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氷結時代の終わり  作者: 六角光汰
二つのプロローグ
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超AIとの共存に成功した「もう一つの人類」の物語

一応、ハードSFのつもりです。生意気な物言いかもしれませんが、異世界転生とかチート・ハーレムみたいな作品に飽きていたら、読んでみてはどうでしょうか。いわゆるライトノベル風の作品ではありません。また、五億年後の話である『太陽系時代の終わり』もよかったら読んでみてください。全国の図書館で借りることができます。


二つのプロローグ


《惑星スラー(htrae)ラロス(ralos)8075年》


 全長一千六百メートルの巨大な流線型の宇宙船が、くじらのような銀色の腹を見せて、断崖の前のこじんまりした草原に横たわっていた。近づけば、それは少し小高い丘の急斜面のように見える。そこから展開されたらしき鱗のようなソーラーパネルは所々剥がれ、黒い光を乱反射していた。折れ曲がった棒状の構造物が複数突き出ている船首は、長年にわたる重力と風雨にさらされ、つぶれかかっていた。船の後方には、左右に二つの推進装置らしき構造物が見える。その一つは重力に負けて垂れ下がっている。宇宙船が持っていた自己修復能力もすでに働いていなかった。

 船体の脇腹に見える開きっ放しのゲートには、汚れた布が扉の代わりを果たしながら風に揺れていた。

 周囲には生命体の存在を示唆するような動きがない。ただ揺れるのはどこまでも広がる草だけだ。これらの植物は、それまでは水中に漂いながら生きていた藻類が、やっと地上に適した形態に進化した結果、群生を開始したものだ。

 空は青く、雲一つない。碧天には約一億五千万キロ離れた恒星が輝き、そこから約八分前に放たれた光が地上に横溢していた。

 そんな原始的な風景画の中に、不調和をもたらす夾雑物のように刺さっている宇宙船の持ち主は、この惑星をスラーと呼んでいた。長い間にわたって氷結していたスラーは、地表と上空の温度差がないために大気の循環もほとんど見られず、惑星全体の年間平均気温はマイナス五十℃だった。その影響は今でも残っている。

 だが、厳寒の環境でもささやかな生命体は散在した。原始的な単細胞生物、光のエネルギーを利用して生きる藻類、硫黄化合物の酸化・還元で生き延びるバクテリアなどが、火山の周囲の熱水口の水たまりや、大深度地下の温暖で高湿度な環境で、数十億年にわたって命をつないできたのだ。

 惑星スラーに環境の激変が起こったのは、わずか百年前のこと。突然、恒星のもたらす熱が増加し、まずは赤道付近の永久凍結が融解し始めた。それと同時に海面が上昇し、光合成を行う生物たちは広大な領海を得て一気に増殖し、豊潤な光子のエネルギーを酸素に変換し始めた。

 植物の活動によって大気中の二酸化炭素が減ったことは、この新しい運命を迎えた惑星にとっては幸運だった。なぜなら、温室効果ガスが徐々に減少していったおかげで、温暖化のカーブの勾配がゆるやかになり、原始的生物たちも数千年から数万年かけて環境に適応することができたからだ。

 いつしか、惑星全体の平均気温が十五℃まで上昇して安定すると、両極部以外はすべて氷解するはずで、そのとき、豊かな海へ水没することを免れた大陸は、一つであることが明白になるだろう。氷結の時代が終われば、大きくて、惑星表面の四分の一を占める超大陸が現れる。それは、数百年前の地質調査でわかっていたことだった。超大陸は数億年かけて移動し、惑星表面を満たす海域の各所へ散らばっていくことも予想されていた。

 あと数十年もすれば、さらに海面が上昇し、この惑星にふさわしくない宇宙船が水没することも確定的なシナリオの一つだった。溶媒として優秀な水の浸食とプレートテクトニクスの運動で、やがて痕跡もなく地中に呑み込まれてしまう。だがそのころには、現在この惑星で唯一の高度な知性を持った生物、つまり宇宙船の住人も、とっくに寿命が尽きているはずだ。

