教会編 2
ベアトリクス・ローゼンバーグは中盤まで悪役として活躍しただけあり、持っている能力は高かった。魔力は莫大な量を秘めており、大人でも発動が難しい魔法だって発動することができた。記憶力や理解力も良い方だろう。お陰で長い魔法の呪文を何個も暗記することもできている。
そんなハイスペックなベアトリクスだが、難点もある。それは、美的センスが壊滅していることである。前世でも美術関連はお世辞ですら良いと言えなかった私が転生した影響なのだろうか。
現代ではPower Actuation Decode 通称PADと呼ばれる魔法陣解読機に魔法陣を描いて発動させるのが主流なのだ。PADの良いところは消費魔力を調整し必要最低限に抑え、数秒で魔法を発動できることである。しかし、私のように美的センスが皆無であると魔法陣を読み取れず不発に終わる。
そのため、今までの魔法実技試験では古風な方法で知られる呪文を使用していた。最短で5分、最長で15分かけて唱え魔法を発動させて何とか凌いでいたのである。お陰で「古の魔女」なんてあだ名までついてしまった。
そうやって乗り越えてきた私だったが、召喚魔法は呪文と相性が悪かった。
呪文で魔法を発動させる場合、魔力を呪文にのせなくてはならない。つまり、魔力コントロールも術者頼りになる。必要な消費魔力より少ないと魔法は発動しないため、魔力コントロールも苦手な私は自身の膨大な魔力量に物を言わせ呪文にのせていた。その結果、同じ魔法でもPADで発動させた魔法より威力が高い魔法を発動することができていた。
だが、長い呪文なればなるほど必然的に消費魔力が多くなり、魔力切れのリスクが高まった。実際に試してみたが私の魔力は最長で15分程の呪文しか発動できないことがわかった。そして、召喚魔法の呪文はどんなに頑張っても20分もかかるため、魔力切れが生じ呪文が途切れて不発に終わってしまった。
そうなるともうPADに頼るしかないのである。だが、何回か試してはみたものの魔法陣を読み取らず不発に終わったまま今日を迎えてしまうこととなった。
…PADを使えないことが知れた上に補習をすることになっては、公爵家の名を汚すことになるわ。
どうしたらいいのか頭を抱えていると、教師から名前を呼ばれる。ついに順番がきてしまったと心の中で嘆くが、逃げるわけにもいかず教師がいる教卓へと進んだ。
教卓は教室の黒板側にあり、生徒の視線も自然と集中する。中には「古の魔女の番だ。」、「今日はPADを使うみたいだぞ!」、「どんなのを召喚するんだ。」と小声で呟く者もいた。
これはまさに公開処刑というべきなのかしら。
助けを求めるように教師に視線を向けるが、教師には伝わらず「どうぞ。」と促されるだけだった。
試験内容は初級以上の隷属魔の召喚。今のところ発動できていない生徒はいない。つまり、みんな召喚できているということ。
大丈夫よ、ベアトリクス。皆に出来ているのだから、私にも出来るわ。魔法陣は覚えているし、後は記憶通りに描くだけ!
震える手でPADをなぞり魔法陣を描いていく。描き終えてゆっくりとPADから手を離すが、思い描いていた魔法陣とは全くの別物になっていた。手の震えが酷かったのか直線のつもりが見事な波線になり、円形を描くつもりが歪な五角形に近いものが描かれている。
…さて、補習はいつ頃になるのかしら。
呆然と反応のないPADを見つめ、赤点確定の補習の覚悟を決めると教師の方へ視線を向けた。それと同時に辺りがざわめきだつ。何事かとざわめきだった生徒の方を見るが、皆一斉に一ヵ所を見つめており私も視線を合わせる。
視線の先には歪な魔法陣が描かれた私のPADから光が漏れ出していた光景だった。まさかの成功に心が弾む。一体何が召喚されるのだろうかと期待をこめた瞳でPADを見つめた。
一瞬強い光が教室を包み込み呼び出した隷属魔が姿を現す。私の目に飛び込んできたのは見とれる程の美少年だった。銀色に煌めく指通りの良さそうな髪に、どこか妖艶な雰囲気を漂わせた風貌は一瞬でも瞳に入れた者を魅了する。案の定、教室にいる者の心を彼は魅了しただろう。私を除いては。
どうして、よりによって貴方が召喚されるの!
まさかの事態に血の気がなくなるのを感じた。普段半目にしか開かれない瞳を思う存分見開き凝視する。そう、召喚したのは『贖罪のアリア』でラスボスとして君臨する魔王ネロだった。
ネロといえばゲーム内では鬼畜っぷりを発揮し、プレイヤーを泣かせのラスボスだった。プレイヤーの中ではトラウマキャラとして名を上げる者がいる程に印象深いキャラクターだった。そして、ゲーム中盤でベアトリクスを殺すのは何を隠そうこの魔王ネロである。
ここまで悪役フラグを必死に解体してきたと言うのに、急な悪役フラグ、死亡フラグの建設に落胆した。だが、今回は奇跡の召喚でありこの私が何回も呼び出すことは不可能に近い。もう関わり合うこともないだろう。なんとか前向きに捉えようとする私に向けてネロは口を開く。
「我が力を欲する者よ。我が名はネロ。魔族を統べるものなり。汝、名を述べよ。」
格式ばった物言いに緊張が走る。やはり、魔王となると物言いが違うのだろうか。私よりも前に召喚していた生徒の隷属魔はもっと気さくな挨拶だった気がする。
「はーい。喚ばれて参上!何を手伝えばいい。」等と肩に力が入った様な言い方はしていなかった気がする。それよりも、魔王を怒らせてしまい殺されるなんてことがないようにネロの問いに答えた。
「ベアトリクス・ローゼンバーグです。」
「では、ベアトリクス・ローゼンバーグ。汝を主と認め、我が名を渡そう。」
そう魔王が言葉を繋いだ瞬間に、胸がキュッと握られたような感覚が走った。どうやらネロも同じ感じを味わったらしく少しだけ眉をひそめながら胸に手を当てている。思わず首を傾げると慌てて教師が私の両肩を掴み、体の向きを変えたことで教師と向かい合う形となった。
「ローゼンバーグさん!今、何をしたかわかりますか。」
珍しく厳しめな表情を浮かべる教師に唾を飲み込む。
「名前を聞かれたので、名前を伝えました。」
「そうです。名前を互いに名乗り名前を渡した今、命縛関係が結ばれました。この意味わかりますか。」
命縛関係。それは命が繋がれた状態となり、どちらかが命尽きれば、もう一人も引きずられて命を落とす厄介な関係である。
本来は基礎能力が勝る天族、魔族と命を結び裏切らないようにする目的で使用される。そのためいろいろと制約もあり、ある一定の距離を離れると互いに苦痛を感じる様になる。つまり、命縛関係を破棄しない限り、付き合いは続いていくということだ。
魔王が何かしたら、召喚した私にも責任が及ぶだろう。もしかしたら、私の指示で彼が動いたと思われる可能性の少なくない。
ということは、私はラスボスフラグも建ててしまったも同然じゃない!
耐え難い現実から逃避するように意識が遠退いていった。