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氷結時代の終わり  作者: 六角光汰
第一章 燦然と輝く廃墟
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 人口密度の極端に低いステーション内で、イアインが一番気に入った場所は無人島を模したテラリウムだった。草いきれと潮の香りを含んだ空気や、打ち寄せるさざ波や白い砂浜は、レザム星にある赤道直下の島をできるだけ忠実に再現していた。ただ、眩しい太陽光線からは有害な紫外線を抜いてある。

 そこへ毎日通い、パラソルの下の籐椅子に水色のワンピース一枚で寝っころがるのが彼女お気に入りの行動パターンになった。連日のようにゴツゴツした検査台の上に寝かせられて、何だか知らない粒子を当てられるのは面倒だったが、そのあとのリゾート気分がすべてを忘れさせてくれた。

 ときどき風が首筋や耳元を擦過すると、じんわりと浮かんでいた汗が乾いていく。周囲には誰もいない。ここで他人に遭遇したことは一度しかない。

 数日前、十歳以下であろう子供たちが五人ほど、波打ち際で遊んでいた。男の子も女の子も色とりどりの水着になって、寄せる波から逃げたり、次々と水に飛び込んで騒いでいた。こんな風景はアポイサムでは見られない。イアインは陽光に照らされた子供たちの健康的な笑顔を眩しく感じた。目を細めながら、こんな平和な時がいつまでも続いてほしいと思った。たとえ、テラリウムが虚構だとしても、子供たちの笑顔は本物だった。

 ある日、同じ部屋に住んでいるラミイに一緒に行くと提案されたが、一人でいたかった彼女は断った。しかしそのとき、ラミイには悪い印象を持っていないことに気がついた。

 監視役にイスクやマリルのような冷たい感じの女がつきっきりでいたらと思うと、ずいぶんましだったのだ。ラミイは色々と気遣ってくれて、知りたいこともたいてい教えてくれた。 

 たとえば、AI軍団がこのステーションをかぎつけて乗り込んできたときどうするのか。ラミイは、内緒ですよと念を押しつつ、準光速船で脱出する計画になっていると教えてくれた。誘拐の被害者が到着してから数日で、必要な物資の積み込みは完了した。人数が二百人なのも脱出を簡単にしている。

 ただ、逃亡先はこれから探すしかないようだった。ラロス系外にある人が住める環境の惑星は、かなりあることはわかっていたが、細かいことは実際に行ってみなければわかならない。いずれにせよ新天地を求めて他の星系へ向かうことはギャンブルに違いないが、子孫が残せないままであれば賭けの結果はわかっている。人工出産システムはレザム星にしかなく、それを持ち出さない限り、自分たちの運命は長くても百年程度で尽きてしまう。結局、自力で子孫が残せるようにならないとすべてが無意味になってしまうのだ。

「そうなんです。我々はいくつかの計画を持っていますが、今のところはすべてが砂上の楼閣なんです」

 そう言ってラミイは笑った。イアインにはそれが諦めきった笑顔にしか見えない。二十歳になったところだというこの青年は、食糧プラントで主に野菜や果物を作っているという。

「作物は水分の量、日照時間、肥料の量を間違えると微妙に味とかの出来が違ってくるんですよ。でも、甘やかすのもよくありません。水や栄養が豊富だとかえって枯れてしまうことがままあります。このあたりが難しいんです。でも一生懸命やって美味しい野菜が採れると嬉しいですね」

 彼女は昨晩のラミイとの会話を思い出していた。彼に限らず、色々な人たちが色々なことを勉強しながら実践している。AIたちがいなくなってもこの人たちは生きていけるかもしれない。少なくとも自力で生きるための訓練をしている。アポイサムの人たちはそういう努力を続ける彼らを嘲笑するのが常だ。しかし、水や栄養が豊富で枯れてしまったのは自分を含むアポイサムの人間たちだ。

