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次は俺の体について考えてみる。
見た目は完全に子供。胃袋も五才児と同じだったと言うことは、内臓も全部子供なのだろう。あったら便利だと思う腕力も、試しにやってみた割り箸を折ることも困難であった。
この時代の社会では完全に子供扱いを受けるのはスミレの対応でわかった。
(こんなので何が出来るんだよ……)
苦い溜め息を思わずつく。
これじゃあユリを助けるなんて出来る気がしない。
「とりあえず……」
メモにつらつらと書いていく。腕立て伏せ、腹筋、背筋、ジャンプスクワット、体幹。
ユリに教えてもらったことのある筋トレメニューを書き出してみた。五才でも一年し続ければ八才くらいの力になるんじゃね?ってことで鍛えてみようと思う。これに十分間のランニングもあったかな? 体力は必要だからやろうか。
ところで。
(俺の生活費は大丈夫なのかな?)
ふと思い付いた。確か今の俺は今日行ったところの孤児だったよな? スミレや園長がどうにかしてくれてるんだろうけど……また聞いておこう。
よし、じゃあ早速ストレッチと筋トレするか。
「いち、に……」
たっぷり汗をかき風呂に入った俺は、その日ぐっすりと眠れた。朝起きたときに激しい筋肉痛に苛まれることをまだ知らない。
朝。スミレに聞こうと階段に降りると見知らぬ男がリビングで座っていた。
「やあおはよう」
「え、どうも……」
スーツを着た男が俺に声をかけるが、俺はきょどって返してしまった。
つーか時計十二時じゃねえか! 昼じゃん!!
「お子さんが起きてきたようなので僕は失礼しますかね」
「ああどうも。本当に」
いえいえ、と言いながら立ち上がる男。スミレが珍しく頭を下げてる。まだ会ってから三日目だけどな。
とまあ変なこと考えてると男は帰ってしまっていた。
「スミレ今の人は?」
「仕事の上役みたいなものだ」
へぇ……スミレの仕事ってなんだ?
「また今度教えてやる。俺が覚えてたらな」
「……あれ、なんか聞いたことあるような」
気のせいか? まあいいや。
「ユリは?」
「質問が多いな。ユリなら部屋でまだ寝てるからそろそろ起こさないとな」
そう言ってスミレは階段を上ろうとする。と、そこで昨日の疑問を思い出した。
生活費についてだ。
「スミレ! 最後に質問いいか?」
「ああ? なんだよ」
「俺の生活費ってどうなってんだ?」
昨日から気になり始めてたからな。すると、ああ、とスミレは少し笑みを浮かべた。…気がした。
で、教えてくれた。
「金は腐るほど持ってるからな別に気にしなくていいぞ。欲しいものがあれば気にせず言いに来い」
「あ、ありがとう」
そう言うとスミレは階段を上っていった。キッチンを覗くともういくつかご飯が並んでいた。
上役の人がいる間にも昼飯作ってくれてたのか……すげえな。
「いや、それはお前らの朝飯だ」
「うわ! スミレ!」
さっきユリを起こしに行ったんじゃないのか!
「自分から起きてきた。ほらユリの分もレンジで温めとけ」
大皿のチャーハンを俺に渡す。
重ッ! 持てねえ! けど、なん……とか! 乗せる!
「ふぅ……」
レンジの設定を合わせて一分ほど待つ。
すぐに一分経ち、俺はチャーハンを取り出した。
「小皿用意しろー」
スミレの言葉にユリは三人分の小皿とスプーンを取って用意する。俺もえっさほいさとチャーハンをテーブルに乗せた。
コップやお茶はもうスミレが用意していた。よし、それでは。
「いただきまーす」
一口食べる。……うまい!
「スミレはお料理が上手だからね~」
ユリが料理出来るんだからスミレが出来てもおかしくないよな。教える人がいないとユリは作れないし。
「ところで」
もぐもぐと口を動かしながら俺は話す。こら、ってスミレに怒られた。
「今日は何時にあそこ行くんだ?」
「あそこ?」
スミレが俺に聞き返す。えーと。
「えーと……? 名前わからねえや。昨日行ったところ、紀野園長の」
「紀野園か」
そんな名前なのか。つーかそのままだな!!
