ラビズユリ
夏休みになった途端の解放感。ずっと持っていた分厚い教科書たちを投げ捨てて歓喜する。加藤なんてワイシャツまで投げてるし、三上は既に水着に着替えてる。
「今年も賑やかだな」
あぁ、俺に肩組するお前もだよ。怪訝な目で奴を見るとこれでもかというくらい暑苦しい笑顔を見せてきた。
「ウザい」
「なんだよ! いつものことだろ!」
いつもだから尚更だ。
暑苦しいから中学からの腐れ縁である橋本架の腕を無理やり剥がし冷房の弱い教室を眺める。
ネープレスの黒髪の架はご飯を目の前にした犬の様に目を光らせ俺をマジマジと見ている。
そんなの無視してその先にいる机に突っ伏したままの女性を見る。黒髪ストレート。その長さは肩までであり、花の香りのするトリートメントのせいか遠目でも艶やかだ。顔は見えないが、学校内では相当な美人だと裏ランキングで決まった。
ただ、性格に難あり。
「なあなあ、どっか行こうぜー」
このバカ犬は散歩がご所望のようだ。
「うるさい。ハウス!」
「いや、犬じゃねぇし」
「おて!」
「お菓子くれ」
そう言いながら差し出した俺の右手に左手を乗せてくる。まったく躾のなってない犬だ。お菓子はやれない。
教室はいよいよ目的地を決めた人で埋まってきた。そう、人が段々といなくなっていく。
三上は間違いなく学校のプールだ。なんたって今日は2組の巨乳の坂巻さんが水泳部の助っ人として練習に加わるからだ。三上はああ見えてスケベである。
「よし、今日はあそこに行くぞ」
「あそこ?」
「あぁ、ラビズユリにな」
「……は?」
俺は立ち上がる。そこで確認したのは美女認定を受けた彼女の驚いた顔だった。
*
夏の空はやけに高い。両手を広げてつま先立ちして仰いでもまったく届きもしない空の果て。どこまで行けば届くのだろうと幼い頃考え、登った山にもなかったその欲しい空は昔見た希望だったのかもしれない。
セミの鳴き声がうるさい山の中。道から外れた道の深い木々の隙間から見える入道雲が西の空で黙々と空のそのまた上へ向かっている。
俺も同じだ。希望を探してまたラビズユリへ向かっている。
「なぁ、まだか? 休憩しねぇ?」
山を登り始めてから約30分。そこまで高くない地元の名所、心和山。30分もあれば頂上に着くことが出来る。それだけでわかると思うが頂上などに向かっていない。向かっているのはラビズユリだ。
「もう少しだから我慢しろ」
限界の近い足を鼓舞して俺は歩を早める。もう目と鼻の先だ。
森はより深く深く。夏の激烈な直射日光さえ遮るこの空間。知らない人からしたら迷ってしまったようにしか思えないだろう。しかし、そうではない。昔、毎日の様に通った足が今でも鮮明にこの道を覚えている。
*
彼女の手を引いてボクはひたすら進んでいく。あたりは既に暗くなっていて最近覚えた簡単に方角がわかるやり方なんか微塵の役にもたたなかった。
「ねぇ、ここで待ってようよ」
彼女は怯えているのか震える声でボクに投げかけてくる。
それに追い討ちをかけるように野良犬が月夜に向かって叫んだ。
「もう、やだよ!」
その場に座り込んでしまう。ボクがいくら手を引っ張ってもこの場から動く気なんてないようだった。手が痛くなるまで引っ張り続けてそれでもダメだったから諦めてボクもその場で座る。
暗闇だった。少し先さえ見えない。わかるのは山を登っていることだけ。
心和山はそこまで高くない地元の名所。頂上は禿げていてよく空が見渡せた。流れる川は太陽で光り輝くほど透き通り、よく素手で魚を追い回した。
そんな優しい顔が一変するなんて、思いもしなかった。
明かりなんてない。記憶だけを辿って禿げた場所に行こうなんて考えたボクがバカだった。
引き返そうにもこの様子だと動けもしないし、暗すぎてどこを辿ったのかさえわからない。
「帰りたいよぉ……」
すすり泣くように漏れた言葉。後悔した。ヒーローに憧れたボクはこんなにも惨めだなんて思った瞬間にボクも泣きたくなった。
