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トントンと肩を叩かれた。夢うつつの状態だった彼女が薄目を開けると、焦点の合わない視界を人の顔が塞いでいた。びっくりして上半身を起こすと、おでこに硬いものがぶつかった。
「痛い!」
「これはすみませんでした」
リゾートにふさわしくない簡易スーツを着たラミイがアゴをさすっていた。
「こんなところまでどうしたの?」
「実は……」
そういってラミイはイアインの腕をつかみ、籐椅子から引っ張り出した。次に両手で砂を引っ掻いて穴を掘り始めた。乾いた砂に穴を掘るのは難しそうだったが、三十センチほどの深さが確保できると、ラミイは手招きした。
その行動の意味がさっぱりわからないイアインだったが、どうやらその穴の中へ手を突っ込めと身振りで言われているようだ。怪訝そうな顔をしながらしゃがんで監視用ブレスレットの嵌った右手を穴の中に入れる。するとラミイは満足そうにうなずき、穴を砂で埋めた。
「楽にしてください。寝てはどうでしょうか」
ラミイがやっと言葉を発した。右手を穴の中に入れたまま彼女が砂の上に寝ると、やさしいことにラミイはパラソルを移動して日陰を作り、傍らに座った。その顔はいつもと違って硬い表情に見えた。
「何かあったの?」
「お知らせしておきたいことがあります。ブレスレットがない状態のときに」
なるほどとイアインは思った。この男は何か重要なこと、監視対象に言ってはいけないことを伝えようとしている。砂の中のブレスレットは音声を拾えない状態だ。
「実は、我々はあなたの検査を終えたあと、議論を続けています」
その声は、そよ風の渡る音や波打ち際のささやかな潮騒に溺れてしまいそうなほど小さかった。
「要するに検査しても何も変わったことはなかったのでしょう? 最初からわかっていたことなのに」
「そうです。だから議長を中心に行われている会議では、次に行うべきことについて決めようとしています」
「もちろん、帰してもらえるのよね」
「それがですね……。あなたも最初にここに来たとき、演壇の上に議長を含めて八人の幹部がいたことを覚えているでしょう。あの人たちが今、真っ二つに分かれてしまっています」
「意見対立しているのね?」
「そうです。一つの意見はあなたの意に沿っています。これ以上あなたを拘束せずにすぐに解放する。そしてもう一つは…」
嫌な予感がした。彼女は次の言葉を待った。ラミイは暗い表情をして傍らに寝ている女の顔を見下ろしている。
「もう一つは、あなたに女の子供を何人も生んでもらって、それを我々で育てようというのです」
イアインは上半身を起こした。砂の中から右腕が少し出てしまったが、すぐに突っ込んだ。
冗談ではない。そもそも子供を生めるかどうか、実際にやってみなければわからないのに加えて、何人も子供を生むということは何年も彼らの監視下に置かれるということだ。そんなことは真っ平ごめんだし許されることではない。しかし、感情をラミイにぶつけてもしかたがないのでイアインは冷静を装った。
「まだ決定したわけじゃないのね。それにしても私抜きで勝手に決めるつもり? なんていう人たちなの」
「あなたの解放を主張している人たちは、子供を無理やりに生ませるなんていう反人道的なことは許されないと言っています。それに対する反対派は、これは独立自然主義者同盟だけの問題ではなく、人類全体の存亡がかかっている。アポイサムの連中が何もしない以上、我々の手で進めなければならないプロジェクトだと……」
しばらく二人の間には無言の時間が流れた。
「ナゲホ・ミザム議長はどっち派?」
「彼はあなたを解放する派です」
意外だった。あんなに厳しい顔つきで相対していた議長が実は人道的だったとは。
「どうしてそれを私に話してくれるの? あなたは私の監視役なのでしょう」
「なぜでしょうか。私はあなたの嫌がることをしたいと思いません。それが理由なのは確かです」
「話したことがばれたらどうなるの?」
「罰のことでしょうか。まさか銃殺されたり宇宙へ放り出されるようなことはないと思います。ただ、信用がなくなり、レザム星へ送り返されるでしょう」
そう言って、ラミイはしばらく見せていなかった笑顔を取り戻した。
「議論は真っ二つに分かれて結論が出ない状態です。そこで、今は引退してご意見番みたいな地位にいる元議長に採決に加わってもらうようです。元議長は法で禁止されているレベル5のAIを作ったり、そのAIに武器も大量に作らせています。元議長はあなたに子供を生ませる案に投票するとみられています」
「絶望的なわけね」
そう言ってイアインは黙り込んだ。今いるテラリウムのような素敵な場所はあるものの、このステーションに留まりたいとは思えなかった。そして次は人工授精のために病院区画に通わされるはずだ。重たくて無骨なブレスレット付きで。そんな生活は願い下げだ。
すでに一ヶ月近く失踪している自分の行方を捜している人たちは多いはずだ。まがりなりにも社会的影響力を持ったあの母親が騒げば、このアジトが発見されないわけがない。ところが、未だに救出部隊は到着しない。議長が言っていたように、レベル5AIがうまくやっているのだろうか。
砂の上に横たわったまま、イアインは自然主義者の男の顔をまじまじと見た。
「さっき、あなたは私の嫌がることはしたくないと言ってくれた。本当?」
「もちろんです」
ラミイは屈託のない微笑みを見せている。
「だったら助けて」
一瞬の空白の時間がその微笑みを奪い去った。そして彼なりに頭の中で何かが閃いたのか、「わかりました」といって再びふんわりした微笑みに戻った。