「ご飯食べたらすぐいこ!」
口の中を見せるように大声で話すユリ。こら、ってスミレに怒られてた。
「まあそうだ。さっさと飯食って行くぞ」
「わかった」
「スターティング、スターティングっと」
紀野園の図書室で俺は本を探している。ユリは三十分程だけ勉強し、園長に呼ばれて出ていってしまった。
付いていこうとも考えたけどプライバシーに関わってたら失礼だしな。ユリは紀野園の……この孤児院の子供なんだから。
「お、あった」
目的の本を取り、俺は椅子に座った。主人公がなにをしたか調べるためだ。まあ、実は丸暗記してるからこんな必要ないんだけどな。しかし活字を見ているほうが頭は回るから読む。
(周りの人に訴えて未来を変える、か……)
主人公は親に、皆に未来からきたことを知らせた。俺はこれをすることができるだろうか?否、不可能だ。
俺と彼の決定的な違いは、彼は過去の自分にそのまま乗り移るように過去に戻ったことだ。
彼には自分を信じてくれる親がいる。俺には信じてもらえる人がいない。
それはスミレを例にとってもよくわかることだ。所詮子供の俺の戯言を誰が信じてくれるだろう。
(……くそ)
胸がズキッと痛む。……俺はどこまで無力なのだろう。
「シャガー、おいでー」
「?」
園長が入り口の扉から顔だけ見せて俺を呼んだ。俺はスターティングを元の場所に戻して彼女の方へ行く。
なんだろ?
「昨日言ってたダイちゃんが来たんだよ! で、ユリがシャガにも紹介するんだってさ!」
へぇ~。
俺は図書室を出て違う部屋に案内されるままに進む。行きがてら少し話を聞く。
「ダイちゃんってのは何歳の子なんだ?」
「んー? シャガと同じ年だよ」
そうなのか。五才になら大して気を遣わなくていいな。
「ほら、ここさ。ユリーよんできたよー」
部屋にはいるとユリと、体が少し周りより大きい男の子がいた。この子がダイちゃんか?
「あ、シャガ! ダイちゃんダイちゃん、この子がシャガだよ! で、この子がダイちゃん!」
ユリが元気に話して俺達を互いに紹介してくれた。ダイちゃんは照れくさそうに笑って頭を下げるから、俺もつられて頭を下げる。
(礼儀正しいな。顔立ちも整ってるし、数年も経てばモテるだろうなぁ)
と、そこで俺は思い出した。ユリの初恋の人……。
「シャガくん?」
「……あ」
やべ、ぼーとしてた。
「とりあえずダイ……くん?」
「あ、ダイちゃんって呼んでほしいな」
「ダイちゃん」
うん、ダイちゃんの方がいいと思う。ダイくんよりはぴったりしてる感じだ。
「これからよろしくな」
俺は右手を出す。
「うん、よろしくねシャガくん」
彼は照れくさそうな笑みを浮かべながら手を握り返してくれた。……こいつはモテる。
「それではさっそくあそびましょー!」
ユリが俺とダイちゃんの握りあった手を取って上に掲げる。すごく元気な声だが耳にキンキン響くぞ。
「ユリは元気だねぇ~」
ダイちゃんが目を細めて笑う。どことなく漂う大人っぽい雰囲気はなんだ。
んで、どこでなにして遊ぶんだ?
「えっとね! 昨日おそとで遊べなかったからおそと!」
俺たち三人は靴を履き替え、外のグラウンドへ行く。
「グラウンドでなにするの?」
「お団子作り!」
泥団子かー懐かしいなー。結構好きでいっぱい作ってたよ。
「さて! ここで作ろ!」
砂場の近くで、尚且つ水道とバケツがあるところ。
なかなか良いじゃん。と、思っているとユリは砂場の砂を握り始めた。
「あ、おい!」
「!?」
ビクッと体を跳ねさせるユリとダイちゃん。
「お前らこんな砂じゃいいのできないだろ。まずはこうやってグラウンドの砂を避けてサラサラの砂を集めてだな……」
俺は説明しながらひとつ作り延々と話し続ける。
俺が話終わる頃にはユリたちは中々良いものを作っていて、それを見てやっと満足したのだった。
「シャガ! これでいいの!」
ユリが綺麗な丸い団子を差し出す。
「おー! だいぶいいじゃないか!」
「えへへーなでなでしてー」
「え」
……ユリが、なでなでを要求した……だと!? あのユリが!? だって頭を撫でるのを極度に恥ずかしがってたじゃないか! まだ無邪気だからか!?