熱くなるまぶたに溢れ出す気持ちの爆弾。
ボク達は誰かに助けてほしくて大声で泣いた。
いつもより大きく、大きく、大きく……。
泣くのも疲れて近くにあった木にもたれかかった。彼女も同じだ。目を真っ赤に腫らして何も見えない暗闇の一点を眺めている。
きっと誰かが来てくれる。絶対に。
ボクは握っている手を強く握った。
*
「着いたぞ」
ラビズユリ。永遠に見回せる大絶景。心和山の頂上よりももっと見晴らしのいい場所俺たちの住む町が端から端まで一望できた。
「なんだよこれ」
まず目に付くのは大河原公園だ。もう時期祭りとあって何も無かった広場に巨大な矢倉が立っている。祭りの名物である大文字提灯がまだかかっていないのが残念だが。
そこから右に1キロほど目を移すとついさっきお別れをしてきた大河原高校がある。ここからではよくわからないがグラウンドでアリンコのようなものがせかせかと動いていた。
「うちの野球部って強いんだっけ?」
「毎年初戦敗退だよ」
思いっきり遠くを見た。山はない。見えるのは高層マンションだらけの地域だ。近くにショッピングモールやらなにやらできたのは嬉しいのだが、何故かこの風景が汚された気がしてならなかった。
「神蔵駅っていつできたんだっけか?」
俺の言葉に架は顎に指を当て唇を尖らせた。
「昔っからあるだろ。でも、行くようになったのはショッピングモールができてからかなぁ」
そうだったろうか。俺もあまり記憶していないがあまりにも存在が薄すぎてないものだと思っていた。
「それより、あれみろよ」
架が指さしたのは真下だった。
「げっ」
真下は道がある。その道は入山して直ぐの道で入って来る人の顔がよくわかる。
だから尚更、その黒髪ストレートに嫌な気持ちになった。
「退散だ……」
「えっなんでだよ。もう少し……」
「いいから行くぞ」
肩を押して進む。来た道を戻ると出くわす可能性があったので遠回りだが山頂へ向かった。
*
「ねぇ、今日もあそこに行こうよ」
彼女はくるりと回ってボクを目の前でそう言って笑った。
あそこ……。あそこだろうか。心和山の道を外れて30分くらい行った場所。
若干トラウマだった。
あの日の夜、結局誰も助けに来なかった。泣き止んだ彼女を半ばむりやり立たせ、宛もなく進んだ。
木々がより深くなったと思ったら、一気に視界が開けた。
「また、見たいんだ。この町の景色」
その場所はこの町を見渡すことが出来る。神蔵駅から大河原公園。普段は遠くて行くこともできないような場所まで鮮明に見えた。
何より、その場所は山の鼻になっていて、少し強い風が吹けばまるで魔法の絨毯で空を飛んでいるような感覚になれた。
360度見回せることができる。そう錯覚させてくれた。
「あの場所ってなんかいいね。2人だけの秘密基地みたいでさ」
そう言われてボクは何も含んでないのに吹き出して笑った。
「なに言ってんだよ!」
「だってそうじゃん。ねぇ、早く行こ」
ふてくされながらも彼女はボクの手を取って走っていく。下校中のランドセルは間違いなく大人たちにとって、邪魔でしかないだろう。
でも、どことなく楽しかった。手に触れていれば落ち着く。一緒に話していれば楽しい。
あの場所は間違いなく、ボクたち2人だけの秘密基地だった。
*
計画変更により現地解散となった。
俺は山道を抜けると直ぐにある大通りをコンビニのある方へ曲がる。この道は都会をイメージして作った出来損ないの道だ。ある程度の店は乱立しているが、対して必要性がある店はなく、コンビニによるか、行列のできないラーメン屋に行くかぐらいだ。帰り道だからって歩いていても車が通るわけでもなく何のための道路なのかわからない。
風が吹く。山肌を滑って吹く夏の風が気をだるくさせた。
アブラゼミとミンミンゼミの合唱に舞うモンキチョウを眺めると無性に汗ばむ首筋に寒気が走った。
「おい、逃げんなよ」
立ち止まる。ドスは効いているがそれでも透明な声色に直ぐに誰かわかる。俺は振り返って東島美咲の表情を眺めた。