 自然主義者たちと接するうちにイアインの中ではそんな考えが濃くなってきた。それに、ラミイのことはそれなりに気に入っていた。年齢の近い男性と二人きりで過ごした経験はなかったので最初は不安だったが、口角をわずかに反らせて柔らかい笑顔を自然に作る彼の雰囲気は、ふんわりとして無害そのものに見えた。

 彼に興味を持ったのだろうか。彼女はそう自問した。しかしどんな興味なのかわからない。

 寝入りばなに、少し離れたベッドに横たわったラミイが、滔々と話し続けていたこともイアインは思い出していた。人類の近代史みたいな内容を力を込めて説明していた。独立自然主義者同盟の人たちはみんな似た考え方をしているようだ。そこには事実もあれば独断も混じっていた。

 三千年くらい前、高度文明の黎明期において、まだAIが存在しなかったころ、人類は豊かな衣食住を保障する環境を手に入れるために競争や紛争に明け暮れていた。また、生きるためにはマネーが必要で、マネーを獲得すれば豊かで安全な環境が手に入った。多くの人々はそこに夢と希望を嗅ぎ取って努力していた。少なくともそんな世界の中でニヒリズムに陥るタイプの真っ正直な人間は稀だった。

 ところが、AIが衣食住のすべてを提供するようになると、人々は競争や紛争を忘れた。AIの労働による収益は、最初は一握りの企業や資本が握っていたが、あまりにも富が集中し、惑星規模での社会崩壊が起こりかねなくなり、国家の管理へ移行した。この点では企業も資本家も賢かったといわざるを得ない。もしそれに反対していたら、人類の生活状況は原始時代に戻っていた可能性が高い。AIが稼ぐ莫大な収益はベーシックインカムとして国民に配られた。この変化は数十年という短期間で起こった。最初は『知性の勝利』とか『天国が地上に降臨した』みたいなスローガンで世界は沸いた。人々は労働に当てていた時間を自由に使って楽しんだ。

 しかし天国が百年も続くと人々は枯れ始めた。AIシステムが人間の行為の細部にまで入り込み、芸術も科学も運動競技も人間の行うことではなくなった。創意工夫も技術の進歩もAIの任務になった。何かやることに楽しみを見いだせる人たちはまだマシだった。ただ、何をやるにしてもAIのほうがうまくやるようになったし、それにつれて楽しい行為はどんどん減っていった。

 やることがない人たちは安楽を求めて寝て暮らすようになる。すると、寝疲れしてさらに寝るようになる。何もしていないのに疲れを感じてまた寝る。こんな比喩で表現できる生活スタイルが世界を覆いつくしてしまった。

 ちなみに、この段階では、人類の衰退を予言して警告する科学者や思想家も多かった。まだ衣類を製造するのに生糸を使っていた時代、人類は数千年にわたってカイコを飼育した。その結果、カイコは人間に依存し過ぎて自力で繁殖できなくなり、自然環境に放逐されれば絶滅するまでに衰弱した。それと同じ道を人類が辿るはずだという警告は、みんな理解していたが、目をそむけ続けたのである。

 もはやAIが社会システムを支える強固な骨組みになると、世界は盤石で壊れることがあり得ないように思えた。いつの間にかマネーも存在理由をなくして消滅した。

 人類存亡の危機が訪れると、人間たちは実力以上の能力を発揮して生き延びようと足掻くものだが、不条理なことに、世界が盤石で豊か過ぎると逆に生きる力が衰えていく。永遠に終わることのない世界への憧れと、自己の矮小さからもたらされる無力感。この感覚は、子供の頃に宇宙に百億年以上の歴史があることや、その途方もないスケールの大きさを知ったときの眩暈を伴う不安や恐怖と似ている。実際に自分たちの手に入れた環境はAIが管理する限り宇宙が終わるまで維持することが可能だった。

 えてしてそういった感覚は正直者であることの証拠だ。抗うことのかなわない力や、変えようのない運命からズレるために必要なのは、もっと狡猾で不正直で決定的な矛盾を抱えた知性、あるいは可愛らしくてけなげな無知――――


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