第一話
「お兄様! お兄様!」
静かな城内に、悲痛な声が響く。
その少女はまだ十歳にもならない幼い子供だった。
広い廊下で、座り込んでそのまますすり泣いていた。見ていて胸が痛くなるほどだった。
それも無理はなかった。
彼女は、実の兄を亡くしたばかりだったのだから。
その兄も彼女とさほど歳も変わらず、まだ幼かった。
すすり泣く彼女に歩み寄り、しゃがみこむと声をかける。
「……姫様、部屋に戻りましょう」
「お兄様っ……どうして、どうして……また遊んでくれるって言ったのにっ!」
涙ながらに訴え、その場を動こうとはしなかった。
「姫様、どうか今日はもうお休みになってください」
もう一度声をかけると、彼女は涙を擦りながらゆっくりと立ち上がる。
ふらふらする彼女の手を引いて、広い廊下を歩く。
★
呼び出されたのは、その日の夜だった。
大きな窓から見える空は暗闇に染まり、星が煌いている。
死んだ魂というのは、どこにいくのだろうか。
そんなことを考えていた。
先ほどの彼女にように、泣いて、訴えることはないけれど彼の死は自分にとっても衝撃だった。
この城に仕えていた自分は、彼のお守を任されることも何度かあった。
だから彼がどんな人物かも知っていたし、話したこともある。
こんなに早くこの世からいなくなるのは惜しい人物だった。
まだ子供でありながらも、しっかりしていて思いやりもあってよくできた少年だった。
一息つくと、さらに廊下を歩き扉の前で足を止める。
重い扉を開き、部屋のなかへ足を踏み入れるとテーブル前の椅子に腰を降ろした国王の姿がある。
いつも以上に難しい面持ちの国王は、すっかり疲れ切っているようだった。
けれど仕方のないことなのだろう。
いくら国の頂点に立つ国王と言えど、自分の息子を亡くすということに動じないわけではない。
「来てくれたか、セレスティーナの様子はどうだった?」
「姫様は、疲れておいでで今は部屋で休んでおります」
「そうか。……お主は分かるか?」
その問いかけが何の問いかけなのかは分からなかった。
けれどすぐに言葉が続く。
「王家とは、こういうものだ。国の上に立ち大きな権力を得る代わりに様々なものを背負うことになる。それ故に時に命を狙われることもある」
重々しく告げられる言葉をただ黙って聞く。
王子の死は、病でも事故でもなかった。
王家に生まれ、生まれ持ったもののせいで命を狙われ、まだ幼いながら殺害されたのだろう。
相当腕の良い魔道師が潜り込んでいたのか、それを誰も止めることができなかった。
みすみす敵を忍びこませ、王子の殺害を阻止できなかったということは王子の護衛についていた近衛騎士たちはなんらかの責任を問われるのは間違いない。
それには自分も含まれるはずだ。
それを覚悟で来たのだが、王はまだ話を続ける。
「身内の死も即座に受け入れ、また国のために生きねばならぬ。王……いや、王家は常に身内より国民のことを考えなければならない。例え自らの命を賭しても守らねばならない。王家に生まれるということは、そういうことだ」
そう告げると、王は腕を組みしばらく沈黙する。
その表情は悩んでいるようで、追い詰められているようでもあった。
しばらく沈黙した後、何を決意したように顔を上げる。
「カンヌヴァルス、お主に頼みがある」
★
その日も真っ青な空が広がり、明るい太陽が街を照らし出していた。
ロンデオンの街はウィントハイム王国の東の辺境の地に点在する。
ロンデオンの街の近くには大きな森が存在し、そこを抜けなければ街には辿りつくことができない。
その森も少し道が複雑なこともあり、あまり好き好んで足を踏み入れる者がいないこともあり、滅多に外部から来訪者が訪れることもない。
けれど、街の人口はそれなりに多く活気が溢れていた。
街の門の前でいつも通り親友のロイドと見張りをしていた。
半年前に街の警備隊になってから、こうして魔物が入って来ないように見張りをするのが日課になっている。 いつも通り、周囲を見回しているとロイドが壁にもたれかかりながら口を開く。
「はあ~……まったく、暇なもんだよな~。全然仕事もないしさ、やりがいがないって言うか……」
「何言ってるんだよ。仕事はあるだろ。魔物が来ることもあるし魔物退治だってやってるだろ」
そう返すと、ロイドは慌てた様子でもう一度口を開く。