長い黒髪は花の香りのするトリートメントのせいか、風もないのになびいていた。夏場の嫌な暑さのせいか、第2ボタンまで開けて着崩しているワイシャツの間から汗が流れ落ちるのがわかった。
「なんだよ。そんなに息荒くしてよ」
華奢な肩を上下させ、こっちまで聞こえる呼吸する音。むしろ彼女がこの場にいることに驚きなのだが、それよりも話しを反らすのが先だ。
「あんた追ってきたのよ。なんでラビズユリなんかに行ったのよ!」
「そんなことより、知ってるか? 今年の祭り、昔の時みたいにアレやるんだってよ」
その言葉に彼女はあからさまに驚く素振りを見せた。全く、相変わらずだな。
「な、なんで、そ、そんなこと知ってるのよ……」
消えていく言葉に俺は帰路を向き歩き出す。そこに大きなトラックが通った。
「あと何回夏が過ぎればいいのよ」
トラックのエンジン音と共に聞こえた言葉に、ふと足を止めた。
「終わらない夏をさ……。亡霊ばっかり追っかけて、……私じゃダメなの!!?」
汚い風が、俺らの間を通った。
*
歳は早くも5年生だった。春先に転校してきた色素の抜けた髪の女の子と黒髪をひとつに束ねている女の子が楽しそうに夏休みの計画を練っていた。
初日はプール。2日めはショッピング。3日目はプール……。
その様子をつまらなそうに見ていると黒い髪の女の子がボクに近づきこう言った。
「ねぇ、今年のお祭りの日、あの子も連れて行っていい?」
ボクは不服な顔をした。何故余分に連れていかなければいけないのか、ボクには理解出来なかった。
2人だけの秘密の場所なのに。
「いいけど」
「ありがとっ」
いきなり抱きつかれる。その勢いでイスごと倒れるかと思ったがその前に彼女は離れた。慌てて机を掴みバランスを整えるとふっと鼻を掠める花の香り。いつもと違うその女らしい香りにまるで無重力空間にいる感覚になった。
その時、ボクは本当の意味で彼女を好きになった。
*
お祭りが近づくにつれ、街の景色もどんどんとその色が濃くなる。あちらこちらに浮かんでるのは提供している店の名前の入った提灯。出店でも入るのだろう鉄パイプを組み立てただけのもの。そして、何よりもその色を強くするのは、立ち入り禁止となっているうちの高校が所有する離れのグラウンドである。
その場所は花火の打ち上げ場所となっており、今でも綿密な配置を考案している。ように見える。
「なぁ、お祭りさ、一緒に行こうぜ!」
「あれ? 彼女は?」
並走している架に疑問を投げかけると怒りを含んだ顔をこちらに向けてきた。
「な、なに?」
「そういうデリケートな話しを軽々しくするんじゃない!」
コイツは女子か。顔を真っ赤にしながら目をカッぴらいて恥ずかしくないんだか。
「そういうお前こそ、彼女いるのか? そういう話しまったくしてこないけど」
目を反らした。この時期になるとどうにも胸が締め付けられる。なんだか、空いた穴を埋めようと何かが収縮しているような、そんな痛みだ。
「もしや東島さんか? 可愛いもんなぁー」
「違うから」
そういうんじゃないから。続けて言うと架は苦虫を噛み潰した顔をした。
「なんかよくわかんねぇけどさ、今のお前、嫌いだわ」
普段は通らない車が1台、古いガソリンの煙を上げて通っていった。
*
提灯は手を伸ばしても届きそうにない。そこに書いてある文字は何が書いてあるかわからない。
それでも、この雰囲気だけでとても浮かれる気分だった。
「ねぇ、お祭りでいちばん最初にすることなに?」
「射的!」
いつの間にかボクよりその大きくなっていた彼女はボクを見下すような視線を向けた。
「こどもっぽい」
「そ、そういうお前は?」
そう言うと細長い人差し指を唇に当て、とんとんと悩んで見せた。空を仰いだかと思えばふとボクを見て満面の笑みを向けてきた。
「あんず飴食べたい」
その表情が空に咲く向日葵のようだ。毎年恒例の、大きな大きな向日葵。物心がついて初めて見た時には目に映るそれにあまりにも強烈な感銘を受けた。
