僕とまろんちゃんの七つの鉄則
僕の大好きなまろんちゃん。
かわいくて性格も良くて、無邪気で子供っぽいけど僕の自慢の恋人。
僕はまろんちゃんのことが大好きだし、まろんちゃんも僕のことを好いてくれている。すごく幸せだ。
だけど、僕とまろんちゃんの間には絶対に破ってはいけない七つの鉄則がある。
六畳一間の狭い部屋に、僕とまろんちゃんは二人切りで住んでいる。二人で暮らすにはちょっと狭い部屋だけど、お金がないからこんなところでしか暮らせない。だけど、それは決して不幸なことなんかじゃない。別に不自由はしてないし、僕もまろんちゃんも今の生活はとても気に入っている。
「ねえ、まろんちゃん」
そう声をかけると、今までテレビ画面を見つめていた栗色の頭は、僕の方へクルリと振り向く。その時に舞った彼女の、栗色のショートヘアからは薄らとシャンプーの匂いが僕の鼻孔をくすぐった。
胸は大きくない……というかないけど、華奢ですらっとしたモデル体型な彼女は正座を横に崩したような姿勢のまま、身体ごと僕の方へ向いた。
「なーに?」
甘い、オレンジジュースみたいな声音。それを丁寧に飲み干して、僕は口を開いた。
「ねえ、ずっと前に二人でした約束、覚えてる?」
僕の問いに、まろんちゃんはコクコクと何度もうなずいて見せる。その仕草が愛らしくて、僕は思わず目を細めた。
「覚えてるよ。二人でした五つの約束だよね?」
「そうそう。ちょっと僕忘れちゃいそうだからさ、今から一緒に一つずつ思い出そうか」
まろんちゃんは良いよ! と元気良く答えると、テーブルの上に置いてあったリモコンでテレビの電源を切った。
静寂オーケストラ。僕とまろんちゃんが主旋律。
1.甘い物はまろんちゃん優先
まろんちゃんは甘い物が大好きだ。ケーキは勿論、プリンやエクレアだって大好物。だから僕だけが一人で食べるようなことがあってはいけない。前に一度だけ、僕が一人で食べたプリンの容器を放置していたことがある。その時のまろんちゃんときたら尋常ならざる勢いで怒り始めた挙句、最終的には泣き始めてしまって手が付けられなくなってしまった。その時ばかりは僕も流石に呆れたけれど、そんなまろんちゃんの子供過ぎるところも含めて大好きだから、今思い返すとやっぱり愛おしい。
「こっそりプリンとか食べてないよね……?」
じっとりとした目で見つめるまろんちゃんに、僕はすぐさまかぶりを振った。
「そんなことはしないよ。一つしかない時はまろんちゃんと半分こって約束だろ?」
だが前科持ちだった。あれ以来本当にそんなことはしていない、神に誓える。
「なら良いよ!」
僕の言葉に、まろんちゃんはそう答えるとにんまりと笑って見せた。本当にまろんちゃんは甘い物が好きで、多分放っておけば甘い物だけ食べ続けて生きるに違いない。糖尿病予備軍。
彼女も、甘い物は大好きだった。
2.まろんちゃんのことは「まろんちゃん」と呼ぶ
まあ当然「まろんちゃん」っていうのはあだ名で、彼女の苗字の栗原の「栗」から取ってつけたあだ名だ。
最初は冗談だったんだけど、呼んでる内に呼ばれている本人が気に入っちゃって、いつの間にかまろんちゃんのことは「まろんちゃん」と呼ぶ、なんて約束になっていた。
「本名は嫌なの?」
「うん、『まろんちゃん』の方がかわいいし……」
実際この「まろんちゃん」という響きと字面に勝てるかわいい名前なんてそうそうないと思う。自画自賛になってしまうけど、我ながら本当によく思いついたものだ。
まあ正直、僕は本名より「まろんちゃん」の方が呼びやすかったから呼んでたわけだから、それをまろんちゃん自身が気に入ってくれるのはすごく都合が良いんだけどね。
3.浮気はしない