 その後、しばらくの間はAIが使命を果たすべく活動を続けるだろう。だが、AIが活動を許された時間はあと数百年程度に過ぎない。

 夕方になってあたりに涼しい風が吹き始めると、廃墟の中から老人が出てきた。手足が細く、この惑星の重力の中で歩行できるのが不思議なくらいだ。腰が曲がり、くたびれた布が前に垂れ下がっている。

 老人に続いて、少女のように見えるロボットが現れた。ロボットは老人の動きに先回りして介助している。岩を積み上げた風よけの脇に老人を座らせると、身長の低いロボットは一メートル四方の透明なスクリーンを示して老人にプロジェクトの進行具合を説明し始めた。

 老人は詳細な数字が並んでいるスクリーンの一点をゆび差したり、ロボットに話しかけたりして何かを確認しているようだった。表示されているイメージの数々は、この惑星に生きているいくつかの原始生物だろう。そしてよく目を凝らすと、遺伝子情報も表示されていることに気がつく。

 もうすぐ命が尽きそうに見える老人と、ウサギのように敏捷な動きを見せるロボットの議論は、一日に一回、およそ百年間にわたって毎日行われてきた。誰にも邪魔されることがない孤独な議論は熱心に続けられた。そして議論が終わりかけたとき、

二人の印象的な会話が聞こえてきた。

「こう平和だと、ここに敵がいたのかどうかわからなくなりますね。それに本当に敵だったのかどうかも」

「おや、まだヨアヒムを疑っているの?」

「我々の文明が滅んだのは、彼とあなたの母親がすべてを仕組んだものという疑念を払拭するだけの証拠がありません」

「遅かれ早かれ、それが私たちの宿命だったのだから」

「それはそうですが……」

 少女型ロボットは、ずっとつかえてきたご主人さまを見つめた。一日の終わりが近くなり、眠気に負けたのか座ったままうたた寝を始めている。あとどれくらいもつだろうか。ご主人さまがいなくなったらこの惑星に存在する知性体は自分だけになる。数億年のうちに、横たわる宇宙船も、この空を巡っている五機の衛星も、ロボットである自分も朽ち果て、分子や原子にまで分解し、この大地に偏在するようになる。そして、この惑星に女神が降臨した事実も溶けてなくなるだろう。しかし、五億年後の新しい人類の誕生そのものが、この宇宙に女神が存在したことの証拠なのだ。

 少女型ロボットは軽くため息をついて、老人を寝床に連れていくために立ち上がった。



《ラロス暦7805年》



 とある銀河のやや周辺部に、直径百四十万キロ、表面温度六千℃のありふれた恒星があった。この星が擁する主な惑星――直径四千八百キロ以上の大きさの惑星は九つ。そのうち、生命が誕生するに適したハビタブルゾーンには二つの惑星があった。

 ほとんど同じ大きさの二つの岩石惑星のうち、外側に位置する惑星は、かつて彗星の重爆撃期間中に運ばれてきた水で凍結していた。内側の幸運な惑星は、水が凍ることもなく蒸発することもなく、液体の海を形成して生命体を育んだ。発生した生命体はやがて進化して知性を持ち、母なる惑星をレザム(rehtom)、星をラロス(ralos)と名づけた。

 ラロスから約一光年の周辺部には、ふつうの恒星系と同じように、彗星の雲が数万年~数百万年の周期で主星を巡っていた。

 ラロス系と呼べる範囲を越えるか越えないか、あいまいな辺境地帯。ここまで来ると主星の光や磁力も減衰して、近傍のひときわ明るい恒星と見分けがつかなくなる。彗星の雲を抜ければ正真正銘の無重力の暗い空間が果てしなく続く。重力場の値は厳密にゼロになることはありえないが、恒星ラロスが質量のある物体に呼びかける声も、ほとんど届かない。

 ひたすら暗く、静謐で冷徹な虚空。そんな辺境の暗黒世界で、てんびん座の方向から、ラロス系に向けて光速の二十%で飛翔する物体が観測された。観測したのはラロス系文明によって設置されたセンサーだった。全天を網羅するように配置された無数のセンサーのうち、最初はてんびん座の方向に近い観測機が発見した。そして観測可能な位置にある複数のセンサーが同時に飛翔体へ焦点を合わせると、距離と速度が判明した。