そのくらい彼女の顔に見とれていた。
「ちょっと大丈夫?」
「う、うん」
そんな彼女にボクの気持ちを悟られないよう顔を反らした。
*
祭りの日。
何かが物足りない。それがなんなのか、わかっていたようでわかっていない。矛盾の様な気持ちにいつまでも赤く光る提灯を眺めていた。
「なぁ、射的やろうぜ!」
架が輝かせる瞳を向けて、人が行き交う中の一角を指さしていた。
少年たちが身を乗り出して構えている銃の先にはテレビゲームのソフトを落とそうとしているが頑丈な配置に何をやっても動きそうになかった。
とても懐かしい。小学生の時にあれで何を取ったっけか。あいつが欲しいって言ってたやつなんだが、思い出せない。
「こどもっぽいな」
俺の口から出た言葉に架の瞳が濁った。尖った口から放たれた言葉。
「少年心を失ったのかお前は。おら、行くぞ!」
「はぁっ!?」
肩を組まれ力強く引っ張られる。なんだかわからないけど、久しぶりにドキドキしてる。いや、ワクワクか。
浴衣の女性や半袖の男性などが行き交う人混みの流れを無視して射的へ向かう。くだらないじゃれ合いをやめ、2人で歩幅を合わせて人混みを外れる。
「ねぇ、」
目の前に現れた。美しい白を基調し、鮮やかな淡い桃色の花が本人の美しさを邪魔することなく咲き誇っている浴衣。黒い髪を綺麗に上げ、普段はしていない化粧をナチュラルに決めていた。
それを見て俺の思考は停止した。
「私も一緒していい?」
「もちろんだよ! なぁ? ってどうした?」
俺は泣いていた。流れている涙がどういう事を意味しているのかわからなかった。何もせずにただ流れるこの液体が、目の前の彼女の表情を崩した。
照れている様な表情が、一気に泣き出しそうな顔になった。
そんな時、花の香りが俺を包んだ。
*
その日は待ち合わせをしていた。お祭りで楽しむためにお母さんにお小遣いを前借りしてきた。これで今日は思いっきり楽しめる。
大河原公園の入口から少し離れた大通りの最近出来たばかりのコンビニ前で待ち合わせをしていた。店前には出店を出しており、お酒とフランクフルトをメインに売り出している。物珍しさになのか公園から離れているにも関わらずなかなかの人がこの場で買っている。
ボクもフランクフルトの1本でも買おうかと思うとお財布の中身を見た。
「おまたせ!」
「ごめんなさい!」
花のトリートメントの香りが彼女の到着を知らせた
財布から視線を移すとそこには可愛い浴衣に身を包んだ2人がいた。
黒髪の彼女は白を基調とした花柄の浴衣。
少し色の抜けた髪の女の子は藍色を基調とした浴衣。
2人ともお母さんに化粧をしてもらったのかいつもより可愛く見えた。
「なに? 見とれてるの?」
白の布をヒラヒラとさせ、意地悪く笑う。それを聞いてか隣りの子は熱されたヤカンのように顔を赤くした。
「ん、んなわけねぇだろ」
ふいっと後ろ向く。その先に公園がある。ボクは先に歩き出す。真っ赤になった顔を隠すために。
公園の中は街中の人でごった返していた。とてもおもしろい音と臭いがボクたち気持ちを最高に高ぶらせた。
「ねぇ、なにする?」
後ろから投げかけられる言葉にボクは立ち止まる。目の前に射的があったのだ。
「これ、やろうよ」
ボクの両隣で立ち止まる2人はそれを見てどちらともなく言葉を発する。
「こどもっぽい」
「うっせ」
それでもボクたちはそこに向かっていく。賑やかな音に誘われて。
商品の並びを見て興奮する。1番上の段にあるのは巨大な銃。最近流行りの小型ゲーム機。極めつけは欲しかったラジコンカー。
「10発500円だよ」
それを聞くとボクは2人に視線を向けた。そのうちの1人の視線があるものに釘付けになった。それは、ラジコンカーと銃の間にある、王冠をかぶったクマのぬいぐるみだった。
「あれ、欲しいのか?」
ボクは自然と聞いていた。彼女は躊躇わず強く頷く。その途端また顔を赤くして、泣きそうな顔をした。
