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after 5

 目を、開く。

 真っ白な、気持ちの良いほど真っ白な世界が目に飛び込む。


「前にもこんなことあったか……」


 今より何年も前、俺がまだ俺じゃなかった頃に同じことがあった。あの時と同じように声は掠れ、体は思うように動かせそうにない。


「病院、だな……」


 視線を移すと器材が規則的な音を打っている。他にも点滴や呼吸器が映る。また眠っていたのだろうか……。


「…………」


 腕を伸ばしナースコールを押す。ベッドの周りには何も置いていないようで、状況を確認する術はない。そんなに時間は経っていないのだろうか。

 流石に二度目になると落ち着きがあるな……。変なことに慣れたものだが、看護師か担当医が来るまで少し休むことにしよう。




---------------------------------------------



 俺が目を覚ましたのは、俺がユリを助けにいったあの日から三年経ってからだった。その間ユイは一人で色樹園を支えてくれていたのだ。……というわけでもないらしい。

 ダイが俺達に言っていた通り、学校に通いながら園を手伝ってくれていたそうだ。ダイ一人ではなく、なんとフユカも園に住み始め子供たちの世話をしてくれたらしい。

 俺達の育てた子供たちが帰ってきてくれて、意志を継ごうとしてくれているのは本当に嬉しく思う。親心としてはもっと世界に羽ばたいてもらいたかった気持ちもあるがな。


 ユリはその後無事大学に入り、今は楽しくキャンパスライフを送っている。夢もなにか見つけたらしいが、周りには秘密なんだと。とにかく無事に今も生きてくれているから、俺たちが頑張った甲斐があったよ。

 そして元々の俺、ミズキもユリと共に素敵な素敵なキャンパスライフだそうだ。二人の入学式の写真を後で見せてもらったときは少し涙腺が刺激された。

 二人の幸せそうな笑顔を見たときに、俺はやっと全てが終わったんだと理解した。辛いことや悲しいこともたくさんあった。もっとああすればよかったと後悔したこともあった。全てが全て上手く収まったとはとても言えないけれど、遠藤夫婦や操園長が望み、託してくれたことは良い形で終わらせられたと思う。

 俺だけの力じゃ絶対にないが、それを踏まえて思った。


 頑張って来てよかった、と。




 さて、ナースから渡されたメモ用紙を見た俺は、先に言ったようなことを全て知ることができた。仕返しのように、文句と電話番号を書いたメモの主。

 シャガからだ。

 検査を終えた俺は彼と電話をし、三年の話を聞くことができたのだった。


「じゃ、また迎えに行くよ。俺免許取ったから車乗り回せるんだぜ!」


 シャガは電話越しに嬉しそうに話す。


「俺とお前が同一人物であることを踏まえて忠告してやる。あんまりスピードを気にしすぎて走るんじゃないぞ。スピードメーター見ててヒヤッとしたことが何回かあるからな」

「わかったわかった。気を付けるよ」


 呆れたように笑ったのが電話でも伝わった。あの野郎、ちゃんとわかってんだろうな。


 と、話したのが二日前。二日経った今日、また電話があった。


「ああスミレか? ちょっと寄り道してて今から迎えに行くことになった。ミズキも付いてくるんだってさ」

「は? なんでそんなことに」

「寄り道してたんだよ。じゃあな」


 そう言って一方的にシャガは電話を切った。何て勝手なやつなんだ。寄り道ってなんなんだ。

 俺は病院のロビーのベンチに座り考えるが、全くわからない。

 しかしシャガが運転か……。それほど時間が経ったと言うことか。ってことは。


「……おい、またユズの成長見守れなかったじゃねえか」


 ユリの時と同様、愛する可愛い俺の可愛い可愛い愛娘の成長を俺は側で見ることが出来なかった。

 俺もショックだが……ユリの時と違ってユズの側に本当に俺はいなかった。幼い娘は帰らない父を思ってくれたのだろうか。そして、どれだけ寂しい思いをさせてしまったのだろうか。


