第七話
宿を出てから、ずっと外を歩いていた。
気がつくと真っ暗で星が煌いていた空は、少し青みがかかっていてもうじき朝がくるようだった。
まだほとんど人の見えない街のなかを歩き、冷たい風に思わず身震いをする。
ちょうど街の中央にある噴水前のベンチに腰掛ける。
そして空を見上げる。
確かに、カンヌに拾われる前の記憶はなかった。
けれどそれが気になったことはいままでなかった。
だが、もしもアルタイアの言うことが真実だとしたらどうなんだろう。
自分にも大事な家族がいたんだろうか。
大事なことを忘れてしまっているんだろうか。
俯いて、ため息をつく。
「はあ……でも、何も思い出せないな」
失った記憶を思い出すことは、そう簡単にはできないだろう。
思い出そうと思って思い出せるなら、きっともう思い出しているはずだ。
記憶を思い出す方法。
以前に聞いた、きっかけという言葉が頭を過る。
何か、きっかけであればその拍子に記憶が戻るかもしれない。
けれど、先ほどのアルタイアの話を聞いても何も思い出すことはなかった。
思い出すきっかけとしては、あれでは足りないのかもしれなかった。
そんな時、聞き覚えのない声が聞こえてきた。
「へえ、本当に生きてるとはね。さすがに嘘だと思ってたのに……おかしいな。きっちり殺したはずなんだけどなぁ」
声のした方へ視線を移すと黒いローブに身つつんだ魔道師と思われる男がその場にたっていた。
見覚えのない相手のはずだが、危機感を覚える。
立ち上がり、腰の剣の柄を握り相手を睨みつける。
「誰だ?」
「お久しぶりです、セルギルス王子。こうしてまた会えるなんて思ってもなかった」
「また……?」
以前にも会ったことがあるということだろうか。
けれど、その男の顔に見覚えはなかった。
王子と呼ばれたことで、まさかと思い剣を引き抜いた。
「誰だお前は。会ったことなんかないだろ」
「覚えてない……と。せっかくの再会なんだし、思い出してくれても良いと思うんだけどね」
「だから、俺はお前なんか知らない」
そう言い放ち、剣を構えた瞬間剣を握っていた手に打たれるような衝撃が走り、剣がはじき飛ばされて地面に落ちる。
ほんの一瞬の出来事で、相手は一切動いた様子はない。
恐らくは魔法だろう。
「くっ……何がしたいんだよ」
警戒しながら相手を見る。
今の一瞬でも全く抵抗することもできなかったし、避けようもなかった。
相手は次の一撃で自分を殺すことも可能かもしれない。
そう考えると、下手に動くわけにもいかなかった。
「警戒しなくても、今すぐ殺そうなんて思ってないよ。それよりも……本当に何も覚えてないんだ? 自分が王子だったことも身内のことも、それに僕に殺されたことも?」
「お、お前……」
ずきりと頭が痛んだ。
頭の奥で何かが蘇るような気がする。
もう少しで、何かを思い出せそうな気がしていた。
男はふうとため息をつく。
「けど、王子が生きていたなら邪魔が入りそうだし厄介だな。ああでも、寝てたら動けもしないだろうし、どれくらいがいいかな。十日……いや五日で充分だね。五日も寝ててもらえば、その間に全部終わるだろうしね」
「何するつもりだよ……」
一歩、後ずさる。
「しばらく寝ててもらうだけだよ。別に死にもしないからそう怖がることでもない」
彼は杖を取り出し、それをこちらに向ける。
まずいと思ったがうまく逃げられる方法が浮かばない。
いまから逃げ出すにしても、魔法なら遠距離からも当てることが可能だ。
となれば、いますぐ背を向けて逃げ出したとしても後ろから攻撃されたら終わりで避けようはない。
迷っているうちに、杖が赤い光を放ち身体に思い衝撃が走る。
その瞬間、どうしても思い出せなかったことが溢れるように思い出された。
地面に膝をつき、溢れてくる記憶に頭が真っ白になる。
それと同時に猛烈な眠気が襲ってきた。
朦朧とする意識のなか、魔道師の顔を見る。
その顔は確かに自分の記憶のなかに存在していた。
「お前、お前だ……! よくも……お前のせいで、俺は……」
「何だ思い出したのか。まあいい、君にはいろいろ聞きたいことがあるからまた会おう。何で生きているのかも気になるところだしね」
「待てよ、この野郎っ……!」
★
「おーい、セルスー!」
ロイドとイアルクが噴水の前に駆けつけた。
倒れているのを発見して、ぎょっとしロイドは慌てて駆け寄って身体をゆすって呼びかける。
「何だよ、セルス! 腹が減って生き倒れたのか……って感じじゃなさそうだよな~……。だ、大丈夫なのかこれ。死んでないよな?」
焦るロイドに対し、イアルクはその場にしゃがみ込んで様子を確認する。
無言でじっとしばらく様子を伺っていた。
慌てているロイドの方へ顔を向けて冷静に告げる。
「眠ってるだけだと」