「よし、私も手伝うよ」
白の袖をまくり500円玉を机の上に叩きつけた。
ボクたちはひとつの目標に向けて銃口を向けた。
試しに1発撃つ。それは左にカーブしながらクマに当たる。しかし、ビクともしなかった。
「うわ、」
「同時に撃ってみる?」
玉を詰めてもう1度構える。
「そうだね。それなら行けると思う」
クマの額を狙ってお互い息を合わせる。
「いっせーのっ!」
最後の一文字を聞かずに放った。お互いの玉はほぼ同時にクマの額に当たる。クマは少しだけ後ろに傾くが直ぐに元通りに座りボクたちを嘲笑する。
「くそぉ。狙いは完璧なんだけどなぁ」
「少しずらしてみる?」
「さっき動かなかったじゃん」
「そっか」
思案、試行錯誤、実行。
様々な作戦をしたが倒すことも出来ず、お互い残り1発になってしまった。それでも攻略法なんて見つかることもなく残り1発をどうするか悩んだ。
「くそぉ」
「最後……」
彼女は真剣に最後の玉でクマを狙う。ボクもそれに釣られて銃をクマに向けた。
「せーのっ!」
トリガーを引く。
「あっ」
玉はほぼ同時にクマに当たる。それによりいつになくクマは傾く。それは倒れるか倒れないかの大きな傾きだった。
「倒れてっ!」
その時、大きく後ろに揺れる。
「いけっ!!」
心の声が口に出た。その場が祭りの最中にも関わらず静寂がボクたちを味方した。
*
俺たちは射的の場所に来ていた。品揃えは毎年変わりない。それだけ鬼畜仕様となっているのだろう。子ども泣かせもいいところだ。
「よし、気を取り直してさ、やろうぜ」
淀んだ空気を払拭しようと手を叩いて500円玉を出す。
「ほらっ」
肘で俺に催促する。わかってる。急かすな。
予めポケットに忍ばせておいた500円玉を出し机の上に置いた。
「おばちゃん。玉」
おばちゃんと言われてムスッとしたおばちゃんが玉を無造作にドンと玉の入ったお皿を机に置いた。
「なぁ、なに取る?」
架の一言に玉を詰めながら商品を眺めた。
1番下の段は駄菓子が如何にも落としてくださいと言わんばかりに立てられている。中段はお菓子でも少しだけ高価なものが立っている。そして、上段にはいつものメンツが俺たちを嘲笑していた。
「難しいこと言っていいか?」
「お? ラジコンカーか?」
俺は自分でも何をしてるのかわからなかった。ただ、それを狙わなければいけないと思った。それを指して言葉を出した。
「いや、あのクマのぬいぐるみで」
はっと息が吐き出されるのが後ろから聞こえた。それを無視して俺は銃を構えた。積年の恨みとでも言うのか、俺はアレを倒さなければいけなかった。
━━━━あの時、倒せなかった恨みをもって━━━━
「よっしゃ! 敵は強大なほど燃える!」
「ガキか」
俺たちは銃を構えた。昔はあんなに重かった銃。それを軽々しく片手で持つ。
「一緒に撃つぞ」
「おう!」
せーのも無しに、息を吸うタイミングだけで2人の玉は同時に放たれた。
あの時はこれだけだったからダメだったんだ。当たるのを確認もせず俺は銃に玉を詰めた。
「落ちろ!」
当たった。またあの時のように大きく傾く。しかしそれだけじゃダメなことを知っていた。
だから撃つ。あの時、彼女が隠し持っていた残り1発のように、外さないように。
真っ直ぐクマに向かっていく。
「落ちて!」
その玉はクマの額に当たった。
クマは大きく後ろへ転がっていく。
*
彼女は大きく後ろへ転がる様にイスに座った。ボクも、藍色の着物を綺麗に着ている女の子も彼女の座った長椅子に座る。
「あーー! 疲れるわぁ! 足痛いし」
慣れない下駄の鼻緒を挟んだ親指と人差し指の間が赤くなっていた。それは女の子も一緒でそんな素振り見せないが痛そうだった。
「クマちゃんも取らなかったしな」
「悪かったわよ! まさか外すなんて思わなかったし」
ふてくされながら持っていたあんず飴をぺろっと舐める。
「ごめんねぇ。取れなくて」