「…………」

「おーいスミレー。迎えに来たぞー……ん?」

「どうも、ご無沙汰してま……す」


 シャガとミズキが俺を見つけたらしかった。だが、俺はある事情で二人の顔を見ることができない。


「おい、スミレ……?」

「スミレさん? それは……」


 二人が心配そうな声を出す。シャガが顔を覗き込もうとしたが、ミズキに止められたようだ。

 しかし、次の瞬間シャガは大声で叫んだ。


「スミレのやつ!! 泣いてるーー!!! アッハッハッハッハ!!!!」

「お、おいおい。仮にも未来の自分なんだから、こう、もっと丁寧に言えないのか」


 ミズキがやれやれと注意する。俺はやっと涙を拭って顔をあげた。


「だってあのスミレだぜ!? あの、おっかないスミレが……あははははあ、ああああああッ! 痛い痛い痛い!!?」


 俺は立ち上がり、笑い続ける方の城井瑞樹のこめかみに拳をグリグリと押し付けてやる。まるで双子のような二人を見分けるのは中々難しいが、笑っているのは明らかにシャガだし、それに何故だかシャガは眼鏡をかけていた。……判別のためか?

 しばらく気が済むまでお仕置きをした後、俺たちはシャガの車に乗り込んだ。


「あーイッテェ……スミレのやつリハビリ終わったばっかだから力弱いと思ってたのに……」

「いやあれは笑いすぎだって。俺がスミレさんの立場なら……いや俺もスミレさんでスミレさんも俺なのか……。えっと、だから」


 何を難しく考えているんだ、ミズキ。今はその話はあまり関係ないだろうよ。


「と、とにかく笑いすぎ。謝ったほうがいいって」

「はいはいごめんなさいスミレさん」


 少しヤケクソ気味にシャガは謝る。もう一発いっとくか?


「い、いやいらねえよ。悪かったって、ごめんごめん」

「……フン」


 ところで、どうしてミズキまでここにいるんだ?


「シャガが俺んちに来てたんだ。ん? 俺んちって言うかシャガの家と言うか……実際あの時はミズキとして訪問してたわけで、だからえーと?」

「ミズキ、話逸れてるから。あと過去の俺とは言え、実際タイムスリップしないと頭だけでは中々理解できないから。この際同一人物というのは置いておいても構わないから」


 シャガは外れかけたミズキの思考を正す。先程から見てて思うのだが、シャガが暴走した際にはミズキが止め、ミズキが悩み始めたらシャガがフォローする。

 割りといいコンビなのではないだろうか。ミズキの言葉ではないが、どちらも本人同士だから当たり前なのかもしれないが。


「とにかくシャガが俺んちに来てたんだ。久々に両親と話すために。俺はその間ユリの家に泊まらせてもらって、二日間シャガは城井瑞樹として家族と過ごすことになってさ」

「そう言うわけで、寄り道。まあ実家以外にもユリの隣の家のおばさんとか近所の人に挨拶にいったりしててな。もちろんそれはシャガとして」


 その話を聞いて俺は頷いた。なるほど、確かに両親は事情を知っているからそういうことも可能なわけだ。昔母さんに招待がバレた時は焦ったが、あの時に説明しておいてよかった。


「なんならスミレも挨拶していくか? どうせミズキを家に帰さなきゃいけないし」


 ……本当に魅力的な誘いだが、今回はいい。ユイとユズを連れてまた来るさ。

 それよりミズキが付いてきた経緯はわかったが、どうして俺の元へ来たのかの理由を聞いてないぞ。


「うん。それは」

「あー、やっぱいい。俺からまずミズキに話がある」


 ミズキが言おうとした言葉を俺は遮る。


「一言だけ先に言わせてくれ」


 ミズキと会うことがあれば言っておきたかったこと。


「俺を助けてくれてありがとうな」


 ただ、それだけ。

 ユリを突き飛ばし、目を瞑った後俺は何者かに手を引かれて車との直撃を免れた。俺の最後の記憶はそうなっていたはずだ。

 そしてあの時そんなことができたのは一人しかいない。


「あ、はは。知ってたんだ。いいのにそんなこと」

「ああ。だが俺にとっては大事なことだ。ありがとう」

「うん、どういたしまして」


 ミズキは照れたように笑った。そしてそのまま彼は口を開く。


「俺のほうも、ありがとうと言いたくて。ユリを助けてくれて、ありがとう」


 ……ああ。


「今の俺にはそんな自信全くないけれど、何度も過去に戻ってユリを助けるために……。ここにいるシャガもユリのために頑張って生きてきて。だけど俺はなにもしていないのにユリの側にいて」