オロオロしながら視線をダイちゃんに向けると、彼も良い団子を作っていた。
「シャガ?」
「え、あ! 今手汚れてるし! また後で…」
「あーそだねー。わかった、また後で!」
すぐに水道で泥を落とす。
どう? と団子を差し出すダイちゃんの出来を褒めて頭を撫でておいた。彼の方が俺より背が高かったが、彼が座っていた為簡単に撫でられた。
「あー! ずるーい!」
「じゃあしばらく乾かせば固くなるから楽しみにしてな。日当たりの良い場所に置いて、雨とかで濡れないようにするんだぞー」
ユリの言葉はスルーして俺は部屋に戻って行った。
「シャガ」
靴を履きかえたところで声をかけられる。
「ん?」
名前、イマイチ馴れないなぁ……。
「時間あるならちょっと来い、話がある」
スミレ。彼が俺にそう言った。
付いて行き、また入ったことのない部屋へ。椅子が一対あるだけの部屋。
「まだ俺達に馴れてないのか?」
椅子に腰掛けながらスミレは言った。
「……どういうこと?」
「お前の挙動だ」
なんのことだろう。
「ストレスが溜まると人間は運動して発散したりするんだよ。朝のストレッチと筋トレ、風呂上がりにまたストレッチ……もしくは」
ああ、そのことか。
「お前が三日前に焼き肉から帰ったときに言ってたことと、関係あんのか?」
「!!」
な、なんで今それが出てくるんだよ! 俺はあんたに話すのを諦めていたのに! 大人を説得するのは無理だって! だから一人でやろうってさっき決めたのに!
「そうなんだな?」
俺はコクりと頷いた。大きな期待と不安を感じながら。
「あの時はああは言ったが、そのあとの態度で少しは頭に入れて置くことにしていた」
スミレは静かに、確かめるように呟く。
「信じて……くれるのか?」
「ああ」
……。
「おい、なに泣いてんだよ」
気づけば、胸がいっぱいになっていた。込み上げる何かは抑えられなくなり、やがて雫を落としているらしい。
「だ、だって……」
「まあわかってるけどよ。……嘘だったら承知しないからな」
そんな! 俺のこのとんでもない話を信じてくれたのに嘘なんて! ……こんな、話を。
「お、おい泣くなって」
「う、うぁぁぁあああ!!」
「え、ちょ! おいぃぃぃいいいい!!」
ガラガラ、と扉が開く。
「おーいシャガ……こらスミレェェエエエエエ!!」
園長違うんだ! スミレは悪くないんだよ!
なんて言葉に出来ない。
「ち、違うぞ紀野! 違うからな!!!」
「すまん、取り乱した」
「はぁ……はぁ……」
肩で息をするスミレ。園長にみっちりしごかれてこの様だ。いや、ごめん。本当にすまない。
「いいけど……で、お前はこれからどうするんだよ」
げっそりした表情をとりあえずおいといて、スミレは真面目な顔で俺に告げた。
「正直ほとんど考えていない。スターティングみたいに実の親の元へ戻ったんじゃないらしいし……ん?」
「どうした?」
ここに来て三日目。今まで一回も考えていなかった。
親の存在。
そうだ! 親だ! そんでもってこの時代の俺がいるか確かめようぜ!
「そしたら十三年後に起きる悲劇に備えられるかもしれない」
「この時代のお前がいたらどうするんだ?」
それは……。
「それは、俺は俺と関われない。未来にどんな影響が出るかわからないし、そもそも俺は五歳の時にシャガやスミレと出会っていないからな」
「……そうだな」
静かに呟くスミレ。今彼は何を考えているのだろうか。俺の話を聞いて、彼はこのあと何を考えるのだろう。
わからない。なにもわからない。
「心配するな、また今度過去のお前の家に連れていって一緒に確認してやるから」
「……ありがとう」
ぽん、と頭に手を置かれて撫でられた。ガラガラ、と扉が開く。
「あー! シャガずるーい!!」
ユリだ。
「ずーるい! スミレ! ユリもやってー!!」
「あーはいはい、うるさいなぁ」
スミレに頭を撫でられたユリは、それは嬉しそうに頬を緩ませていた。