「全然いいよ! むしろもう少しだったから興奮しちゃった! 2人とも息ぴったりなんだもん!」
そう言われてボクは恥ずかしくなった。まだ付き合ってもないのにそんなこと言われると、自分の中での妄想が甘酸っぱさ一杯になる。それが脳裏に蔓延ってなかなか取れてくれないのだ。
「まぁ、ずっと一緒だったしね。あのくらいはできるよ」
「へぇー。そうなんだ!」
女の子は心ここにあらずな感じに人が行き交う方を見てわたあめをかじった。
ボクもそれに釣られて人混みを見た。その視線の先に大人の女性が甚平を着た男の隣を楽しそうに歩いていた。綺麗な長い髪の毛は漆塗りの様に黒く、華奢でいて笑顔の綺麗な人だった。
「君は黒髪が好きだもんねぇ」
彼女は白い浴衣の袖をうちわ替わりに使いながらしみじみと言った。
「は? なんでそんなことっ!!」
「いつも一緒だからわかるのよね。好みの女性。漆塗りのような艶やかな長い黒髪で、体はスラッとしてて、笑顔が綺麗な人。当たりでしょ?」
大正解だった。悔しくて言い返したかったけどそんなこと出来なかった。その全てが当てはまる人の目の前でなんて、とてもじゃないけど言えなかった。
「へぇ、私ちょっと薄いからなぁ……」
そう言ってわたあめで顔を隠した。そんな単純な行動に何の疑問も覚えなかった。
「あっ、そろそろ花火じゃない?」
彼女は手を叩いてそう告げる。ボクはもうそんなに時間かと空を見上げた。
「え? まだ1時間以上も先だよ?」
ごもっともだ。場所取り戦争だって10分で十分だ。だけどボクたちはそれじゃダメなのだ。あそこにいくのだから。
「あそこに行くのよ!」
前に3人で行った秘密基地。あそこならば誰にも邪魔されずこの町の空を独り占めすることができた。
「えっでも、暗いし」
「大丈夫!」
「いや、私はちょっと」
「行かないの?」
「お母さんに早く帰ってこいって言われてるし」
「いいじゃん。ムリに連れていかなくったって」
ボクは横目で彼女を見た。ムスッとした表情が明らかにボクを睨みつけていた。
「やだ」
「わがままはだめ」
「むー!」
ボクは立ち上がった。
「行くなら早く行こ」
「わかった! また明日ね」
「うん。ごめんね」
ボクと彼女はこの場で女の子とお別れした。そして向かうんだ。2人だけの秘密基地に。
*
俺は1人で山を登っていた。なぜ心和山にいるのか自分でも思い出せなかった。いつの間に2人とはぐれたのか、こんな離れた所までどうやって来たのかなんて記憶になかった。導かれるがまま心和山を登っていた。
そういえばクマはどうしたっけか。美咲に渡したっけか。まぁ、あのクマはあそこにいなきゃならなかったからな。
「ここだ」
普通の山道。その脇にあるのは誰も知らない俺たちだけの目印がある。そこがラビズユリへ向かうための道だ。
俺は通りにくくなったこの道に入る。ここから30分。花火の時間には間に合いそうだった。
進んでいく。漆黒の闇が支配する、道へ。
*
「私ね。来週旅行に行くんだ」
ボクは興味もなく適当に相槌を打った。
「なに? 寂しいの?」
繋いでいる手をぶんぶん振り回す彼女は意地悪く微笑んだ。
「寂しいに決まってんじゃん」
無愛想に言うと維持できなくなった笑顔を解放し、ボクの頭をわしゃわしゃと撫でる。急な出来事に驚き直ぐに離れる。
「やっ! やめろよ!」
「ははは。かわいい」
「うるせぇ」
ボクはスタスタと歩いていく。
「待ってよぉ!」
急いで近づきボクの手を掴む。そして、耳元でこう呟くのだ。
「ラビズユリ」
そのひと言に、ボクは口から心臓が出そうになる。嬉しいから、恥ずかしいから、そんな様々な感情がボクの思考を停止させ、心臓を大きく跳ねさせる。
それでも、言わなければいけない。
「……ラビズユリ」
彼女はボクを強く抱きしめた。
*
そんなことになるなんて思ってもいなかった。
ボクはまだ信じていなかった。
彼女が泣いているその直ぐ前にいるのが……。