「そんなことないぞ、ミズキ」


 目を伏せるミズキに俺は言ってやらねばならない。


「お前は自分では気付いていなかもしれないが、これから八十年程時間を掛けてタイムマシン……遡行石を作るほどの人間なんだ。それは俺やシャガではなく紛れもないお前の未来」


 だから蛍さんと鷹さんはミズキにユリを託したんだ。


「だから自信を持て。俺やシャガはお前しかいないと信じているんだ。な、シャガ」

「ああ、お前しかいない。俺たちはユリを愛してはいるが、それは妹や娘としてだしな!」


 ユリが聞いたら怒るぞ。ユリは姉を気取ってるからな。

 しばらく俯いてからミズキは黙って頷いた。


 車を発進する。


「そう言えば、なんでミズキはスミレのとこに間に合ったんだ? スミレが何かしたのか?」


 ミズキの家に向かう途中、シャガが訊ねた。


「前日にミズキの家のポストに手紙を入れたな」

「うん。俺はそれを読んでから急いでユリを追いかけたら間に合ったよ」

「手紙……?」


 シャガが首をかしげる。運転中だ、せめて信号に止まってからそういうリアクションをしろ。


「んー……あ、思い出した。俺もあの日持ってたわ、手紙」


 シャガは言った。

 曰く、彼もユリの亡くなった日に手紙をポケットの中に入れていたらしい。しかし卒業式の予行練習やユリとの会話、そのあとの一連の出来事ですっかり忘れていたそうだ。


「と、言うことは俺がたまたま手紙を見付けたからユリとスミレさんを助けることができたのか……?」


 ミズキの言葉に、俺も思い出す。そうだ、俺も持っていたんだその手紙を。

 呟くと、シャガも呟く。


「つまり……どういうことだ」


 わかんねえのかよ。いや俺もわからんが。


「ミズキが手紙を見つけたタイミングが重要なんだと思うぞ。いつ見つけたんだ?」

「えっと、帰るときトイレの中で」

「あ、それなら俺もトイレに行ったぞ」 


 シャガが言う。俺も確かにあの日トイレに行った。

 そして俺が出てくるのを待っていたユリがイタズラで走って逃げたんだよな……。


「それで、手を洗ってハンカチを取ろうとして。その時にポケットに手を入れてさ」

「あ」


 あ。


「あ、って?」


 シャガも俺も同時に声を出す。ミズキだけが俺たちの声をあげた意味を察せていないようだったが、この様子ならシャガのやつも。

 そして同時に言う。


「「お前トイレの後、手を拭いてないだろ」」


 つまりはそういうことで。

 たったそれだけで未来は変わらず。逆に言えばたったそれだけで未来は大きく変わった。

 俺たち……今まで生きてきた数多くの色樹菫と蒼多射我と城井瑞樹は、皆手を拭かなかった。

 本当に、本当にそれだけでミズキは運命を打ち破ったらしい。


「読み終わって急いで出たらユリが逃げていくから、ポケットから落ちたスターティングも投げ捨てて走って追いかけたんだ」

「あ」


 あ。


「え、またなんかあるの?」


 また俺とシャガは声を合わせて言う。


「「お前スターティングを大事に拾い上げてから追いかけただろ」」


 手紙を読むことでユリが轢かれるトラックが道を通りすぎ、乗用車に変わり。スターティングも拾わずに急いで追いかけることでユリに追い付けた。

 種を明かせばそれだけのことで、俺達はそれに気付かずに何度も何度も同じことを繰り返していた。

 きっと小さく色々な運命を変えてきたのだろう。事実シャガはユリが死ぬ前に昏睡状態から回復したし、俺はしっかりとユリを事故から守ることができた。

 その少しずつの変化が、ようやくユリを救う決定打へと届いたのだろう。


 俺達は車の中ではその事には気付かず、ただただ手を拭かなかった自分に落ち込んでいた。

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