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「引くな! 前進だ! 各艦は俺に続け!」
そういうと、ガスピル号のAIが相転移エンジンの出力を上げた。ジワジワと敵との距離が詰まっていく。船の振動が激しくなり、いまや地震のように揺れている。
「ひるむな!」
そう叫んだとき、スクリーン上に映っている敵戦艦の後方で大爆発が起こった――ように見えた。幾筋もの光輪が広がる中で、確かに敵戦艦の球形の影を見たからだ。
しかし、その後はスクリーンや艦内の照明が消え、ガスピル号は上下左右が激しく入れ替わるようにもみくちゃにされた。AIガスピルが「重力制御が解除されます」とアナウンスしたような気がした。
ルビア艦長も副官のバリーも、艦橋にいた士官たちも、空中に投げ出されていたるところに頭や体をぶつけた。運のいい者は腕で頭を保護して、気を失うことだけは避けることができた。
ルビアもその一人だった。艦橋内の三次元地震がおさまると、非常灯の微かな明かりの中、天井を蹴って自分のシートを目指した。
こうした非常時に押すべきボタンがあった。コンソールの下にあるそれを手探りで押した。これでバックアップ機能が生きるはずだ。
室内のあらゆる場所から「うー」みたいな唸り声や、「大丈夫か?」「なんとか」という会話が聞こえていた。
試しにルビアはAIに話しかけた。
「ガスピル。状況を説明せよ」
いつまで待っても答えはなかった。だが、AIにばかり頼ってもいられない。この状態を切り抜ける必要がある。
「バリー、生きているか?」
そんな声をどこへ向かってでもなく投げると、「はい。大丈夫ですが、足を折ったようです。動きません」という答えがあった。
薄暗い中で目を凝らすと、巨大スクリーンの上の方に漂っているバリー・セナジが見えた。
ルビアは床を蹴ってその方向へ飛んだ。バリーをつかまえると、一緒に戻ってシートに座らせた。
「ひどいことになったな」
「そうみたいですね」
バリーは右足のひざを押さえていた。苦痛に顔が歪んでいる。
「船の機能が停止している。バックアップも効かないようだ。しかし、攻撃されていないようだから、敵も同じ状態だと考えてよかろう」
「そう思います」
通信士官を務めているミタビラ・ナクルが、艦橋の右側面から「艦長!」と呼ぶ。
「音声による通信が可能です。他艦とつながりました」
「そうか」といいながらルビアはシートを蹴って、朗報がもたらされた場所へ飛んだ。通信コンソールはほぼ無傷だったが、エネルギーが供給されているのはごく一部のようだった。
「同時双方向の会話が可能です。ホイスト号のウイラ・ドゥバン艦長です」
「こちらはガスピル、そちらの状況を報告せよ」
ほぼ消灯しているコンソールにそういうと、答えが返ってきた。ルビアには奇跡のように思えた。
「本艦の損傷は軽微。人的被害も軽微。エンジンも生きています。航行は可能だと思われます」
「そうか。こちらはAIが死んでいる。確認はできないがエンジンも動いていないようだ」
「では、こちらに移乗しますか?」
「艦橋機能は健在か? AIは?」
「一部損傷はありますが、おおむね正常です。AIも健在です」
「そうか。それはありがたい。こちらは負傷者が数名出ているようだ。判明しているのは骨折一名。シャトルは出せるか?」
「出せます。向かわせますが、ゲートの開閉は可能ですか?」
「いや、無理だろう」
「では破壊して侵入します。念のためスーツの着用をしてください。すぐに向かわせます」
「わかった」
ガスピル号にいた十六人は、体の痛みに耐えながら、壁から引っ張り出したスーツをなんとか着た。そして、シャトル発着ゲートにつながっている気密室までよろよろと空中を漂っていった。爆発音が轟いてシャトルのエンジン音が響いてくると、機密ドアを数人がかりで開いた。すると、小さな部屋の空気が外側に逃げ出し、急減圧のために視界が曇った。
シャトルのライトが確認できると、十六人は空中を飛んだ。負傷者を抱きかかえている者も数名いる。開いている扉の向こうに、小さな気密室が見える。そこに十六人が折り重なって入っていくと、外側のドアが閉まった。
空気が充満する音。そして完了したことを告げるチャイム。ルビア艦長以下、ガスピル号からの避難者は脱着型ヘルメットを脱いで深く息を吸った。とりあえず、生きていることが実感できた。
ルビアはシャトルで移動するとき、船窓からの眺めでガスピル号が大破していることを知った。艦首が少し曲がっている。上半身はそれほど傷ついていなかったが、二基あるエンジンの一つが失われ、一つは外殻が剥がれて噴射口があらぬ方向を向いていた。その内側の胴体には亀裂が入り、所々から煙が出ている。もし後部に人がいたら死者が出ていただろう。
シャトルが向かうホイスト号は、外観的な損害はあまり認められなかった。それ以外にもたくさんの無人のガスピル級戦艦がいたはずだが、はっきりわかる姿はなかった。その代り、明らかに遠くの星や銀河ではない夥しい光点が視界に散らばっている。
そして、恒星ラロスの方向から強烈な光が照射されていることもわかる。白色矮星の光だ。シャトルの窓からは、地上の部屋の壁に差し込む夕日のように、まぶしくて目を開けていられないほどの光が船内を射ている。ホイスト号からの照り返しも凄まじい。
数時間前まで、この空域の最大脅威だった球形の巨大敵戦艦の姿も確認できない。ルビアは早くホイスト号の艦橋で状況を確認したかった。一体何が起こったというのか。だが、現在の平穏な宇宙空間を見れば、かろうじて勝利した可能性が高い。早くそれを実感したかった。もし勝利したのなら、次は白色矮星をやり過ごせばこの危機は乗り切れるはずだ。
ルビア・ファフはシャトルの窓から燃えさかる光球を直視した。一瞬しか目を開けていられなかった。いまから最大船速で飛んでも、あの凶星を追い越してレザム星に戻ることはできない。苦虫をかみつぶしたような顔をしながら「あとは頼む。うまくやってくれ」と漏らした。