そんなこと考えられない。だってそうだ。昨日まで話してたじゃないか。まだ覚えてる。あの体温も、息づかいも、仕草も、香りも、何もかも。
それが、まさかありえない。……ありえない。
嘘だって言って欲しい。嘘に決ってる。嘘であって欲しい。
誰に願えばいい? 神様? 仏さま? それとも悪魔? 戻ってくるならボクの命と引き換えにだってできる。
でも、いつまで経ってもボクの願いを叶えてくれる人は現れなかった。
*
ラビズユリに着いた。疲労に足が震え、息を整える間も作らず、そこに作った木の板を並べただけのイスの左側に座る。もうまもなく花火が上がる。それまでこの大河原の風景を眺める。
やっぱり変わった。大文字提灯は縮小している。俺が大きくなったからなのか。それとも時代の流れなのかわからないが、あの時のような感動はなかった。
「俺も汚れてきたのかなぁ」
独り言。アイツに聞かれたら怒られるだろうな。そう思いながら空を見上げた。
「あと、5分」
1発の花火が合図だ。そう、アレが始まる。
*
残り5分。ボクたちは特等席に座ることができた。
「ねぇ見て!」
大文字提灯。本当に大の字を公園いっぱいに広げて作っていた。結構離れているこの場所からでもわかるくらい巨大な文字だ。
「凄いね」
「うん」
ボクたちは自分たちで作った立派なイスに座り今か今かと待ち望んでいた。
2人は無言。このまま花火までドキドキしながら待った。
1発の向日葵の様な巨大な花火が空を埋めた瞬間だった。
町中の明かりが消えていったのは。
見える範囲全ての明かりが消え、目の前は暗闇の海となる。
「え? 停電?」
いきなり襲った暗闇に不安になる。ボクはただ彼女を守ろうと彼女の手を握った。
「ねぇ、見て」
目が慣れてきたのか、彼女の顔が微かに見えるようになった。その視線の先は空だった。
「すごい……」
ボクは空へ手を伸ばした。今、誰よりも近い場所で、この満天の星空を堪能している。360度邪魔するものはない。
「綺麗」
*
「君の方が綺麗だったよ」
俺は満天の星空に手を伸ばす。今でもわかる。星に手が届きそうだ。星座さえも消え去る程、無限大の数の星が川を作っている。
「ラビズユリ」
2人だけの合言葉。それがこの場所の由来。
「明日もここで待ち合わせ……な」
この瞬間だけ、彼女と出会える。今彼女の手を握り、2人で届きそうな星に手を伸ばす。
*
「明日もここで待ち合わせね」
彼女は星空に魅了されながらも、ボクにそう告げた。
それ以降会話はなかった。静寂と暗闇と星。全てのコントラストが大自然の美しさを表す。ボクはまだこの景色に感銘を受けていた。
*
花火が上がる。静寂を破る爆発音と共に光り出す向日葵。
「始まったな」
次は色とりどりの花が咲く木。
光り輝く枝垂れ桜。
水面を流れていく蓮の花。
乱れ咲く紫陽花。
*
紫陽花が咲き乱れると彼女はこう言った。
「この着物の花も紫陽花なのよ」
それがどういう意味なのかわからなかった。
*
「元気な女性……か」
インターネットで調べればすぐにわかる花言葉。
それは親の込めた気持ちの裏返し。
今でも彼女が俺の目の前からいなくなった理由は知らない。
ただ、今目の前で咲き乱れる紫陽花の花は彼女をここに連れてきてくれている。
このまま、永遠にこの時間が続けばいいのに。
また、暗闇の夜空に紫陽花が咲き乱れた。
それはあまりにも綺麗で、誰にも邪魔されない俺たち2人だけの空。
花火が終わった。
その瞬間の星空は、虚しくも綺麗で、澄みきっていた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
いかがでしたでしょうか。謎が多いとは思いますが、わかって頂けたでしょうか?
ミステリー風な恋愛物語を書いてみようと思い、書いてみましたがなかなか難しいものでした。いや、かなり読みづらかったと思います。
また短編もの書いていきますので是非読んでってください。感想、評価もまってます!
最後までありがとうございました!