うん、まあ、当然。というか僕とまろんちゃんの間に限らず、全ての恋人の間で約束されるべき事柄なんじゃないかとさえ僕は思う。
「浮気は駄目だよねぇ」
僕がそう言うと、まろんちゃんは何度も強くうなずいて見せる。
「ダメ、絶対!」
両手で大きく×を作りながら、まろんちゃんはちょっとだけ眉を歪めていた。
「心配しなくても、浮気なんかしないから」
「したら紆余曲折を経て刺すよー」
昼に家を空けている間、まろんちゃんにテレビを見せるのはやめようと思った。
4.まろんちゃんの身の回りの世話は僕がする
今のまろんちゃんには、行くあてがない。だからまろんちゃんは僕がしっかり養わないといけない。家事全般は勿論、おはようからおやすみまで、まろんちゃんの世話は僕がする。
「手伝うって言ってるのにー」
「まろんちゃん、包丁持ったら指切っちゃうでしょ」
一度まろんちゃんに食事の用意を手伝ってもらったんだけど、包丁で野菜を切る時見事に人差し指を切っちゃったせいで、まろんちゃんが大泣きして大変なことになったことがあった。まあ練習すればどうにかなるんだろうけど、とりあえずしばらくは全部僕がやらないとまずいと思う。
何も知らないまろんちゃんには、料理以外の家事も難しそうだし。
5.僕はずっとまろんちゃんのことを好きでいる
三と一緒でこれも当然。三が守れてないと五は守れないし、五を守れてないと三なんて守れない。正に表裏一体。
正直三と五が同時に存在する必要なんてないような気がするけど、僕とまろんちゃんの二人で決めた大切なことだし、野暮なことは言わないでおく。
「ずっと好きでいてくれる?」
急に、まろんちゃんは不安そうな声音で問う。
嫌いになるわけないのに。
なれるわけがないのに。
まろんちゃんはそんなことを、不安そうに僕へ問うた。
「好きでいるよ。ずっと」
「うん」
そう答えて、安心したのかまろんちゃんはその場へ横になった。
「眠い?」
今にも閉じそうな目をなんとか開けながら、まろんちゃんはコクリとうなずく。時計を確認すると、もう既に午後十時を回っていた。大体午後九時過ぎには眠気を訴えるまろんちゃんにしては、この時間まで起きているのは珍しい。
「おやすみ、また明日ね」
僕がそう声をかけると、まろんちゃんはそっと目を閉じた。
しばらくしてまろんちゃんが寝息を立て始めたのが聞こえると、僕はまろんちゃんをベッドへ運び込んでそっと寝かせた。まろんちゃんはベッド、僕は床、約束の中にはないけど、これは暗黙の了解だ。
おやすみ、まろんちゃん。
6.まろんちゃんの存在は誰にも知られてはいけない
栗原みつきと、栗原なつきという姉弟がいた。瓜二つな双子の姉弟で、二人はいつも一緒で仲良しだった。
僕は幼い頃から二人のことを知っていたし、二人も幼い頃から僕のことを知っていた。
小学校も中学校も、高校も同じで、僕達三人の青春は共有されていた。そんな青春の中でいつしか僕は、なつきの姉であるみつきのことを好きになっていた。
彼女の、なつきとそっくりな綺麗な顔も均整の取れたプロポーションも、細くしなやかな手足も人形みたいに綺麗な長い栗色の髪も、全てが愛しかった。全てが欲しかった。彼女を想って夜を過ごしたことは何度もあるし、彼女の写っている写真を小一時間眺めていたことだってある。
そんな想いを胸に秘めたまま、僕達は大学へ進学した。
皮肉にも僕の進路とみつき達の進路は食い違ってしまい、どちらも実家を離れてしまったせいで、僕とみつき達が会う機会は一気に今までの半分以下になってしまった。けど、それでも僕達はよく会っていたし、遊びに行くことも多かった。僕もみつき達も進学先で友人は出来たけど、やっぱり三人でいるのが心地良い、なんて話をしながら。
そんなある日、僕は車の免許を取った。
