26話 ホールディングアウト
「スペルカード発動。想起『二重黒死蝶』」
さとりによって展開された多くの密度が濃い弾幕は『黒』を剥き出しにしてる橙に向かって放たれ、襲いかかる。だが、
――速い……!
速さが異常だ。先ほど藍に襲いかかったときにもその速さは見たはずなのだが、弾幕を放ち、それを避ける速さを見て、相手の速さが異常であると実感する。
「カード蒐集、プロクテクトオブジェクト指定、対象――紫の境界」
紙が瞬時にカイの辺りに現れ、それが紫の境界を覆うように囲む。
――これで橙は裏幻想郷には行けないはずだ……。
カイはこの現状下で一つ考えていたことが有った。それは黒死病の人や妖怪を裏幻想郷に入れてしまったら、ということである。
恐らく、裏幻想郷にも多大な被害が出る。それを防ぐためにカイは紙を操り、紫の境界を紙で護る。
そして、カイは今回の主軸となるカードの世界の展開を試みるために、座標、大きさなどの調整をイメージし始める。
「スペルカード発動! 想起『二重黒死蝶』」
さとりは1人で橙からの攻撃を受けずに、さらにはカイを護るために再びスペルカードを発動。弾幕が橙に襲いかかるのだが、
――くっ……どうすれば――!
速い。速すぎるのだ。橙は弾を掻い潜り、ぐんぐんとさとりに肉薄している。
藍はまだ俯いている。あまりの出来事に、予想外さに、現実を拒絶して身体を動かすことすら不可能のようで呆然と地面を向いている。
橙は弾幕密度の濃い弾幕を軽く避け、なおも肉薄。そして――、
――もう目の前に……!
瞬く間に目の前に来た化け猫は表情を見せない。否、半分程度『黒』に遮られてる影響で表情を把握できない。ただ言えるのは、明るい感情は一切無いと断言できることだ。しかし、暗い表情なのかと問いただされればそんなこともない、そんな表情が『黒』から見え隠れしてるようにみえる。
橙は『黒』を身体から這い出す。『黒』が動き這い出でる姿はまるで生き物のように自律的に動いている。
『黒』は瞬時にして目的の補足――つまりはさとりを補足、喰らおうとして襲いかかる。
『黒』に喰われればミシャクジのように『黒』に侵食され、乗っ取られる。
『黒』は意識を暗く、無理解の領域に導く因子。さとりはそれから逃れる為に逃げようと足を走らせ、『黒』から逃れようともがく。だが、当然のように橙は、『黒』はそれ以上の速さをもってさとりに肉薄。
「――っ!」
さとりはあまりの出来事に戦慄する。なぜか?
『黒』が異常、異質、異色、異様、怪異――つまり、この世とは異なり過ぎてるように見えたからだ。
さとりは『黒』の影響で何も、何もかも見えなかった。目の前が『黒』で埋め尽くされていた。サードアイをもつその少女は全力で逃げようとしたが――、
――足がっ……!
