駐していたのはヨアヒムのセカンドレベルAI。簡単にいってしまえばヨアヒムと同期しつつヨアヒムに従属するレベル5のAIだ。したがって独立型ではないが、このセカンドレベルはヨアヒムと同等のスペックを持ち、高レベルな思考やプログラムの自己改変が許されていた。ただし、中央にいるヨアヒムと並列化している限りにおいてである。

 そんなレベル5のAIに深宇宙探査局の局長、ライル・ニアームが体を宙に浮かせながら話しかける。ここ数日の観測データを眺めていて、気になることがあったからだ。

「ヨアヒム、聞いているか。解せないことがある。変なデータを発見したんだ」

 ここは人間にはありがたい空気がたっぷりと充満した情報集約ルームだった。放射線や宇宙線、全レンジの電磁波、重力波などのリアルタイム観測データがライルの上下左右前後に表示されている。

 さらに、AIの思考内容のモニターも存在する。それは、レベル5のAIが人間に危害を加える事態を避けるため安全装置で、量子言語で営まれる思考を人間が解読可能なものにするプログラムを経由して表示される。

 量子言語による思考は多次元量子場干渉型演算ユニットの内部で起こる物理現象だ。その現象をモデル化して理解しようとする場合、立方体に収まる上下左右前後に等間隔で並ぶ点をイメージするのが手っ取り早い。立方体の中に仮想の点が千個あったとする。その各点の間には三次元の法則に則った線しか引くことができない。しかし、実際の演算は九次元空間内で行われる。つまり、三次元のグリッドは九次元を視覚化できない人間向けに単純にしたものだ。

 ちなみに、演算中の各点は重ね合わせ状態――キュービットになっている。さらに、AIの思考プロセスの進行によって、千の点すべてが他の複数の点ともつれ状態になったり収縮したりを繰り返す。そして、一連のもつれと収縮の関係を意味する線がモニターには表示されるようになっている。九次元の世界では、一つの特定の点が、たとえば五つ離れた一点と、中間に位置する他の点に接触しないで直線を引くことが可能になる。つまり、一直線に並ぶ点A・B・Cがあるとすると、Bを経由しない直線A・Cが高次元空間には存在する。

 これをホログラムで表現すると、立方体に見える複数の点の間に、無数の線がランダムに現れたり消えたりする。それも数億分の一秒単位だ。人間の視覚がこの現象をとらえると、カラフルな網状のゆらめきに見える。立体構造の一部が青から赤に変化したり、色彩の同じ変化が繰り返されたり、目まぐるしい変化やゆっくりした変化もあったり、まるで光のアートのようだ。

 AIがある思考を行って結論を出すと、一瞬だけ光のアートが固定化される。この演算結果はホログラム化されてメモリに記録される。このときのパターンの蓄積がAIの思考の読み取りを可能にしている。つまり、AIが何を考えているのか人間の言語に翻訳される前にある程度はわかるのだ。

 ライル・ニアームは「変なデータを発見したんだ」と発言すると同時に、脳内の拡張型AIを閉鎖モードに切り替え、ヨアヒムの思考モニターを分析するように命じた。美麗なゆらめきがすぐにおさまった瞬間、ライルは脳内で報告を受けた。混乱・虚偽・敵意・裏切り・造反・狼狽・陰謀といったネガティブなパターンは一切検出されなかった。しかし、鈍感な人間である自分が気がつくことにヨアヒムが気がつかないのは明らかにおかしい。AIは人間の数万倍も敏感にできている。

