プロローグ
エイプリルフールの次の日
ああ、そうだった。
私は天井を仰いで、「なにがそうだったの?」と脳みそを回転させ始めた。
春休みではあるけれど、なるべく生活習慣はきっちりしようと思ってたのになあ、なんて後悔する。
「む~、起きなきゃ。」
呟いてみたものの、なかなか身体が起き上がらない。
なんだよ、もう。いつもなら、もっとこう…イライラしながらでもなんでもガバッと起きられたのに。
スマホの時計を見ると、午前11時を回っていた。どうりで窓の外がやたらと明るいはずだ。
起きたくない…なんか怠い。
あ、寝過ぎか。こうなったら田舎特有の昼のサイレンを聞くまで寝ていようか…
ーグキュルルルゥ~
「…起きよう。」
サイレンよりも腹の虫の方が早かったみたいだ。
のろのろと起きてから、1階の妙に広い居間に降りる。食卓の椅子に行儀悪く胡座をかき、新聞のテレビ欄を眺める。
「あ、今日は見たかった映画が入る。地上波初だって。ふーん。」
しんとした居間が気持ち悪くて、テレビをつける。丁度お昼のニュースが始まって、なかなか格好のいい若手アナウンサーが、天気がよくて例年より気温がどうのってこととか、どっかのコンビニに間抜けな強盗が押し入ってどうのってこととか、そんなニュースを読み上げる。
なんだか頭に入らなくて、私は洗面所に向かった。
鏡を見て、酷い寝癖にようやく気づく。背中まで伸ばした、本来はストレートであるはずの黒髪が爆発、もはやキツすぎるパーマのようになっている。
どうやってなおすんだよ、コレ。アイロンは面倒だな。もういいや、縛ろう。
時間と髪型以外はいつも通り洗面を済ませて、今度はソファに腰かける。
「腹へったなあ…」
つけっぱなしのテレビからは、お昼の情報番組の映像と楽しげな芸能人の声が流れている。
それを横目で見ながら、戸棚にしまってあるカップ麺に思いを馳せる。
たしか塩味だったなあ。あ、お湯を沸かそう。
物凄く綺麗なキッチンで、あひる型のやかんに火をかける。カップ麺の蓋を開けて、お湯が沸くのを待つ。
中々鳴かないこのあひるちゃんは、最近やっとお許しが出て買ってもらったものだ。キリンちゃんと凄く迷ったのだけれど…やっぱりあひるちゃんにしてよかった。
あひるちゃんがやっと鳴いて、カップ麺に湯を注いで3分後、私はまた食卓の椅子に行儀悪く座って、ずるずるとラーメンを啜る。
「あ、やべ。溢した。」
しかも、パジャマのままだった…。鏡を見ても気づかないとは。それって、女子としてどうよ…。
なんか、駄目だ、って一度思ったら食欲がなくなってしまった。のろのろと麺だけ食べきって、スープは捨てる。
…ああ、勿体無い。
テレビはもう消した。昼ドラは思春期真っ只中な私には生々しかったし、『銅子の部屋』は芸人さんが銅子の無茶ぶりに苦しめられていて、あまりにも可哀想なのでやめた。
と、いうわけで暇だ。
「はあ、掃除でもするかな。」
2階まで掃除機をかけるのはかなり面倒だ。今日は1階だけでいいや。1日おきにしよう!
玄関に出て、階段下の物置から掃除機を出す。
ーガラッ
「へ?」
気づいたときにはもう遅く…
「…痛い…。」
物置に目一杯積まれた本が崩れた。本に埋もれるなんて、漫画みたいだと思った。
「…ぷっ、」
私は吹き出して、しばらく独りで笑っていた。
「あ~あ。」
どうすんの、コレ。一から並べなきゃならないじゃん。もう、いいや。
私はだらしなくそこに寝転んだ。
木目の天井を仰ぐと、『ああ、そうだった。』の意味をようやく理解した。
「今日から一人で生活するんだった。」
なんだか、妻に家を出ていかれた夫みたいだなあ…ある意味、同じようなものか?
てゆーか、嘘だと思ってたんだけど。だって、昨日はエイプリルフールだったし。
まさか、ばあちゃんがあんなことを言い出すとはね…。
ーーー
『昔、やり残した仕事があってね、それをどうしても片付けなきゃならないの。』
ーどこにいくの?
『ここから、ずっと遠いところよ。』
ーいつ帰ってくるの?
『わからない。』
ー母さんは帰ってこないの?
『さあ、ねえ…。』
ー私を連れて行ってはくれないの?
『あんたは未熟者だし、中々に危険な仕事だからね。』
ーいつ出立するの?
『明日の早朝。』
ー私は、どうなるの?
『金銭面は大丈夫。でも、あんたは仕事と勉強以外は何にもできないから、手を打っておいたよ。』
ーどういう意味?
『それと、事務所は続けなさい。』
ー一人で?
『掃除は毎日!洗濯は頻繁にする!食器は溜めないこと!あと、ちゃんと食べること!』
ーえ、ちょっと…
『あとはね…まあ、なるようになるわよ。』
ーーー
『じゃ、朝早いからお休み』といったばあちゃんは、どこか複雑な表情をしていた。家族でありながら、時々感情が読めない祖母であった。
そんな話をされて眠れるハズがない。だから余計に寝坊したんだ。
「マジで、これから、どうしよう。」
もう少しで春休みも終わって、私は高校2年になる。勉強は、英語と地理以外は得意だし、体育も嫌いじゃない。新しい教科書を揃えたばかりで、なんとなく楽しみにしていたのに。
もちろん、勉強よりも部活とか、友達と遊んだりすることも。それから、もうひとつ…
それなのに、本気でお先真っ暗だ。
一文無しで家出するよりはマシな状況かもしれないけれど…
なぜか私は『家』を託されてしまった。まだ高校2年なのに、家を継げってか?
「あ~~、もう!なんなわけ?未熟者って言っておいて!」
ムカつきすぎて駄目だ。色々酷すぎる。
そもそも、ばあちゃんに依存しすぎだっつーの。
「…グスっ…」
いや、肌寒い季節に玄関に居続けてるから鼻水出てきただけだから!てゆーかさっき大笑いしたからね、その時に出たんだって!
「あ~~、鼻水とまらないっ!」
こんなに鼻水が止まらなくなるのは、母さんが家を出たとき以来だ。私がしょうがく…
ーピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン
チャイムの連打に、仕方なく応じることにし、ドアを開けた。
…閉めたくなった。
「加護先輩、泣いてたんですか?」
なんでこんな時に、こいつが来るんだ。
ー彼はまるで嘘みたいに、私の鼻水も涙も風のように(嵐のように)吹き飛ばした。
私の新しすぎる生活は、昨日の世界とは真逆の、全く疑いのない真実だということを理解することから始まったー