「な、何だよ。別に怒ることないだろ」
「別に怒ってないけど」
「嘘だ。顔が怒ってるように見えるんだけど~」
ロイドはむっとした様子でこちらを眺めながら言う。
そうは言われても、怒っているつもりはまるでなかった。
単に、ロイドの言葉に淡々と返したつもりだった。
ふうとため息をつく。
「この顔は生まれつきだ」
「へえ~、生まれ時から怒ってんの。セルスも大変だよな~……っと、冗談はこのくらいにしてさ。あんまりやりがいがないのは事実だと思うだろ?」
「はあ……」
「だって、この辺の魔物って弱いし、俺らでも楽勝じゃん。骨がないって言うかさ~」
「別にそれでいいだろ。平和な方がいいと思うけどな」
こうして警備に手こずることがないのは、平和な証拠だ。
それなら、それを喜べばいい。
自分としてもあまり危険な目に合うのはごめんだった。
「そうなんだけどさ~……あ、そろそろ腹減ったんだけど」
ロイドの腹がぐうと鳴った。
「お前な、腹鳴らしやがって。下品だぞ」
そう言っていると、自分の腹も音をたてた。
「何だよ~、セルスだって人のこと言えないじゃないかよ! ま、いいや。さっさと飯食いに行こうぜ!」
「ま、そうだな」
頷くと、食事にすることにした。
他の警備隊と見張りを交代し、街に戻ると自分の家へ向かう。
★
家へ足を踏み入れると、良い匂いが漂ってきた。
部屋の入り口に剣を立て掛けて、部屋に足を踏み入れるとテーブルの上には野菜のたっぷり入ったスープとパンが用意されていた。
テーブル前の椅子に腰を降ろし、本を読んでいた人物に声をかける。
「師匠」
「セルスに……ロイドか。どうだった? 異常はなかったか?」
「何もなかったよ。今日もいたって平和だ」
「そうか、ならいい」
セルスは、師匠であるカンヌとこの家に住んでいた。
幼い頃にカンヌに拾われてから、剣を教わりこうしてこの街で警備隊をしている。
カンヌに拾われる以前のことは何も覚えていないが、あまり気になったことも問題もなかったから特に思うこともなかった。
気になったとしても、カンヌも自分を拾う前、自分がどこから来て何者なのかは知らないかもしれない。
けれど、いまが良ければそれでいいと思っていた。
「なあなあ、早く食べようぜ。俺もう腹ペコペコだからさ~」
「はあ……分かったから、急かすなよ」
ロイドに急かされ、テーブルにつく。
食べ始めると、ロイドはみるみるうちに皿を空にしていく。
ものすごい勢いで食べているのを見ると、よくそんなに食べられるものだと思う。
自分だったら、あんな速さで食べたりしたら喉に詰めてしまいそうだ。
パンを食べつつ、向かい側で本を呼んでいるカンヌに目を向ける。
「そういえば、師匠はまた見回りしないのか?」
疑問だったことを尋ねる。
カンヌも、以前は一緒に見回りをすることが多かった。
けれど最近はその頻度もめっきり減ってしまって、自分とロイドの二人だけで見回りにあたることが多くなっていた。
カンヌはいつも本を読んでばかりだった。
彼は顔を上げると、本を閉じる。
「ああ、そうしたいのは山々なんだが、少し調べたいことがあってな」
「へえ……」
そこで沈黙する。
何を調べているのかは知らない。
恐らく、聞いたところで教えてもらうことはできないだろう。
拾われてから、ずっと一緒にいるものの教えてもらえないことも多く少し壁を感じる部分も多かった。
父親代わりというわけでもなく、師匠と弟子の関係だから踏み込めない部分も多いのだろう。
けれど、少し踏み込めない部分があるというだけで充分面倒を見てもらっているし、不満に思うようなことは何もなかった。
沈黙していると、カンヌが口を開く。
「セルスも随分腕を上げたな。この調子でいけば、俺を超えるのも時間の問題だろうな」
その言葉に思わず目を丸くした。
確かに、以前に比べたら警備隊で魔物の相手をすることもあって、かなり剣の腕は上がったと自分でも思う。
けれど、カンヌも自分に剣を教えてくれるだけあってかなりの腕を持っていて、今でもまだ到底追い抜けそうにはない。
「まさか、だって師匠バカみたいに強いだろ?」
「あ、それなら俺は?」
ロイドは会話に割って入ってきて、目をきらきらさせる。
そんなロイドにあきれて、ため息をつく。
「お前は無理だろ」
「何でだよ、俺だってやればできるんだからな」
「どうだか」