足が動かない。『黒』に乗っ取られていた。少女は必死にもがくが、ただ、ただ、苦しくなるばかり。
さらに侵食、さらにもがく。だが逃げられない。そのまま幼いように見える少女は『黒』に呑み込まれ――、
「――!?」
瞬間、『黒』は消え、目映い光が射す。
幼いような少女は何が起こったのか辺り一面を見渡す。そこにいたのは同じ幼いような少女――諏訪子だ。諏訪子がミシャクジの力を振るって橙をぶっ飛ばしたのだ。
「…………よかった……」
諏訪子は安堵していた。その理由はさとりが助かったこと、もう一つはミシャクジが再び『黒』には侵食しなかったことだ。
ミシャクジは一度『黒』に侵食されている。諏訪子はソレを回避するためにミシャクジに橙にタックル――一瞬しか橙に触らなかった。結果、その時間だけで『黒』に侵食されなかったことが分かると同時に、瞬間的に『黒』に触れるだけであればなんら問題無いことへの把握。
さらに――、
「私も忘れてもらっては困りますよー! スペルカード発動! 秘術『グレイソーマタージ』!」
早苗も加勢する。
弾幕は幾多もの星々を作り、放たれる。
「……」
橙は『黒』を這い出しながら弾幕をかき消す。だが、すべての弾幕がかき消されたわけでなく、ある程度は『黒』に消されず当たっている、ように見える。だが――、
「……」
橙は異常な行為をする。
突っ立ったまま微動だにしない。猫の如く手足を地につけ、ただ、ただ、じっとしてるだけ――、
「……」
「「「――!?」」」
ではない。『黒』が這い出る。それも先ほどの量ではなく、異常なまでの量の多さ。さとり、諏訪子、早苗たちから見た光景は眼前に巨大なまでの『黒』が見えるという異質さだ。横や後ろは晴天故の青が一面に広がっているが、眼前だけまるで夜のようだ。
その異質な光景故、さとりたちは隙を見せてしまった。
「……」
「――えっ……!」
早苗は宙に浮く。橙が出す『黒』に呑み込まれたからではない。何故か、何故か宙に浮いたのだ、浮かされたのだ。
だが、次の瞬間何故浮かされたのかの理解を早苗は得た。
「――っ!」
何か、魂が抜けるように、何かが橙に捕られた。それは――、
「……くろ……」
諏訪子は呟く。早苗が捕られた何かは、取り出された何かは『黒』だった。『黒』を強制的に取り出された早苗は宙から落下、地べたに返る。
「――――」
早苗は動かない。手足一つ微動だにしない。
「早苗!」
あまりの異常な情景を呆然と見て、ソレを振り払いながら諏訪子はいち早く早苗の場所に向かう。もちろん、橙がそれを野放しにして待ってるわけではない。
「――っ!」
橙は『黒』で諏訪子を襲う。
諏訪子はそれに気づいている。だが避けない。避けるわけにはいかない。避けたら早苗は再び『黒』に乗っ取られる。ならば自分が、諏訪子自身が、『黒』に乗っ取られた方がマシ――、そんな考えを無意識に思ってしまったのかもしれない。故に――、
「――ミシャクジ!」
ミシャクジを使役し、早苗の巫女装束を摘まんで投げた。放物線を描いて早苗は地面にぶつかろうと――、
「カードの世界」
早苗は紙に近しいカードにぶつかる。それ故か、外見に怪我は見当たらない。
カイは言葉を紡ぎだす。
「采配を呈する世界に無秩序が故として現れた禁呪なる漆黒の因子よ! 全てを来世なき虚空へと帰せ! ブラックアウト!」
中二病的発言によって行使された特質なチカラは『黒』をかき消した。
そして、外見上もとに戻った橙が現れた。
「カイが……倒したのか……アレを?」
あまりに急に起こった平和により、諏訪子は戸惑う。そしてその戸惑いを消そうとして橙に近づき始め――、
「諏訪子! 橙には近づくな! まだ完全に黒死病を消せてない!」
「――っ!」
瞬間、諏訪子はカイの意味を理解する。橙はもとの姿に戻っていた。だが、『黒』は橙に戻ってきていた。速くはなく、しかし遅くもなく。それだけであれば橙を『黒』から引き離すことは可能。だが、それを認めないかのように邪魔していたヤツがいた。それは――、
「なんで……ミシャクジが……!」
ミシャクジが――『黒』に染まったミシャクジがいた。それは橙を護っていた。
だが、それは諏訪子のミシャクジではない。諏訪子のミシャクジは再び『黒』に侵食されてはない。
侵食ではなく、コピーされたのだ。早苗に有った絞りカスのような微量な『黒』からミシャクジが侵食した後の形、表面積、体積、あらゆるものがコピーされていた。
だからカイは身震いした。橙を倒す術は残っていないのだから。




