50 最終話
ついに帰って来た。俺の未来を丸ごとひっくり返した運命の日に。
今まで何人ものスミレがこんな気分でこの日を迎えたのだろう。
何て言うかな……。一言で言うなら。
「長かった…………」
ミズキからシャガになって五年で俺は死に、スミレになった。それからユリが生まれるまで三年。シャガが来るまで五年。シャガがいなくなるまでまた五年。ミズキとユリが出会って、ここで運命が分かれるまで八年。
やっと……やっと来たんだ。
「頼むぞ……」
俺は呟く。誰に対して言ったのか、それは俺にもわからない。
目を閉じるとユイのことが浮かんだ。……ユズと一緒に待っててくれてるんだよな。
ユズだけじゃない。ダイやフユカ、他の園の子供たちも俺のことを待っててくれているんだろう。
本当に色々なことがあった……。
辛いことも悲しいことも苦しいこともあったけど。なにより……楽しかった。
だから、なんだかんだで。悔いはないんだ。
ユリが来るまであと三十分。
「……ん」
そんなとき、俺の右足に震えが伝わった。
……携帯電話。
「もしもし」
「……はぁ……はぁ……よォ…………」
電話の声は息絶え絶えの男の声だった。……誰だ?
「読んだけど……随分勝手なこと、言ってるじゃねぇか……スミレ……」
「ま、まさか」
電話の男は掠れきった声で告げる。
「事故に遭ってから数年……。間に合ってやったぞ、スミレ……!」
「シャガッ!!」
目を覚ましたのか!? この場面で! この、最後の瞬間で!!
だ、だがこの様子じゃ……。
「スミレのときは間に合わなかったみたいだが……俺はやってやったぞ……。はは……手紙では俺が無理みたいなこと書いてたけどな……!」
そ、それはそうだ。多分お前が目を覚ますのは明日だ、と書いた。……まさかこんな、最後の最後。ギリギリで目を覚ましてくれるなんて思っても見なかったから。
だけど。
「信じてたぞ……シャガ……!!」
こう言わずにはいられない。
ただ一人最も運命を変えられる可能性を持った子供。俺の息子。お前の力を信じなくて他に何を信じろってんだ。
「だが」
「ああ……俺はユリを助けられない。先生にも見付かっちまったから抜け出せないし、第一こんな体じゃ……」
シャガは電話口にもわかるくらい悔しそうに呟いた。
「スミレ!」
「……ああ、なんだ」
「絶対にユリを助けろ! 多分俺なんかよりよっぽど長い時間、今日の為に色んなことをしてきたんだろ! 色んな……色んな辛いことも乗り越えてきたんだろ!」
…………ああ。
「だったら絶対助けろ! 俺じゃ……っ。俺じゃないッ!! ミズキでもない! お前が……お前が助けるんだ……!!」
泣くなシャガ。
お前がいたから俺は頑張れたんだ。お前が俺に諦めない心と運命を乗り越える力を教えてくれたんだ。
だから泣くんじゃない……。
「頼むよスミレ……絶対……絶対助けてくれよ……!」
「…………」
任せろ。
向こうからユリが走ってきた。
楽しそうに、あの日の笑顔のまま。
「……」
俺は道路の反対側でユリを見守る。恐らくこの後、飛び出すから。
「……あ」
道路まで来たとき、彼女は立ち止まった。
そして見たんだ。
見つけてしまったんだ。
……俺を。
「!!!」
俺は気付いてしまった。
気付かざるを得なかった。
ユリは今日この時間、スミレを見付けたんだ。そして駆け寄った。だから道路に飛び出した。
なんだよ……そういうことかよ……! 俺がいなけりゃユリは死なないんじゃないか……!!
今から紀野ユリは……死ぬ。
「スミレ!!!」
「ユ、ユリ!! 来るなァッ!!」
俺を見つけ、今までに見たことのないくらい輝かしい笑顔でユリは駆けてきた。その笑顔に俺は足が一瞬止まる。
そんな笑顔……反則だ……! そんな……抱き止めたくなってしまう笑顔……!!
「だ、ダメだ……!」
動け。動け俺の足。娘が死にそうなんだ! 早く動いてアイツを助けろよ!
動かせよ! なんで死んだように凍ってるんだよ!!!
「ユリ! ユリィッ!」
動け! 動け動け動け!!
一歩踏み出すんだ! シャガに任せろって言っただろ!! たった一歩踏み出すだけだ! なんで今動かないんだよ!!
「……はっ!」
そこで気付く。
世界が固まってしまっている。俺の足だけじゃない。ユリも、車も動かない。
「こんなの……どうしろってんだ……!!」
完全なる走馬灯。俺が極限状態になったことによってか、はたまた何かの奇跡なのか。
世界は動かない。
頭では色々考えられるのに、体は何も動いてくれない。
「ユリが……ユリに……間に合わない…………!!」
俺がどうやってもユリに届かない。それがわかってしまった。一歩足りないんだ。一歩。どうあがいても一歩足りない……。
走馬灯の中でそれがわかってしまう……。
『ユリを頼む』
鷹さんは言った。真っ直ぐ俺の目を見て、力強く言い放った。
『ユリとミズキくんの交際を許可します』
蛍さんは優しい笑みでそう言ってくれた。君たち以外にいない、と。
『俺はお前がユリを助けることが出来ると信じている』
操おじいちゃんは手紙にそう書いた。
託されたんだ、俺は。三人だけじゃない。
ユイにダイ、フユカだって含めても良い。皆が皆俺がユリを助けることを信じてくれている。想いを託してくれている。それに、直前で間に合ったシャガ……。
……そうだよな、シャガ。こんなところで怯えて足を止めている場合じゃないよな。
「俺は目を覚ましてやったぞ! 次はおまえの番だ!! スミレ!!!」
そう言ってシャガは、思い切り俺を押してくれた気がした。
シャガは笑う。
『絶対助けてくれよ……!』
そうだ。
俺が助けなきゃ。
俺が助けなきゃ誰が助けるんだ!!!!
景色が元に戻る。
俺は既に足を回していた。
「ユリィィィイイイイイ!!!!」
間に合う! これなら間に合う!
ドン、と少女を突き飛ばした。彼女の体は元の歩道に戻る。
それを見て俺は頬を引き上げる。
(やって……やったぞ……!!)
視界の左端から車が見える。
はは……ユリを助けられたなら、まあいいや……。
そして目を閉じる。
世界が閉じる瞬間、誰かが手を伸ばしていた気がした。