「何だよ~! セルスは俺に何の恨みがあるんだよ。そこはできるよって言ってくれたっていいと思うんだけどな~」
「できるよ。これで満足か?」
「も、もういいよ。バカにするなよな。俺だってやればできるんだし、いまに強くなってやるからな。じゃあ、さっそく見回りしてくる」
食事を終えると、ロイドはバタバタと外に行ってしまった。
ロイドは相変わらず行動が早い。やると決めたら、すぐに行動に移すタイプでなかなか行動に移せない自分としては見習いたい部分も多かった。
自分も食事を終えると、席を立つ。
「じゃあ、師匠。また行ってくる」
「ああ」
★
また街を出て門の前まで来ると、ロイドの姿は見えなかった。
恐らく裏門の方まで見回りに行っているのだろう。
いまは他に警備隊の者がいないこともあり、こちらの門の見張りを続けることにした。
目の前には森の入り口が見える。
この街に来るためにはあの森を抜けて来なければならない。
けれど、少し複雑な道であることもあってあまり外部から来訪者が来ることはない。
だからあまり旅人を見かけることはない。
気づけばもう半年以上この街を出て、他の街に行ったことがなかった。
上から太陽の光が降り注ぎ、暑さに耐えながら見張りを続けていると、声が響いてきた。
「うわあああああああ!」
叫び声だった。
それも聞き覚えのある声だ。
ロイドの声だった。
「おかしいな……」
ロイドは槍使いで修行をそれなりに積んでいるし、警備隊にいるだけあって魔物が現われても蹴散らすことができるはずだ。
だから叫び声を上げたりするなんて妙だった。
可能性があるとしたら、手に負えないほどの強さの魔物が現われたのか。
そうだとしたら、すぐに助けに行った方がいいと思い、声のした方へ走った。
駆けつけると、巨大な魔物の姿が目に入った。
巨人のような真っ黒で大きな身体に頭には角が生えていて、赤い目がぎらぎらと光っていた。
見たこともない魔物だった。
魔物はほとんどが獣のような姿をしていて、こうした人のような姿のものは滅多にいない。
その気配で他の魔物とは違い、桁違いに強いことが分かる。
下手に戦うのは危険だと思った。
得体が知れないこともあり、一度街に戻りカンヌを呼んで来て退治してもらうのが一番安全だと思う。
魔物から目をそらし、腰を抜かしているロイドに目を向ける。
ひとまずロイドを連れて一度街に戻ろうと駆け寄って、その腕を引っ張る。
「おい、早く立てよ! 一旦街に戻るぞ!」
「あ、いや……その……腰抜かしちゃってさ……立てないと言いますか……」
「このバカっ! 何腰抜かしてんだよ! いまどういう状況にいるのか分かってんのか!?」
「わ、分かってるよ。でもびっくりしてさ……ごめん」
そこで黙り込んだ。
こうなったら、走って一度街に戻るのは難しい。
ロイドがこの状態では、ロイドを連れて街に戻るとしてもゆっくりしか動けないだろうからすぐに追いつかれて襲われてしまうだろう。
しかし、だからと言ってロイドを置いていくわけにはいかない。
一度街に戻ってカンヌを呼んで来るまでの短い時間でも置いていけば、確実に魔物餌食になってしまう。
そうなると、ここで戦うしか方法はなさそうだった。
立ち上がると腰の剣を抜き放ち、構えて魔物の姿を見据える。
魔物もこちらを見て警戒しているようだった。
そしてすぐに襲いかかってくる。大きな腕を振り上げ、まっすぐこちらに向かって振り下ろしてくる。
剣でそれを受け止めると、思い衝撃を受ける。
ぎりぎりと剣を押さえつけられ、このままだと力押しで剣を落とされてしまいそうだった。
腕に力をこめ、思い切り剣を振って魔物の腕を振り払って後退し、距離を置く。
もう一度剣を構えると地を蹴って一気に距離を詰め、魔物の肩めがけて剣を振り下ろす。
しかし剣はそこで止まる。
魔物の身体が硬く、剣で斬ることができなかった。
その隙に魔物の拳が身体にあたり、吹き飛ばされて地面に突っ伏した。
ロイドの慌てたような声が聞こえる。
「せ、セルス! し、死ぬなよ。お前が死んだら俺、どうしたらいいんだよっ」
「くっ……。このくらいで死ぬわけないだろ」
起き上がるともう一度剣を取り、乱れた息を整える。
いま分かったことは、この魔物の身体は剣で斬れないということだ。
剣で斬れない魔物を倒す方法は、魔法か力の強さで叩き潰す以外にない。けれど、そのどちらも持っていなかった。
