28話 虚空に
その場所は本来であれば木々の色が黄色や赤色に変色してるのではないかと錯覚をもたらすようなそんな嘘の感覚を本能に訴える、それほどの紅葉さが存在する。
現在もその綺麗できらやかな紅葉は感じられるのだが、今現在はそこに着眼点を置くことは難しい。激しい音が鳴り響く場所に皆は目を向けてしまうのだから。
「神奈子……!」
「どうした? そんな涙を流してまで、まるで私が死んでしまったかのように泣くな、諏訪子は」
「……よかったよ、元気そうで……」
「…………」
心から安堵するのに諏訪子、対して敵は――橙は『黒』がいくらか抉られ、素の姿が見え隠れする。
さらに――、
「……っ! 私は……何を……?」
藍に憑かれかけていた『黒』は完全に剥がれ、藍はもとの姿に戻ると共に正気になる。だが、
「悪いが少し離れてくれ」
「――っ!」
藍は吹っ飛んでいた。理由は至極単純で神奈子が自身の力――乾を創造する程度の能力で吹っ飛ばされた。
神奈子は読んでいた。再び橙が『黒』になった姿を間近で見れば再び橙に歩き出す、と。さらに神奈子は乾を創造し、さらなる情報を得ていた。
だが、そんなことをしている間に――、
「…………」
『黒』は暴れる。特に今、ヤバい状況に陥ってしまっているのは諏訪子だ。諏訪子は『黒』の蛇神に圧倒されている。
だから――、
「――っ」
乾を創造し、生み出し、操る。それは無から風の創造へと至り、風が猛烈な突風となって吹き荒れる。それを起因として『黒』の蛇神の姿は虚空の彼方に吹き飛ぶ。
「次は――橙か」
そんな言葉を神奈子は呟きながら再び風を作り上げ、橙を中心に突風を、竜巻を発生させる。だが、
「…………」
「へー……、なんだいその姿は」
奇妙な姿、歪な姿として橙は生存を保とうとする。
『黒』は完全に牙を剥き出している。その証拠に『黒』は進化、変化と述べた方が正しいのだろうか。変わり続け、何かに化けた。それはただただ大きい化け猫を『黒』が作り上げていた。
恐らく、それを媒体としたのは化け猫で『黒』に囚われた橙だ。
『黒』の化け猫は大きく、強大なものへの変化をする。それは異常で、非常で、おぞましく、誰もが恐怖をこみ上げてしまうような、それほどの姿。
「…………」
その異常さを、無造作にばらまくように、『黒』は何百、何千と橙のもとから離れる。
『黒』が拡散された。
さらに――、
「おい……、マジかよ……」
「橙が何匹いるんだ……?」
「――っ……!」
何千もの『黒』は橙に変わっていた。正確に言えば、それらはやはり『黒』に包まれているが。
『黒』たちは速く、ただただ速く散らばり、獲物を狙うように神奈子、そしてその他を襲う。
「屠ってやる――」
物騒なことを言いながら、神奈子は乾の創造のチカラを発揮――即ちそれは風を悪戯に、遊ぶかのように吹き荒らし、『黒』の橙の大多数を飛ばす結果に。それを唖然として見るのはカイのみ。それほどの力があることを他全員は知っている。
「…………」
「なっ――」
神奈子は驚愕。理由、――異常な情景への邂逅。
『黒』が自我を持ってしまった故のさらなる異常さ、それを見せつけられた。
『黒』が人間、妖怪、神と同じチカラ――知能を獲得した。どういうことか? ――"早苗を人質にしていた"。早苗の首もとに『黒』の針を突き立てて、嘲笑うかのように人の、現人神の命を弄んでいる。
『黒』の進化は悪辣なまでの卑劣さ、極悪非道、それらの集合の塊の進化だ。
「……くっ――」
手が出せない。風を起こそうとすればその瞬間、『黒』は早苗を殺そうとするだろう。
寄生できないことを理解してる。正確には寄生したら詰みと判断しているのだろう。寄生した場合、再び風によって自身は剥がされるのだから。
「――……神奈子さん、諏訪子さんも。手出ししてはいけませんよ」
声を低くしてさとりは呟くような声で話す。
「だが、これはマズイだろ……。早苗が殺される、先手必勝すればなんとか――」
「――神奈子、無理そうだ。橙が、『黒』の橙がこちらを見てる。反撃する合図を、攻撃する素振りでも見せようものなら早苗が殺されるかもしれない」
最悪の、あくまでも最悪の状況になることを述べる諏訪子だが、可能性自体はそこまで低くない。
だから何か、妙案でも実行しなければじり貧過ぎるこの状況を脱せない。早苗を殺されないようにしなくてはならない。
「橙……、なんでそんな姿をしてるんだ……?」
じり貧を脱出する術が自然と現れた。だがそれは藍の声――最悪のシチュエーションだ。
「藍やめろ! 橙に近づくな!」
諏訪子は叫ぶ。
だが、藍はそれに応えず、橙に歩みよる。
「橙、まさか……だよな……。橙…………返事くらいしてくれよ……」
「…………」
返事はない。返ってくるわけがない。だって『黒』に操られてしまっているのだから――、
「大丈夫だよ、藍。私は黒死病になってもないし」
『黒』の知能の成長は凄まじかった。橙の身体に自身を、『黒』を潜めて橙としての声を発した。
早苗のときは無言だったのに、今は無言でなく、人をも、式神をも騙す知能を得ている、得てしまった。
悪辣、非道、そんな自我をもった、もってしまった『黒』は藍をいとも簡単に騙している。
「そうか……。よかったよ……。私はてっきり橙が黒死病になってしまったものだと……」
「もう、何言ってるの藍はー。私が黒死病になるわけないよ。――私が『黒』だから!」
『黒』は絶好の機会を得たと確信し、堂々と宣言する。
さらに『黒』で針を作る。
それをぶっ指すことでまずは一人目の犠牲者が――、
「――知ってるさ」
「――!?」
藍は消える。否、否だ。藍はいつの間にかカイの隣に瞬間移動しており――、
「カードの世界!」
橙は『カード』に覆われる。
『黒』はと言えば自我を獲得した故に逃げる選択をするが、カードの世界の前では無意味だ。
「全ての歪を烏合に賭した空虚なる因果を抜けしものよ、穿たれ虚空の彼方に消し去れ。我思う、今宵なくなる『黒』前に、果てた、晴らした物語を紡ぎだし、望み、希望のために処刑の因果律に呑まれろ! ブラック・エグゼキュート!」
無限の数といえるほどの『カード』は『黒』を襲う。逃げようとしても『カード』に囲まれており脱出不可能。故に――、脱出はしない。だから『黒』が本能的に起こした行動は――、
――俺を狙って……!
脱出できないから、『黒』を閉じ込めた首謀者――カイを狙う。相手のあまりの冷静さにカイは肝を冷やした。
『黒』はカイに肉薄。そして憑依しようと――、
憑依はできなかった。
当たり前だ。カイの身体は『――』でできているのだから。それは今の『黒』では到底取り込めない。それほどの強大さだ。結果、『黒』は憑依場所を、居場所を失い消滅した。




