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翌日から、彼女はキャプテンとしての仕事をラナンに代行してもらい、船尾にあるレクリエーション区画に入り浸った。人が何十年も閉鎖的な船内で暮らせるように、海岸や草原、高原やエキゾチックな街並みを再現したテラリウムがいくつか用意されていた。
イアインはルディを連れてモンゴロ草原で過ごすことが多くなった。本当はホワイトヘブン・ビーチで寝ころんでいたかったが、昔のことを思い出すので避けた。
植物の香りを含むゆるやかな風の中、小屋の前の木製の寝椅子で午睡すると、自分に降りかかってきた重いものが蒸発していくように感じられた。見渡す限り草原が続いているが、どこかに非現実との境界があるはずだった。しかし、そんなものは見えない。空も雲も本物以上に本物だった。
小屋の前には四角い木製のテーブルもあり、イスが四脚並んでいる。花柄のワンピースを着たルディは、ヘッドセットとゴーグルを装着していた。手には何かのデバイスを持って操作している。相変わらずの非現実世界への熱中ぶりだった。せっかくここにいるのに。
何か言おうとしてイアインは上半身を起こしたが、よく考えてみればこのテラリウムだって現実ではなかった。いや、そんなことを言おうとしたのではない。もっと重要なことだ。
――やっぱり誰もいなくなるんだね。すごく寂しい――
少女がそういってうつむいたとき、イアインには何も言えなかった。しかし、今はそうじゃないと言える。私たちにはまだ希望が残っていると言える。だが、ルディにそれを伝えることは、自分の運命を変えることになる。
この青空の下、何かのシミュレーションに熱中している少女の横顔をじっと見ていると、それに気がついたのか、ルディはゴーグルを外した。あたりを見回してイアインを視線でとらえると立ち上がった。デバイスやヘッドセットを外してテーブルの上に置き、少女は寝椅子のほうへ近づいた。長くて軽い金髪がそよ風になびく。
「どうしたの?」
なぜ見つめられているのか気になったようだ。
ちょうど寝椅子で上半身を起こしているイアインの顔の高さにルディの顔があった。光に照らされた頬に数本の髪がそよいでいる。くすぐったかったのか、それを手で耳の後ろへ導くと、もみあげの微細な産毛が光の加減で輝いた。
「お姉さん。どうしたの?」
再び問いかけられ、彼女は我に帰った。こんな平和な日々がずっと続けばいい。小惑星帯のレジャーステーションでの思いがまた繰り返された。こんな風景がまたどこかに、いつか現れるのだとしたら……。人がいて、風があって、光があって、こんなありきたりの現実を、また誰かが経験してほしい……。
「ううん。なんでもない」
少女が隣の小さな寝椅子に座った。そして、頭を撫でられながら横になった少女は、しばらくするとイアインの腕に顔を押し付けて寝息を立て始めた。