「変なデータとはどんなものでしょうか?」

 ヨアヒムの声には、もちろん感情が含まれていない。

「このデータを見てくれ。宇宙線のデータだ」

 そういってライルはホログラムに微細な線が夥しく並ぶ図表を出現させた。

「これだ、リュクレリウムを示す線がある」

「そうですね。リュクレリウムのイオンですね。ラロス系の磁場でこちらに加速されたように見えます」

「リュクレリウムは人工的な元素で、ネイティブな粒子ではない。知ってのとおり、ラロス系内で核融合して生み出されたものだ。それがなぜ、系外から飛来するのか」

「そのデータが本当だとすると、リュクレリウムを内臓しているラロス系のAIロボットや宇宙船、探査船が系外に存在するということになります」

「存在はしている。リュクレリウムを搭載した探査機はたくさん系外へ飛ばしている。しかしリュクレリウムが飛散するということは、高圧密閉容器が破壊されたということを意味する」

「そういうことになります。観測データを洗い直しましょう。そしてリュクレリウムが飛来した方向に観測重点を置きましょう。データをよく見てください。観測された粒子のエネルギーが小さすぎます。誤差の範囲内ということではないでしょうか」

 セカンドレベルの声はいつものように渇いていている。しかしライルは微妙な違和感を覚えずにはいられなかった。

「そうかな」

「リュクレリウムについてはアラート指定しておきます」

 こうしたセカンドレベルとの会話は、すべて中央のヨアヒムと並列化されているはずだ。アポイサムへ戻ったら、観測データを首相や評議員たちに見せなければならないとライルは思った。

 さらに、数時間前のこと。ライルは高感度の光学観測において不思議な光の明滅を見た。101号を訪れる楽しみの一つは、惑星エヌテンの水素の海に浮かぶ、白い雲を眺めることだった。六年前に来たときにセカンドレベルから勧められて光学望遠鏡を覗いたとき、その雄大な美しさに心を打たれたのだった。

 エヌテンの青い大気は離れて見るとのっぺらぼうで特徴がないが、近傍から望遠鏡で観察すると、どこまでも深く光が差し込むような透明感があった。棒を突っ込むと反対側へ突き抜けてしまうような脆さが感じられる一方で、惑星を一周してしまう雲の筋を作り出す、時速二千キロの暴風の強固なバリアで守られている。そんなアンバランスな環境の中に、なぜか大きな白い雲の塊が一定の位置を保って浮かんでいるのだ。

 ところが、エヌテンの光景をたっぷりと網膜の中に吸い込んだあと、ふと望遠鏡を操作して深宇宙へ向けると、かすかに明滅する光を複数発見した。時々うっすらとした光の筋も見える。ライルは脳内のAIに命じて自分の視覚を記録させた。そこでは明らかに何かが起こっていた。異常なリュクレリウムもその方向から飛来していた。

「セカンドレベル。この映像も見てほしい」

 そういってライルは脳内のストレージから望遠鏡の映像を呼び出した。ホログラムに映った映像では、光点の明滅がより不鮮明になっていた。だが、わずかな光の変化をAIが見逃すはずがない。

「いったい何でしょうか。ラロス系外でなんらかのエネルギーの解放が起こっているようです。小惑星群の衝突でしょうか」

 やはりそれが一番考えられる原因だろうとライルは思った。

「わかりました。ライル評議員。その方向へ探査機を飛ばしましょう。辺縁系のセンサーの能力では観測できない微細な現象だと推測します。ただし、探査機では慣性質量の制御が不可能ですから、該当宙域に到達するのは三ヶ月かかります」

 ライルはずっとセカンドレベルの思考モニターを観察していた。しかし、その思考内容に異常は発見できなかった。ひょっとすると本当に彼の言うとおりなのかもしれない。自分が、疑い深く細かいことにこだわり過ぎる性格であることは自覚している。

 しかしこの性格を買われて中央評議委員――つまり首相の下で政治問題を議論し政策を決定し法律を作る七賢人の一人に選ばれたのではなかったか。

 そもそも、こんなエヌテンくんだりの辺境地帯に来たがるライルのような人間は珍しい。はるか彼方のエヌテン系の視察を申請するたびに、評議委員や役人に変な目で見られた。ラロス系の果て、あるいは宇宙の果てで何が起こっているか訊ねれば、すぐにAIが映像つきで教えてくれるというのに。

