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その影響は娘のイアインにも及んだ。連日のように行われている裁判へ出席するために家を出ると、フロアには人が犇めいているので歩きにくく、エントランスへ向かうゴンドラもなかなか到着しなかった。やっと下へ降りれば乗り捨てられた介護カートが道や幹線道路をふさいでいた。信者に発見されれば周囲を固められてラナンの助けがなければ身動きもできなかった。
しかたなく、イアインはこのビルへの出入りを屋上から行うことにした。幹線道路の上には運輸局が管理する物資輸送用ドローンのルートが存在する。ドローンには人間が乗れるタイプもあるので、政府が気を利かせてくれたのだった。
十一面体の隣にある裁判所に空中から出入りするとき、官庁街一帯にはデモ隊が気勢を上げているのが見えた。特に十一面体の正面ゲートには、数百人が座り込んだり、太鼓をたたいて歌を歌ったり、数千年前に存在した反政府組織の旗が揺れたりしていた。こんなに元気があるのはサクゲナ市民たちに違いなかったが、所々に首都の市旗もあったから、多少はゾンビと呼ばれるアポイサム市民たちも混じっているようだった。
数世紀にわたって首都アポイサムでは見ることができなかった光景だ。
『ヨアヒムは説明責任を果たせ!』『レベル5AIの廃止!』『サクゲナの独立を認めろ!』『通信の監視反対!』『戦艦や武器をサクゲナ市民軍にも供与せよ!』『ラロス系の絶対安全を確保!』『他星系への移住を認めろ!』といった声が空まで響いてくる。
法廷での最後の証言を済ませたイアインは、ドローンの小窓を覗き込みながら、隣のラナンに訊ねた。
「サクゲナ市民軍なんてあった?」
「いいえ。昨日サクゲナ市で結成されたようですよ。有志が五~六百人も集まったと。そんな発表がありました。しかし、政府や市の正式な組織ではないので民兵といったところでしょうか」
「気持ちはわかるけど、実際に戦えるのかしら」
「まあ、現時点では無理でしょうね。でも、敵のデータをとり入れたV・Rで訓練すればなんとかなるかもしれません。すでにV・Rは流布しています。面白いのはアポイサム市民たちにも流行し始めていることですね。もっとも彼らは現実世界で戦うんじゃなくて、V・Rで敵を倒して楽しむだけでしょうけど」
重力制御でふわりと浮かび、モーター駆動のプロペラが八つついているドローンは、時々風に煽られながらゆっくり揺り籠のように移動していく。市内で恒常的に循環する物資の移動用ドローンにはそれほどスピードが求められない。幹線道路上のカートなら三十分で走る距離を、ドローンは一時間以上かかる。その間、イアインたちは一部混乱する首都の様子をゆっくりと観覧できた。
やがて、百二十階建ての自宅が見えてきた。その周囲には依然として人が集まっていた。しかし混乱はおさまってきているようだ。なにしろ、このビルには一万人程度が居住可能だから、集まってきている人たちが入居すれば人の渦は解消されるはずだった。
屋上の発着場所で乗客を降ろすと、ドローンはゆっくりと上昇して空路に犇めく仲間たちに紛れ込んで行った。イアインたちがゴンドラの方向へ少し歩くと、警護用AIロボット二体と信者数人を従えたアーイア・ライントが待っていた。首都が混乱し始めてから、アーイアには警護ロボットがつくようになっている。
それに気がつくと、イアインはとっさに踵を返して反対方向にある階段をめざし、スタスタと早歩きになった。隣のラナンも続く。