完全に勝てない相手に違いなかった。
いままでこういう事態に陥ったことがなく、どうするべきか分からなくなっていた。
とにかく何とかしなければと思い、もう一度剣を構えたところで後ろから声が聞こえた。
「下がってください」
「は……?」
振り向くと、自分とそう歳も変わらなさそうな少女が立っていた。
その格好から魔道師であることがすぐに分かった。
わけが分からないまま立ち尽くしていると、彼女は魔物の方へ進んでいく。
足を止めると、大きな輪のような形をした魔道具らしきものを突き出す。
魔道具はすぐに青い光を帯び始め、その場に光が溢れ帰っていき一体の大きな竜が姿を現した。
彼女が手を魔物の方へ向け、合図をすると竜は魔物に喰いかかる。
魔物が抵抗する間もなく、飲み込んでしまい跡形も残らなかった。
呆然としていると、ふっと竜は姿を消して彼女はこちらに戻ってくる。
にっこりと笑顔を浮かべる。
「いやあ、危なかったですね。私が来なかったら最悪の事態になってたんでしょうね」
少し悔しい気持ちもあったが、それも事実だ。
落ち着いて礼を言うことにした。
「助かった。ところでお前魔道師か?」
「そうですね。魔道師のアルタイアと申します。あなたは?」
「俺は、セルス。一応警備隊なんだけど……」
こうして助けられた後の警備隊と名乗るのは少し気が引けてしまった。
アルタイアは、次は腰を抜かしていたロイドの方に目を向ける。
「あちらは?」
「あいつは、ロイド。あいつも警備隊なんだけど……」
「へえ、お二人とも警備隊の割りには魔物にやられそうになってましたけど、この街大丈夫なんですか?」
「……っ、それはな……」
こういう状態では、反論しにくい。
現にいま、アルタイアが来なかったら魔物の餌食になっていたかもしれない。
「あのさあ、君魔道師なんだろ? この街じゃ見かけたことないけど、もしかして他の街から来たの? どこから来たのか聞いていい?」
腰を抜かしていたロイドも、もう大丈夫らしくアルタイアに質問をしていた。
返答に困っていたところだったので助かった。
「ああ、私は王都から来ました。急ぎで会いたい人がいるんですよ」
「この街の奴か?」
「ええ、でなければわざわざ来ませんよ。それはそうと、さっきの魔物おかしいと思いませんでした?」
「おかしいって……」
言われてみれば、確かにおかしいかもしれない。
この辺りには弱い魔物しかおらず、あんな魔物はいままで見たことがなかった。
アルタイアの方を見て、口を開く。
「確かに、あんな桁違いの強さの魔物なんてこの辺りにはいなかったはずだけど……」
「あれ、魔物じゃないんですよ」
「は……? でも、どう見たって……」
「化け物、ですよね? ただあれは、自然の魔物とは違って人工で作られたもの……というより人の手によって魔法で作られた兵器みたいなもんですよ」
「兵器?」
兵器という言い回しが少し引っかかる。
「ガレルハート帝国って知ってます? この国と敵対関係にある大帝国ですよ。と言っても、まだ戦争とかそういう事態にまではなってませんが、さっきの化け物を作ってたまに送り込んで来るんですよ。たまたまそれが、ここに来てしまったんでしょうね」
正直、言葉が出なかった。
いままであんな化け物を人が作り出せるということも知らなかったし、帝国が兵器を送り込んできたというのも初耳だった。
「まあ、本格的に攻めてくるわけじゃないですから、安心して大丈夫ですよ」
「そ、そうか……」
「あのさあ、魔法であんな化け物作るって材料とか何か使ってんの? ただ魔法使っただけで作れそうには見えないけどさ~……」
自分も気になったことを、ロイドが口にする。
アルタイアは目を丸くしてこちらを見たあと、ため息をつく。
「まあ、私は知ってますけど材料知りたいんですか? 正直、知らない方がいいこともあると思いますけど?」
遠まわしに聞くなと言われているようだった。
知ったところで、自分たちには何も良いこともないだろうから諦める。
「いや、いいや。ところで、お前誰に会いに来たんだ? もし知ってる奴だったら案内できると思うけど」
アルタイアは腕を組んで黙り込んだ。
しばらく迷っていたらしく、ようやく顔を上げると笑顔を浮かべた。
「じゃあ、お願いしていいですか? カンヌヴァルスって方、知ってます?」