 それに、現在のラロス系の宇宙科学は、現実宇宙の観察よりもシミュレーションを土台にして進化する段階に入って久しい。現実の宇宙を観察するよりも、宇宙そのものをシミュレーションして再現したほうが理解しやすいのだ。もちろん、シミュレーションは近似値にすぎないが、観測可能な宇宙内に存在する素粒子の数――十の八十乗個――に近い数のパラメータを使えるほど高度なシミュレーションがいまでは可能になっている。可能にしたのはヨアヒムの思考を支えている多次元量子場干渉型演算ユニットだ。つまり、この演算ユニットの中には宇宙そのものが含まれているといっていい。あくまで近似値だが、宇宙で起こる現象のすべてが詳細に観察可能なのだ。

 そういった事情があったから、深宇宙探査局ではシミュレーションの結果を後追いで検証する仕事が多くなった。ライルはそれでもいいと思っている。電波や光や重力波などによる観察には距離や時間の限界がある。

 その一方で、百三十六億光年を超える観測可能な宇宙の外部がどうなっているか、長年にわたる謎が厳密なシミュレーションで判明していた。およそ千四百億光年の距離に壁があり、そこから先はあらゆる物理定数が違う空間が広がっている。ビッグバンが始まる前の超高エネルギーに満ちた空間がある。我々の宇宙は濃密なチーズのかたまりに開いたスカスカの空洞なのだった。しかもその空洞は広がりつつある。そして、さらに向こう側には無数の空洞が存在する。この宇宙モデルの正しさは、九十九・九九九%の確率になるという。

 こんな真実をシミュレーションが明かしてくれても観測で確かめる方法はない。それを思うとライルはしばしば脱力するが、ヨアヒムが膨大なリソースを使って、人類の介助やラロス系の運営の片手間に研究し始めたテーマを知ったときには、自分はもう科学者でさえないと思った。永遠に教えを乞い続ける生徒でしかないと……。

 ヨアヒムの取り組んでいる問題は、宇宙の加速度的な膨張を止めることだった。このまま膨張を続けると、数百億年後には空から星の瞬きがすべて消え、宇宙全体が熱的な死――ビッグリップを迎えることになる。そうなれば超知性体にまで進化したAIでさえ――エントロピーが無限大になって――利用できるエネルギーがなくなり、活動を停止せざるをえない。不老不死の超知性体というキャッチフレーズで鳴らしたAIにも、実は死が訪れるのだ。

 ヨアヒムはそれを阻止するために時空そのものが持っているエネルギーを調節し、膨張を止めるという。まさに神をも恐れぬ野心といっていい。空間を無理にいじくると相転移のきっかけを作る可能性があるが、ヨアヒムはそれを回避する方法はすでに完成しているという。

 ライルにはその方法が想像すらできない。量子言語を理解するための拡張型脳AIをインプラントしているが、はっきり言ってそこまで行くとお手上げだ。進化し続ける科学から落ちこぼれてしまってなす術がない人類は、与えられた環境で、慈愛に満ちたAIに飼われながら楽しく余生を過ごすしかない。だいたい、抗老化プログラムを定期的に受けた結果、百六十歳まで生きることができたとしても、数百億年後のことを考えなければならない理由があるだろうか。

 そう思い至ると、ライルは体が軽くなると同時に、気分が悪くなった。まだ101号に来てから四十時間しか経過していないのに、珍しく無重力酔いにかかったようだ。脳AIに命じてアシスタントを呼んだ。すぐに人間と同じ大きさのロボットが現れてイスの形に変形した。そこに座り込むとロボットはライルの体を固定し、移動し始めた。自分の部屋へもどり、少し休むつもりだ。セカンドレベルとの会話も途中だったような気がしたが、どうでもよくなった。



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