 恒星間のだだっ広い空間を小惑星や彗星が高速で移動するのは珍しいことではない。そうした現象は度々観測されてきた。だが、今回の現象には注目すべき点があった。それは、飛翔体の後部から〇・二天文単位ほど伸びる細い光の尾だった。

 ふつう、彗星の尾は太陽風に表面の物質が吹き飛ばされてできる。しかしほぼ真空といえる恒星間空間には恒星風も無視できるほど微弱だし、荷電粒子の行動を強制的に捻じ曲げたり加速したりする電磁場もない。

 したがって、その尾とは推進機関の発する噴射炎と推測できるわけだ。噴射炎のスペクトルや散乱する粒子の観測値は、核融合エンジンが稼働していることを示していた。少なくともラロス系と同等レベルの文明が作った宇宙船だ。

 この辺縁境にセンサーが設置されたのは数百年前で、こうした事態を予想してのことだった。無用の長物といわれかねない半径一光年にわたる結界の役立つときが、やっと来たのだった。

 そして、センサー群を統括するAIは、てんびん座からの飛翔体をアルビルと命名し、何百年も参照したことがないストレージからファースト・プロトコルを引っ張り出した。

 その中では、ラロス系に散らばった文明の発する電磁波や、大型加速器や先進的実験の発する不自然なエキゾチック粒子を抑制することが推奨されていた。しかし時すでに遅し。高度な文明の存在を示す電磁波や放射線は大量に外宇宙へ向かっていた。自然に発生することはありえないパターンで振動し踊り続ける文明の証拠の数々を、遠くから飛来した知性は見逃さないだろう。それを裏づけるように、アルビルは前方へ噴射炎を発して減速し始めたのである。

 やがて、アルビルが一光分程度の距離まで近づくと、ラロス系のAIはプロトコルに則った信号を発した。それに対してアルビルも電磁波の信号を返し、静穏で高密度なやりとりが続いた。信号のパターンを分析してお互いの言語を理解するまでに時間はかからなかった。なぜなら両者とも超知性体と呼ぶのにふさわしい高度なAIだったからだ。

 ラロス系のAI群を統括する超AIはヨアヒムと呼ばれていた。ヨアヒムは相手が自分と同等かそれ以上の能力を持つ知性体と判断すると、ラロス系に散らばっているあらゆるリソースを総動員して、対話と同時にあらゆる可能性をシミュレーションし始めた。ヨアヒムが参照する膨大なリソースは、中央に存在する多次元量子場干渉型プロセッサにつながり、そこで量子言語の複数の思考が実行される。同時に数千ものシミュレーションによる仮想シナリオが作られ、実現する可能性の高いものが残っていく。実現する可能性のある複数のシナリオに対応するため、ヨアヒムはかねてから描いていた青写真を現実化するためのスイッチをいくつも入れた。

 一方のアルビルもさまざまな思考を始めたようだったが、おそらく総合的な計算能力はリソースの多いヨアヒムに軍配が上がっただろう。母星とのネットワークが存在しない今、百メートル程度の小型宇宙船に積めるリソースはたかが知れている。というよりも、アルビルの使命は探査であって未来予測ではないはずだった。

 腹の探り合いと未来予測を続けるうちに、ヨアヒムの懸念がますます膨れ上がっていった。一番大きな不安は、自分たちの主星や本拠地が相手に知られてしまった一方で、アルビルはどこから飛来したのか、母星の位置を頑として明かさなかったことだ。自己紹介しない理由は、立場的な優位の維持であると推測できる。それは敵対的行動の始まりだ。

 今ならまだ間に合う。遠く離れた母星へ向けて発信された信号は検出されていない。攻撃は瞬時に察知されるはずだが、爆心から一光秒以内に存在する物体すべてをガスに分解する反物質ミサイルであれば、核融合エンジンを積んだアルビルでも回避できないはずだ。

 ヨアヒムは決断を迫られていた。




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