大学生にもなると、友人との付き合いで遠出することも多くなっていたし、実家を離れてアパートで一人暮らしをしているわけだから、自由に使える足は必要だった。
父が新車を買ったおかげで、そのお古をもらえることになった僕は、初めてのマイカーで浮かれ切って、みつき達にこう言った。
「僕の車で一緒にドライブに行かないか?」
勿論みつき達は喜んでOKしてくれた。特にみつきなんかは気合が入ってて、前日から仕込んで三人分の弁当なんか作ってくれたりして。
だけど、皮肉にもその日は雨だった。別の日にしようかとも思ったけど、折角みつきが弁当を作ってくれたんだし、何より僕はその日、大好きなみつきに告白しようって決めていたから、雨にも構わず三人でドライブに行くことに決めた。
それが大事故につながるなんて、ほんの少しも想像しないで。
綺麗な景色を二人に見せたくて、僕が計画していたドライブルートは山道。雨の中調子良く車を走らせていた僕は急なカーブに対応出来ず車をスリップさせて、勢いよく脆くなっていたガードレールに突っ込んだ。それなりにスピードを出していたせいで、僕の車は勢い良くガードレールを突き破って転落してしまった。
気が付いた時、僕の視界にあったのはベコベコに凹んだ車と、気を失っているなつき、そして――一目で即死とわかる傷を負ったみつきだった。
僕となつきは打ち所が良かったらしく傷はあるものの重症じゃなかったけど、みつきは助手席で見るも無残な姿で顔を伏せていた。
怖くて、直視出来なかった。
僕が、僕が殺したようなものだ。
浮かれて、不用意に未熟な運転技術でドライブに誘って。
スリップの危険性も考えずに雨の中飛び出して。
僕が……僕がみつきを殺した。
目の前に広がる絶望にうちひしがれていると、不意に隣でみつきが……いや、なつきが目を覚ました。
みつきとそっくりな顔をしたなつきは、辺りをキョロキョロと見回した後、震える声でこう呟いた。
「ここはどこ?」
随分と混乱しているようで、状況をまるで呑み込めていないようだった。
なつきが混乱している中、僕まで混乱するわけにはいかない。なつきを落ち着かせようと、一旦車から降りて後部座席にいるなつきの傍に近寄った時、なつきは信じられない言葉を僕に向かって吐き出した。
「あなたは、誰?」
いくらなんでも、こんなことを言われては僕だって平静を装うことが出来ない。最初は冗談かと思ってなつきを怒鳴りつけたけれど、なつきは首を傾げるだけだった。
信じたくなくて、何度も何度も確認したし、ちょっとした思い出話を語ったりもした。それでもなつきは、僕のことを知らない人だと言い張った。
なつきは冗談じゃなく本当に僕のことを何も覚えていないようで、そもそも自分が誰なのかすらわかっていないようだった。
「ねえ、あの人は誰……?」
みつきそっくりな顔で怯えながらなつきが指差したのは、顔を伏せたまま動かなくなっている、みつきだった。
「あの……人は……」
ポロリと。涙が頬を伝った。
震える唇が、名前を紡ぐ。
悲しくて震えていたのか。
雨の寒さで震えていたのか。
それとも別の理由で震えていたのか。
今でも、僕にはわからない。
「あの人は、君の弟のなつきだよ」
みつきの作った弁当が、割れた窓ガラスから外に放り出されてグチャグチャになったまま雨に濡れていた。
7.まろんちゃんと離れることになった時は素直に離れ、まろんちゃんの意思を尊重する
もうあれから一月も経つ。
まろんちゃんはいつか、気づくことになると思う。
きっとその時まろんちゃんは僕のことを軽蔑するだろうし、もう一緒にいてはくれなくなるだろう。
それでも良い。
だけど、せめてその時までは――――
大好きだよ、まろんちゃん。
安らかな彼女の寝顔に、そっと右手で触れた。