「は、はあ……でもこんな所で昼寝したりするのか? セルスは地面で昼寝するようなタイプじゃなかったと思うんだけどさ~」
「魔法のようですね。相手の力量によりますけど、場合によって1ヵ月は目を覚まさないということも有り得ます」
「な、何かそれやばいと思うんだけど……」
今の状況で、1ヵ月も眠りにつかれたら困ると思いながらどうしたものか戸惑っていると、後ろから足音が聞こえてくる。
振り向くとアルタイアが立っていた。
「ちょっとどいてください」
ロイドとイアルクがその場を空けると、アルタイアはしゃがみ込んですっと手をかざす。
「まあ、眠らせる魔法ですねただの。恐らく帝国の魔道師の仕業なんでしょうが、殺害されてなくて何よりです。多分、セルスさんが王子だということに気づいてのことでしょう。邪魔をされないように」
「けどさ~、それなら眠らせるだけっておかしいと思うんだけど。だって、何日も目が覚めないような魔法使ったって普通に魔道師がいれば簡単に魔法の効果も解けるんだろ? だとしたらあんまり意味ないと思うんだけど」
「そうでもないですよ。どんな魔法であれ、その魔法の効果を解く場合魔法をかけた魔道師に対してそれを解こうとする魔道師の力が弱すぎると解くことができません。強すぎる魔力を持つ魔道師がかけた魔法ならその辺の魔道師には解けません」
「はあ……なるほど。ところで、アルちゃん解けるの?」
「ええ、大丈夫ですよ。相手はこちらに自分の魔法を解けるような魔道師はいないと踏んだようですが……甘く見られたもんですね。でも、そのおかげで軽く済みましたから良しとしましょう」
★
目を覚ますと、天井が目に入る。
背中にはふわふわした布団の感触があって、すぐにベッドの上であると気づく。
ゆっくりと何があったのかを思い出す。
魔道師に会って、その後忘れていた記憶を思い出したはずだ。
まだ幼い頃の記憶。
自分が王子だったことも、昔殺されそうになったことも。殺されそうになったというより、本当に一度殺されて死んだという方が正しいのかもしれない。
あの時目を覚ました時いた場所は王宮でもなく、傍にいたのもカンヌだけだった。
きっとあの時から記憶を失っていたのだろう。
少しずつ、家族のことも思い出す。
国王だった父親、幼い頃に病で亡くなった母親。
そしていつも慕ってくれていた妹のことも。
昨日アルタイアに聞いた話も同時に思い出した。
はっとして、起き上がる。
「セルス殿、目が覚めましたか。何ともありませんか?」
ベッドの脇にいたイアルクが尋ねてくる。
まるで何事もなかったかのように、身体にも違和感を感じない。
「何ともないな……」
「何ともなかったなら、何よりだ」
部屋にいたらしいセントグルトもベッドの傍まで来て笑顔を浮かべる。
けれど、ほんの少しの変化に気づいたようで訝しげにこちらを見て口を開く。
確かめるように。
「だが、本当に何も変わりはないのか? 正直、私にはそうは見えないな」
「…………」
言われた通り、何も変わってないわけではなかった。
ずっと忘れていた記憶が戻ったのだ。
そして妹のことが頭を過る。
「そうだ、妹を……セレスティーナを助けないと」
ベッドから降りて、動こうとしたことでイアルクに止められる。
「待ってください、セルス殿。もしや記憶が……?」
「説明してる暇なんかない! 今すぐ助けに行かないと時間がっ……」
昨日アルタイアが言っていた通り、もう時間がない。
それなら早く妹を助けに行かなければならない。
イアルクを押しのけようとしていると、セントグルトが大きな声で言い放つ。
「落ち着いてくれ!」
「…………」
その声に思わず、黙り込む。
同時にイアルクを押しのけようとしていた手も引っ込める。
セントグルトは静かな声で質問を投げかけてくる。
「気持ちは分かるが、今すぐ単独で城に乗り込むつもりか? 単独でいきなり乗り込もうとしても、兵士に止められるだろうし、当然騒ぎもなる。騒ぎになれば、この国に来ている帝国の王子や魔道師に伝わるだろうしアルタイアたちが何かをしようとしていることがバレてしまうだろう。事前にバレてしまえば、相手は何か手を打ってくる可能性もある」
「それも、そうだよな……」
その言葉に納得し、黙り込む。
冷静に考えてみれば、単独で乗り込んでも城の兵士に止められて無駄だろう。
「とりあえず、座って話さないか? イアルクは、アルタイアたちを呼んで来てくれ」
「分かりました」
イアルクが部屋を出て行った後、促されてテーブル前の椅子に腰を降ろした。
ひとまず水を飲んで落ち着くことにした。
コップに入った水を飲むと、喉の渇きが潤う。
そして頭を抱えて考え込む。
セントグルトは向かい側に座って微笑んだ。
「アルタイアたちが来るまで、少し話さないか?」